第52話
「嫌です。」
母親に握られた手が予想通りに痛くなってきたけれど、ダスワルトは気にせずに父親に言った。
「ご飯食べたり、便所に行ったり、お喋りをしたり、本を読んだり、私がそんなことをしている同じ時間に、父さんと母さんが私の見ていないところで魔王と戦って、私の知らないうちに死んじゃったら、嫌です。」
「死ぬつもりは無いよ、ダスワルト。」
「でも、その可能性はとても大きい。そうでしょう、父さん。だから、私たちを連れて行きたくないんでしょう。こうやって、いっぱい説得しているんでしょう。父さんの言うことは矛盾している。絶対に勝つなら、私たちが同行したっていいはずだ。兄さんも姉さんも、私だって、ただの足手まといにはならない。」
母親の手の力が益々強くなってきたので、ダスワルトも力いっぱい握り返した。
「父さん、大人は誰もはっきり言わないから、子どもの私が代わりに言いますね。私は、父さんも母さんも、あの勇者の人たちも、みんな死んじゃうと思っています。一緒に行けば、兄さんも姉さんも、私も死んじゃうでしょう。それを分かっているから、一緒に行きたいんです。」
「ダスワルト、そんな我儘を言うものではないよ。」
「父さんだって、我儘を通したじゃないですか。討伐令が母さんだけに出ていたなら、母さんだけが出かけて、父さんは家で私たちを守るという選択肢だってあったでしょう。でも、二人で私たちを置き去りする方を選んだんだ。」
「ダシー…」
と、母親の声が聞こえたが、無視する。
「その判断は、父さんと母さんらしくて、そうしてくれて良かったと思います。もし、母さんだけを見殺しにするような人だったら、私は父さんをもう尊敬できなかったでしょう。…もっとも、それが伯父さん伯母さんの思うつぼで、調整弁とやらになるってのは、すごく腹が立ちますけど。生きてたら、いつか仕返しします。」
「…」
「だから、代わりに、私たちの最後の我儘を聞いてくれませんか。最後まで、一緒にいさせてください。」
お願いします、とダスワルトは頭を下げた。双子もそれを見て、深く首を垂れる。父母が同意してくれるまで、こうしているつもりだった。
父親はしばらく何も答えなかった。顔を下げているので、父親がどんな表情を浮かべているのかは分からない。いつの間にか、母親の手の力は緩んでいる。
どれほど時が経った頃か、父親の深いため息が聞こえた。
「一晩、考えさせてくれ。」
「父さん…」
3人は勢いよく顔を上げた。
「お前たちの意志は分かった。だが、すぐに答えは返せない。」
父親は苦い顔でそう言った。
ダスワルトはほーっと胸をなでおろした。最悪の場合、頭ごなしに叱られ、力ずくで荷馬車か何かに押し込められて、とりあえずこの町からほっぽり出されると思っていた。一旦保留とはいえ、父親に言葉が届いたらしい。父親の苦しげな表情を見ていると少し申し訳ないような気持ちも起きてくるが、そんなことに構う余裕はダスワルトにも無い。魔王戦の前に死力を尽くしきってしまったような心持で、ぐったりと力を抜いた。
「時に、ダスワルト。」
父親に呼ばれて、慌てて背筋を伸ばす。
「兄上と義姉上の会話を、何故お前が知っているんだ?子どもの前で話す内容とは思えないのだが。」
「えーと、その…たまたまです。伯父さんの部屋に用があって、入ろうとしたら、聞こえてきただけです。」
「随分長い間、たまたま聞こえたんだな。部屋の前で、聞き耳を立てていたね?」
「えーと…はい。」
「盗み聞きをするとは、どういう了見だ!」
ドカン、とまた要らぬところで雷が落ちた。今、そういう細かい話は放っておいても良いんじゃないかな、とダスワルトは思うが、それを言ったら火に油を注ぐだけである。粛々と、降り注いでくるお叱りを受けるしかない。
肩をすぼめて嵐に耐えていたら、隣にいた母親が大きな声を上げて笑い出した。
「本当に、ダシーはお父さんそっくりだね。」
「こら、ベリア。」
「あなたたち、知らないでしょ。今でこそこんな頑固な雷親父だけどね、昔はまー、色々やらかしたんだから、この人。しょっちゅうお祖父さまや伯父さまに怒られてたんだよ。お酒でも失敗してるし。懐かしいね、私も何度も介抱したなあ。」
ダスワルトは疑わしげな眼を母親に向けた。父親が酒を飲んでいるところは一度も見たことが無い。来客があったときの付き合いでさえ、茶か、酒に見える葡萄果汁を代わりに飲んでいたはずだ。てっきり、飲めない体質かと思っていたくらいだ。この厳格な父親がへべれけに酔っぱらう姿など、想像もできない。
「エディトとサディエがおなかにできたら、コロっと変わっちゃったね。まあ、理屈っぽいのは同じだけど。」
「父さんがやらかしたって、何をしたんですか?」
「聞きたい~?」
「やめなさい。何も無い。」
いつになく落ち着かない様子で父親が制止する。そのせいで却って母親の話の信憑性が増す。
結局、3人にねだられるまま、母親は父親の昔の姿を語った。父親は初めは困って文句を言いかけたが、それ以上は止めるでもなく、諦めたような苦笑いの表情で家族を眺めている。
普段、自分が叱られている内容をこの父親が自らしでかしていたとはダスワルトには俄かには信じられず、別の人間の話を聞いているかのようだ。だが、父親のあの様子を見る限り、事実なのだろう。当然だが、ダスワルトの記憶にある日々においては、父親はそんなヤンチャは一切やらない。子どもたちの規範たる姿しか見たことが無い。
もし、自分も長生きして、誰かと結婚して、子どもができたら、この父親のようになれるんだろうか。悪事には容赦なく雷を落として、自分は背筋を正して、真直ぐに子どもを導いて行けるんだろうか。そう思いながら、兄と姉を見る。兄はあれで気の弱いところがあるから、無理かもしれない。姉は芯がしっかりしているから、子どもも夫も引っ張っていくだろう。自分はどうだろう。そんな未来が、有るんだろうか。




