第38話
翌日、びくびくしながら受けた試験は辛うじて及第点を取り、ダスワルトはほっと胸をなでおろした。ここでろくでもない結果だったら、今日は一日缶詰めになるところだった。これで今日は安心して、剣術の稽古ができる。
ところが、うきうきした足取りで母親のもとに向かうと、母親はかっちりとした衣服に身を包んで髪を整えているところであった。万事に大雑把なダスワルトと似ている母親は、普段は楽ちんで動きやすくて汚れても気にならない物を身に着けている。寝ぐせも気にしない。今のこれは、よそ行きである。それも、近所の市場とかではない。
「母さん、お出かけですか。」
「ああ、ダシー。ごめんね、急に伯父さまから呼ばれて。お父さんと出かけてくるから、3人でお留守番頼むね。帰ってきたら、ちゃんと稽古つけてあげるから。」
1年に数度見かけるか見かけないかの耳飾りを揺らしながら、母親は硬い手の平でダスワルトの頬をそっと撫でた。ふと振り返れば、いつの間にかよそ行きの服に着替えた父親が立っていた。もっとも、父親は母親と違って、いつもこぎれいな身なりをしている。着替えなくても良いんじゃない?とダスワルトは思うのだが、何かが違うらしい。
母親の言った伯父さまとは、父親の兄である。父親の家系は、国軍の上級幹部を輩出しているそこそこの名門だ。伯父さまと呼ばれた兄が家督を継いだが、弟で学者肌の父親は軍には属さずに勇者になることを選んだ。軍を避けたのは母親と結婚するためだとも聞いたことがあるが、その辺りの大人の事情はダスワルトにはよく分からない。とりあえず、父と母の仲はとても良い。
何にせよ、伯父の家にはよそ行きの服が必要な格式がある。ダスワルトはできるだけ近付きたくない家だ。例によって母親がダスワルトの天才アピールをして、うっかり伯父から軍に誘われたりしたら嫌だな、と考えている。父親も躾にはうるさいが、伯父ほどではない。伯父の家で暮らすなんて、考えただけでもさぶいぼが立つ。
父母を見送ると、特にすることが無い。本を読んでも良いけれど、テストが終わったばかりなのにまた勉強するようで気乗りしない。とりあえず小腹が減ったので、台所から桃を持ってきて齧りながらぶらぶらしていると、双子が魔法の練習をしているのが見えた。ダスワルトには全く魔法の素質が無いが、暇つぶしがてら観察することにする。
双子は分厚い魔導書を開いて、何やら懸命にやっているが、はたから見ていると何も捗っていない。桃を食べ終わっても、何の変化もない。桃の種をゴミ入れに棄てて、戻ってきてもなお変わらない。邪魔するのも悪いかと思って静かにしていたが、あまりに退屈過ぎて、黙っていることができなくなった。
「なあ、何してんの?」
声を掛けると、分かりやすいほどびくっとして、双子がこちらを見た。
「何だ、ダスワルトか。びっくりした。」
「だから、何してんのさ。」
「そのー、まあ、魔法の練習。」
「さっきから全然何にも起きないじゃん。何の魔法?」
ダスワルトは近付いて魔導書をチラッと見てみた。文字は読めるが、魔導書の内容はさっぱり分からない。何の魔法だか見当もつかない。本のタイトルを見れば分かるかな、と思ったが、兄がものすごい勢いで本を閉じて両腕に抱え込んでしまったので、見られやしない。
「兄さんは隠し事が下手だな。何か、やっちゃいけないことしてるんだろ。」
「いや、別に。」
「大方、父さんにダメって言われてる魔法だろ。」
「何で分かるんだ。」
「その様子で分からない方がおかしいよ。」
「お前、変なところで鋭いよなあ。」
兄は観念したように、懐から本を出して机に置いた。どれどれ、とダスワルトは題名を読んでみたが、読めても意味するところは理解できなかった。
「空間操作の技術と習得。って、何。」
「ダスワルトは分かんなくていいよ。」
と姉が言うので、意地悪く答えてやる。
「そんなに悪い魔法なのか。父さんに言いつけるぞ。」
「悪くないよ。使えたら便利だよねー、って感じ。」
便利な魔法なら、父がわざわざ双子に禁じる理由が分からない。双子の魔法の才能はかなりのものだ。向学心も旺盛である。双子が望むものは何でも教えているのだろうと思っていたが。
「どんな魔法なの?」
「色々あるけど、空間転移って言って、一瞬で遠くに移動できたり物を運べたりできるんだ。」
「そりゃ、便利そうだな。何で使っちゃいけないのさ。」
「すごく難しいんだよ。」
ほら、と言って姉が小石を差し出した。どこにでも転がっていそうな石だが、不自然にえぐれたような断面がある。
「丸ごと移動させようと思ったら、失敗してこうなった。これが人間なら、死んでるでしょ。」
「じゃあ、やめといたら。」
魔法に興味の無いダスワルトはあっさりしている。双子は顔を見合わせて、これだからこいつは、とため息を吐いた。
「そんな危ないことしなくても、歩いて移動すれば良いし、手で持って行けばいいじゃん。」
「じゃあ聞くけどさ、この石が魔物だったら、どうよ。」
姉に問われて、あっそうか、とダスワルトは納得した。使い方次第では一瞬で相手を屠れる。
「でも、まあ、そういうことをするのに必要な調整が全然できないんだけどね。」
「父さんに任せればいいじゃん。」
「父さんでも難しいの。魔力もすごく使うし、時間もかかるし。でも、私たちなら二人で分担できるからさ、何とかなるんじゃないかって思ってるんだけど。」
双子は楽器で二重奏を弾くように、二人で一つの魔法を使うことができる。手間暇のかかる魔法も二人がかりで仕上げれば所要時間が短縮できるし、負担も半分で済む。そのはずなのだが、難航しているのが現実である。双子は調子のピッタリ合ったため息をついて、肩を落とした。
「じゃ、やめとこうよ。」
また同じことをダスワルトに言われ、今度は力なく半眼で弟を見遣る。
「父さんだって、兄さんと姉さんの連携技は知ってるだろ。その上で、使うなって言ってるんだから、本当に危ないんじゃないの。」
「でもなあ。ここに魔導書があるってことは、いずれは学べるってことだろ。実戦は危険だとしても、早いうちに練習した方が良いじゃないか。」
「父さんにそう言って説得してみればいいじゃん。」
正論を返されて、兄と姉はどことなく気まずそうに顔を見合わせた。父親を説得するのは非常に難しい。理詰めでこんこんと説かれて、こちらのやる気をくじかれる。感情に任せて駄々をこねようものなら、頭を冷やせと暗い倉庫に放り込まれて、ごはん抜きにされる。乗り越えることも突き崩すこともできない鉄壁である。
しかし、兄と姉の様子は、どうもそれだけが原因ではないような気がする。何かまだ隠していることがあるような。匂うぞ、匂うぞ、とダスワルトは目をすがめた。




