第47話
小腹が減った。懐を確認すると、路銀にはまだ余裕があった。金を出して宿に泊まらずに、納屋だとか百姓小屋に泊めてもらったからだ。兄と姉は嫌がったが、そのおかげで余裕が生まれたのである。それならば、とダスワルトは物珍しい菓子を一つ露店で買い求めることにした。ここまでがむしゃらに頑張ったのだから、これくらいの贅沢は許されるだろう。
「ねえ、おじさん。ここは魔王城が近いでしょう。魔王を見たことのある人って、いないんですか?」
薄焼きの生地をくるくると巻いた菓子に齧りつきながら、ダスワルトは店主に尋ねた。中にバターと砂糖と肉桂、それに、チーズだろうか、香ばしくて甘い茶色いものがたっぷり巻き込んであって、甘くてコクがあって美味しい。
店主はへへっと笑うと、小馬鹿にするような目を路地の奥に向けた。
「そう言い張る奴はいるけどね。誰も信じちゃいないよ。」
「誰か、魔王と戦って、生きて帰ってきたんですか?」
「いやあ、そうでもないみたいだよ、話が本当ならね。」
「聞いてみたいなあ、その話。」
「やめときな、ただの大ぼらだよ。それで客を集めて何とかしようって魂胆だったんだろうけどね、逆効果だよなあ、あれでは。つくならもう少しましな嘘つかなきゃな。」
「それはそれで面白そうだなあ。その人の家、教えてくれませんか?」
どうせしばらくは暇なので、ダスワルトはそのほら吹きの家に寄ってみることにした。兄と姉の分のお菓子を手に持って、ぶらぶらと路地に入り込む。教えられた家は、あまり流行っていない感じの帽子屋だった。店内に見える帽子も、ずいぶん長いこと売れ残っているのか、くすんだ色をしている。
「こんにちはー。」
そんなことを気に掛けるそぶりを見せずに、ダスワルトは爽やかな声をかけて店内に入った。埃っぽい匂いが鼻腔を突く。然して広くもない店の奥から、応答が聞こえた。
「いらっしゃい。」
痩せた男だ。若者ではないが、中年と呼ぶにはまだ早い。立ち上がってダスワルトの方に近付いてきたが、片足を引きずっている。
「何かご入用かな?」
「すみません、帽子は要らないんですけど、魔王の話を聞きたくて。」
ダスワルトがストレートにそう言うと、店主は途端に商売用の愛想をかなぐり捨てて、不快そうに顔を歪めた。唾でも吐きかけてきそうな勢いだ。
「その話なら、もうしないと決めた。誰も信じちゃくれないし、馬鹿にされるだけだからな。」
しっしっと野良犬を追い払うように手を振られ、出て行けと言われる。なるほど、この店主は心に傷を負ったらしい。あの菓子店のおじさんの目つきを思い出して、ダスワルトはうむうむと内心で頷く。同情して見せてもいいだろうが、ガキに何が分かると切れられる可能性が高い。ここは、泣き落とし系だな、とダスワルトは理解する。
「私の父母は勇者なんですが、先日魔王討伐を命じられ、もう間もなく発たねばならないんです。」
ダスワルトはうつむき加減にか細い声を出した。
「だから、少しでも情報を得ておきたいんです。どうか、教えてくれませんか。」
上目遣い。すこし、涙目。
男は振り向き加減でそのダスワルトの表情を見て、口をへの字に曲げた。しばらく、意味もなく店内の帽子を眺めまわしたりしていたが、そのうちにダスワルトの方を向いてどさりと椅子に腰かけた。ダスワルトの勝利だ。
ふうう、と口から細く息を吐いてから、店主は口を開いた。
「魔王はな、人間だ。」
「は?」
「黒髪の、黒い瞳の、色が白くて線の細い女だ。んで、あれは多分、つわりだな。って、つわりはガキにゃ分からんか。おなかに赤ちゃんのいる女が、具合悪くなるやつだよ。」
「赤ちゃん?」
「俺が会ったとき、やたらオエオエと吐いてたんだよ。もう胃袋は空っぽで、何も出ないんだけどな。うちの女房に子どもができた時と、そっくりだったぞ。」
さしものダスワルトもしばし言葉を失って、反応に戸惑った。
「そんな人が魔王だと、どうして分かったんですか?見た目じゃ分からないですよね。」
「自分でそう言ったんだよ。私は魔王だって。他の魔物もそう呼んでたしな。まあ、魔王って名前の人間なんじゃないのか。名前だけなら、何とでも付けられるだろ。」
「あなたは勇者だったんですか?」
「いや、免許は無い、ちんけな盗賊だったよ。勇者が魔王城に入って行った隙を突いて裏側にこっそり潜り込んで、財宝だけ頂戴しようと思ったんだ。そこで、そいつに遭ったわけだ。んで、俺はその後すぐトチって、魔物に掴まって、ドラゴンに空から落とされて、このざまだ。」
そう言って、店主は動かない片足を指し示した。
「そいつがその後どうなったのかは、知らない。勇者が入って行った後なんだから、魔王は勇者と戦ってるだろ。城の裏にいるはずはねえんだ。あんなへぼいのが魔王なわけないし。やっぱり、魔王って名前の人間だよ、ありゃ。本物はきっと別にいるんだろうが、そっちは俺は知らない。」
「でも、何でそんな人が魔王城に?」
「知らねえよ。影武者かなんかじゃねえの。そいつ、魔王は弱っちいって喧伝しとけって言ってたぞ。意味分かねえだろ。俺だって、信じられないよ。だけど、喋らずにいられないだろ、こんな経験。で、ぺらぺら話して回ったら、まあ、ほら吹き呼ばわりだわな。」
ほらか、本当の話か。この店主の様子からすると、ほらとは思えない。が、嘘を何度も話しているとそれが真実であると思い込んでしまう人間もいる。その手合いである可能性は捨てきれない。
が、どちらにせよ、魔王討伐に役立つ情報ではなさそうだ。魔王城には、変な人間がいる。ただそれだけのことではないか。本当にいても、実はいなくても、魔王討伐には関係無い。魔物に加担する人間が存在するというのは気に入らないが。
しかし、そんな思いを表に出すダスワルトではない。
「貴重なお話、ありがとうございました。」
丁寧に頭を下げる。
「あんたのご両親の役に立つような話じゃなくて、悪いな。」
「いえ、とても興味深いお話でした。」
礼儀正しい笑顔を浮かべて、ダスワルトは帽子店を辞した。聞いた話を双子に話そうかどうしようか迷ったが、宿に戻ると兄姉は呼びかけても目を覚まさないほど深く眠りこけていた。まあ、いいか。こんなくだらないヨタ話は。夕食の時間になっても双子がちっとも起きる気配を見せないので、ダスワルトも手土産の菓子をぱくぱくと二つとも平らげて眠ってしまった。




