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異世界転石の先  作者: 七田 遊穂
第4章
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第50話

 足音が遠くなり、聞こえなくなっても、父親は沈黙したままだった。視線を落とし、何かを考えているようだ。父親が子どもたちに話をしている間は、基本的に母親は何も言わない。時計の針の規則正しい音だけが聞こえる。


 簡素な木の長椅子に座り続けている尻が痛くなってきて、ダスワルトはもぞもぞと動いた。怒られるかもしれないが、立っていなさいと言われる方がマシだ。案の定、ダスワルトの動きに気付いたのか、父が顔を上げた。来るぞ、と思ったけれど、それより先に口を開いたのは兄だった。


「父さんに魔王討伐令が出ていないというのは、本当ですか。」

「本当だったが、今は本当ではない。」


 父親の言葉に、兄は首をかしげた。


「どういう意味ですか?」

「当初は、指令を受けたのはベリアだけだった。兄上は、私には国に残るように勧めた。だが、私は自分にも指令を発してもらえるように手配した。だから、今では魔王討伐令を受けている。」

「母さんが勇者免許を返納するという手段は考えなかったのですか。伯父上がそれも妨害したのですか?」

「エディト、兄上はそんな人ではないよ。お前たちは少し誤解しているようだがね。ただ、もし免許を返納していたら、ベリアは魔王城ではなく、戦地に送られていただろう。」


 この世界には複数の国家が存在する。国と国は、いつの世でも、どこの世界でも、争うものである。当然、この一家の故郷の国でも、隣国との小競り合いがある。総力を挙げた全面戦争で相手を滅ぼし尽くす、という勢いは当然無い。やりたいのは山々だが、一方の戦力が他方を圧倒しているわけでもなく、そこそこの均衡でやじろべえのようにふらふらしている状態での総力戦は、お互いに消耗が激しくて非効率的である。領土の端っこのどちらに帰属するともつかない曖昧な土地や、歴史上何度も支配者が交代している要所で、実効支配しようと攻め込んだり攻め込まれたりしている。魔物との諍いとは別に、人間同士の戦は常に存在しているのである。


「勇者を管轄しているのは、我が国では軍部だ。勇者免許を自主返納した場合、返納の事由によっては自動的に軍部の他の所属に置き換えられる。それは、エディトとサディエは習ったね?」

「はい。免許を取るときに勉強しました。」


 あ、そうなんだ、いきなり無職になるんじゃないんだ、とお勉強前のダスワルトは思う。でも、軍に強制的に入れられるくらいなら無職の方が良い。


「魔王討伐令の拒否も、軍属になる事由の一つだ。それは、兄上とは関係無い。明文化された規定だ。」

「伯父上は、それで母さんを脅したんですか。戦地に行きたくなければ、魔王城に行け、と。」

「脅してはいない。そもそも、軍属になった元勇者の人事権が兄上にあるかどうか、私には分からない。いずれにしても、現実に、討伐令拒否者の多くは前線に送られている。それはベリアに限った話ではない。魔王討伐を拒否した者に安全な後方勤務を与えるような人事は、譬えその権限があっても、兄上の性格では認められないだろう。」


 伯父はこの父親以上に厳格で、かつ冷徹である。魔王城で死ぬの嫌っす、と白旗を上げて逃げ帰ってきた勇者に、緩くてまったりした安全な職場を斡旋するような手ぬるい真似はしない。魔王城と同等か、それ以上に危険な任務を与えてこその公平だ、と考えるタイプだ。それは子どもたちにとっても想像に難くない。


「ですが、そもそも母さんを魔王討伐の対象に推挙したのは、伯父上なんでしょう。」

「兄上は、勇者を管轄する部署では直接の人事権を持っていない。ああいう行政機関は、縦割りだからね。」

「直接の権限は無くても、間接的に口は出せるんじゃないですか。先ほどの方も、幼い子のいる勇者が選ばれるのは異様だと、おっしゃっていたではありませんか。伯父上は、母さんを疎んじておられるから、亡き者にしようと…」

「エディト、口を慎みなさい。」


 父親にぴしりと窘められ、兄は口を閉ざした。


「軍部が何の思惑によってベリアを選出したのか、それは私にも想像の域を出ない。だから、お前たちにも憶測は語らない。だが、兄上は、個人的な好悪だけで人の命を秤にかけるような人ではないよ。そこは間違えないでくれ。」

「はい…。」


 父親に諭された兄は、肩をすぼめてうつむいた。このままでは、伯父は冷厳ではあるが公正であり、悪だくみするような人間ではないのだから、諦めて伯父の家に帰れ、という結論で終わってしまう。


 そうはさせじと、ダスワルトは尻をもぞもぞさせ続けながら口を開いた。


「でも、父さん。伯母さんが言ってました。この家を守るためには、父さんと母さんに討伐令を出して当然だって。この家って、伯父さんの家ですよね。理屈は分からないですけど、伯父さんの保身のためなんじゃないんですか。」

「…お前はさっきから、何をごそごそしている。手洗いに行きたいなら我慢せずに済ませてきなさい。待っていてやるから。」


 折角の反撃に、呆れたような父の声が返された。しくじった、とも思ったが、それならそれで、もう限界だから丁度いい。


「すみません、便所じゃなくて、椅子が硬くて尻が痛くて。立ってて良いですか。」

「ダシー、こっちおいで。お膝に乗せたげる。」


 母親が声をかけてきた。母親が父親の話の最中に割って入るのは、珍しい。けれども、もうお母さんのお膝の上という歳でもない。ダスワルトは顔をしかめた。


「嫌ですよ、恥ずかしい。」

「恥ずかしがることないじゃん。家族しかいないんだから。」

「嫌ですってば。」

「こら。言うことを聞きなさい。私が抱っこしたいんだから、ダシーの希望は聞いてないの。」

「無茶苦茶だ…。」


 ちらりと父親の方を窺うと、おかしそうに笑うばかりだ。双子もにやにやしている。ちぇっ、と舌打ちをして、ダスワルトは渋々母親の膝の上に腰かけた。ぎゅう、と腕で抱きかかえられる。日々剣を振るい、全身が硬く筋肉で引き締まっている母親ではあるが、こうして触れていると柔らかさに包み込まれるようだ。


「母さん、重いでしょう。やっぱり、降りますよ。」

「しばらくこのままでいなさい。」


 この状態で、真面目な話を真面目に聞けるだろうか。尻は痛くないし、温かいけれど、全然落ち着かない。もう少ししたら、便所に行くふりをして降りよう、とダスワルトは決意した。

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