第44話
バリバリと頭を掻きむしって、それでも覚悟を決めて、ダスワルトは伯父の書斎の前に立った。ノックしようと片手を上げて、筋肉が固まり、うーんとうなって腕を下ろす。そんなことを繰り返す。そうしているうちに、部屋の中から会話が聞こえるのに気づいた。誰かがいるなら、撤退した方が良い。邪魔をするとまた怒られる。そう思って踵を返しかけたところで、兄と姉の名前が出てきたので立ち止まった。
「あの二人はもう15歳です。軍の所属にして訓練兵の寮に入れてしまえばいいではありませんか。この家に置いておかなくても。」
伯母の声だ。伯母は反抗的な甥姪を毛嫌いしているから、いかにも言い出しそうなことだ。
「弟と約束をした以上、1年は待つ。」
これは伯父の声だ。
「どうせ、あの子たちの親はもう帰って来ませんよ。あなただって、そのために送り込んだんでしょう。」
「人聞きの悪いことを言うな。弟には元々魔王討伐の命は下っていない。行くと言い出したのはあいつだ。魔王城で死ぬのも自業自得だ。」
「そうなるのを分かっていての人選でしょう、あの女を推挙したのは。」
ははあ、とダスワルトは声に出さずに考える。あの女とは、母親のことだろう。お子様のダスワルトには理由は分からないが、伯父も伯母も、母親を好ましく思っていない。子どもたちの前では批判めいた言葉を口にしないが、言葉尻や目つきには隠しようもないほどに嫌悪感が滲み出ている。母親もそれを分かっているのか、伯父の家には極力近付かない。
そう言えば、兄が言っていた。魔王討伐の対象に母親が選ばれたのは、伯父の陰謀だと。やはり、そうなのか。
「誰が実の弟の死を願うものか。下らない憶測で物を言うな。」
「いつもおっしゃっているではありませんか。中途半端な学者面をしていないで、軍に帰属するか、勇者として国に貢献するか、どちらかにして欲しいと。勇者として国に貢献、とは、調整弁になるという意味ですものね?」
いや、それ、どういう意味?とダスワルトは思ったが、聞くわけにもいかない。息を殺して耳を澄ますだけだ。
「お気を悪くなさったのなら、申し訳ありません。あなたを非難しているつもりはないのです。私はむしろ、あなたのなさりように賛同しています。この家を守るためには、あの二人には魔王討伐令を出して当然です。私はただ、あの子たちが手に負えないだけです。」
「今はまだ、親の影響が強いだけだろう。別れて間も無いのだから。あの二人も、ダスワルトも、育て方さえ間違えなければ軍で十分に使える人材になる。あまり邪険にするな。」
「ですが…」
「親が死んだと分かれば、あの子たちも諦めが付くだろう。あと数カ月の辛抱だ。我慢してくれないか。」
「ええ…そうですね、分かりました。魔王城から生きて帰ることなんてありえませんものね。」
そんなことはない。あの二人は、必ず魔王に勝って、帰ってくる。そう言いたいけれど、ダスワルトはぐっとこらえる。
「死亡確認はどこで行うのですか?速達を出せる町かしら。一刻も早く知りたいのですけれど。」
伯母の問いに、伯父がある都市の名前を答えた。聞き覚えがあるけれど、場所までは思い出せない。こんなことなら、父親から教わった地理の内容をちゃんと復習しておくんだった。と悔しくなるが、後で調べれば良いと思い直す。
「そこなら、速達を出せますね。少しホッとしました。」
何をほっとしていやがる、とダスワルトはむかむかしてしょうがない。父母が死ぬと確信しているのも、それを早く知りたいと願っているのも、胸糞悪い。
「本当に、魔王様様ですね。要らない勇者を片付けてくれるんですもの。…あら、失礼いたしました。口が過ぎましたね。」
「いい加減にしろ。魔王を称賛するなど、聞くに堪えん。もう下がれ。不快だ。」
伯父の声が聞こえて、ダスワルトは足音を忍ばせて退散した。こんなタイミングで、伯父の部屋の前で、伯母と鉢合わせるわけにはいかない。
自分用に与えられた小部屋に戻ろうと思ったが、ダスワルトはすぐ隣の兄の部屋に寄ることにした。まだ眠るには早い時間だから、おそらく姉もいるだろう。ノックをしてから入ると、案の定、二人が草臥れたような表情をして、部屋のあっちとこっちで放心していた。きっと、今日も実りの無い話し合いに明け暮れていたのだろう。
「父さんと母さんが、魔王城の手前で最後に寄る町がどこか、知りたくないか?」
ぼそり、とダスワルトが小声で言うと、双子の目ががばりと身を起こした。
「今、伯父さんと伯母さんが話しているのを聞いた。父さんと母さんの死亡確認をどこから出すのかって。死亡確認って、何だ?」
何となくそれっぽいので確信を抱いた気でいたが、まだ勇者免許には程遠い年齢のダスワルトにはよく知らない大人社会のルールが沢山ある。まずはそれを確認すると、兄と姉が説明した。
「魔王城に行く勇者は、魔王城に行く直前の町の役場で所定の申請書を出すことになっている。死亡率が高いから生死の確認のためもあるけど、魔王討伐の報奨金を得る時にもその申請書が必要になる。」
「そんな規則を忘れてすっぽかす奴もいるみたいだけどね。父さんたちみたいに、国から指示を受けている勇者なら事務手続きは忘れない。忘れたら逃亡扱いだもの。」
「一定期間を経て、その申告者が戻って来なければ死亡扱いになる。そうすると、予め指定しておいたところに連絡がいくようになっている。それが死亡確認だな。」
こういった事務手続きは勇者免許取得時の試験に出題されるが、ダスワルトは流石にまだそこまで勉強していない。7年後の試験のためのテスト勉強など、今しても忘れる。
「じゃあ、間違いないな。私が聞いたのは、父さんたちが最後に寄る町なんだ。」
「盗み聞きとは、お上品な趣味だな。」
兄がにやりと笑った。
「どこだ?教えろよ。」
「条件がある。分かってるだろ?」
ダスワルトがそう言って睨むと、兄はむっつりと黙った。




