第57話
魔王城は薄暗く、がらんとして、冷え切っている。ほとんど物も置いていない。警戒している罠にも全く出くわさない。それどころか、窓はあってもカーテンは無いし、こんなにヒンヤリしているのに石の床には敷物も無いし、恐ろし気なはく製だとか石像だとか、そんな物も無い。ダスワルトはきょろきょろと辺りを見回しながら、不思議に思う。罠が無いのは結構だが、生活感も無さ過ぎる。全部荷物を出してしまった倉庫のようだ。魔物であっても、日常に使っている場所がこんなに空疎であるのはおかしいのではなかろうか。
「何だか、誘い込まれているみたいですね。」
件の勇者が呟いた。
「魔物が出てきても、手を合わせるとじきに逃げていくばかりで、僕たちを仕留めようという意思が感じられない。城内は一本道だ。物も何もなくて、ただ先に進むしかない。このまま進んでいったら、急に落とし穴だとか水攻めだとかが現れて、捻り潰されるだけなのかもしれませんね。魔王なんて実在しなくて。」
「しかし、視線を感じませんか。城内に入ってからずっと、魔物に観察されている気がします。」
父親が用心深く答えた。
「魔物と戦っていても、そう感じます。本気で攻撃をするのではなく、手を変え品を変え試し撃ちをして、私や子どもたちの使える魔法を調べているような気配がありました。」
「となると、ここの魔物は相当賢いですね。力と数でゴリ押ししてくれるのならまだ楽ですけど。」
「魔物は高い知性を持っています。この城内構造にも意図があるはずです。」
「知性ですか…確かに、戦闘技術はあると思いますが、知性はあんまり感じたことないなあ。でも、策を弄して戦えるということは、知性があるということか。」
辺りをぬかりなく警戒しながら、一行は城内を進む。どこも薄暗く、代わり映えのしない光景だ。時折魔物が出てきて軽くジャブを打って行くだけで、後は何の変化もない。
ちょっと退屈かも、と思いながらダスワルトは歩く。魔王城って、もっと恐ろしい魔物がうじゃうじゃひしめいて、入ってすぐに危険に満ちた戦いが始まるのだと思っていた。実際には、全然である。少々かすり傷を負ったくらいで、舐めておけば治るレベルである。
ダスワルトはちらりと傍らの双子を見上げた。こちらは緊張しているのか、褪めた顔色でぐっと奥歯をかみしめている。これに比べて自分はリラックスし過ぎであるようにも思う。足して3で割ったら丁度良さそうなのだが。
退屈だな。ダスワルトがもう一度そう考えたら、急に上からお叱りの声が降ってきた。
「こら、ダスワルト。この状況で、鼻歌など歌うんじゃない。」
父親が半ば呆れたようにこちらを睨んでいた。
「すみません、鼻歌なんか、漏れてましたか。」
「駄々洩れだ。」
全然自覚症状が無い。首を傾げていたら、件の勇者が抑えきれずに笑い声をあげた。
「君は本当に大物だな。良いよ、好きなだけ歌いなよ。身を隠しながら進んでいるわけでもないしね。僕は聞いていたい。」
「しかし…この子は音痴ですし。」
「それは確かにそうですね。見事にへたっぴだ。でも、良いじゃないですか。魔王城で、鼻歌。僕も歌おうかな。」
そう言って、その勇者は本当に歌い始めた。ダスワルトは知らない歌だったが、そのうちに母親も一緒に歌い始めた。母親を見上げると、母親はにっと笑って、ダスワルトの頭をごしごしと撫でた。
「ダシーは天才だね。みんなの緊張をほぐしちゃったね。」
ここまで来てそれはやめてくれとダスワルトは苦る。何の天才だよ、へたっぴな鼻歌が勝手に漏れるって。
だが、実際に周りを見回すと、同行の勇者パーティはしょうがないなあという顔で笑っているし、今にもおなかを押さえてトイレに駆け込みそうだった双子も表情が柔らかくなっている。ま、それならそれでいいか。とダスワルトはぼりぼりと頭を掻いた。
それから間もなく、一行の目の前には重々しい扉が現れた。いかにもこの奥には大事なものがあります、という佇まいである。
「分かりやす過ぎて却って警戒したくなるけど、今までの素直な流れで行くとこの奥に魔王がいるんでしょうね。」
件の勇者が呟いた。ここまでの道のりで分岐は無かった。引き返す以外の道は、この扉の奥しかない。
一行は黙って顔を見合わせ、頷き合った。各々武器に手をかけ、件の勇者が扉にゆっくりと力を掛ける。鍵は掛かっていない。扉は重々しい音で軋みながら開かれた。
中は広大な空間だった。空まで吹き抜けかと思うほどに天井は高く、奥行きも幅もたっぷりとしている。どこからか冷たい風も吹いてくる。足元も壁も平らな石が隙間なく敷き詰められ、塵一つ落ちていない。これまでの城内と同じく、余計な装飾も置き物も何もない。最低限の明かりだけが辺りを照らす、ただのがらんどうだ。
そのがらんどうの奥に、何かがいた。魔物の群れである。いきなり襲い掛かってくる様子は無い。どの魔物も身動きもせず、声も上げず、ひたすらにこちらを凝視している。
床に落とし穴でもあって、そこにおびき寄せたいのだろうか。と勘繰りたくもなるが、ここまでの道中の様子を鑑みるにその可能性は限りなく低い。念のために足元も警戒しつつ、一行はじわりじわりと魔物との距離を詰めた。
ふと背後にも気配を感じて振り向くと、いつの間にか、入り口側にも魔物が大挙していた。挟まれた、と誰かが呟く。しかし、前後どちらの魔物も、一向に動く気配を見せない。
前と後。二手に分かれて双方向を警戒する。何故、魔物は動かない。武器に掛けた手に汗がにじむ。




