第37話
「その辺りからが、百年戦争の始まりだ。何か具体的なきっかけや事件があったわけではないから、きっかり何年からとは言えない。魔物も窮地に追いやられて必死だったんだろう、イェメナを取り返そうとする魔物と人間の紛争が頻発するようになった。諸国で協働して勇者たちを送りこみ、奮闘したが、争いは長く続いた。」
「百年間?」
「そう、およそ百年。それに終止符を打ったのが、最後の大戦だ。そこは覚えているかな?」
「はい。恐ろしい魔王が数多の軍勢を引き連れて天から降臨し、絶大な魔力で地上の人間を滅ぼしました。」
それを聞いた時、魔王というのは神様みたいに登場するんだな、と思ったけれど、怒られそうだから父親には話していない。
「そう。人間側も正念場だと考えて、総力を挙げて人員も物資も注ぎ込んでいたんだが、魔王率いる魔物勢には敵わなかった。奮闘むなしく、魔王も倒せず、ほぼ全滅の状態で潰走した。その時に、我々は完全にイェメナを失った。」
「それまで人間が押していたのに、何故急にそんなにやられてしまったんですか。」
ダスワルトに尋ねられて、父親は天井を見上げてうーんと唸った。
「やはり、魔王の存在ではないかな。生き残った人の証言によると、恐怖を具現化したような存在だったらしい。凄まじい魔力を持ち、武器による攻撃も届かず、圧倒的な力で勇者たちを殲滅していったそうだ。それだけでも十分な脅威だが、そんな存在が王として率いていたら、配下の魔物たちの士気も上がってしまうだろう。」
「じゃあ、いつも魔王が戦っていれば、イェメナなんてあっという間に魔物に取られていたんじゃないですか。なぜ出し惜しみしたんでしょう。」
「それは謎だな。」
父親は腕を組んで深く頷いた。
「魔王は確かに存在する。それは、数多くの勇者の証言で確かめられている。だが、歴史には魔王はほとんど出てこない。その大戦以外の戦でも目撃事例はあるけれど、多くは無いんだ。お前の言うとおり、毎度毎度その恐怖の大王が出しゃばっていたら、我々はかなり苦しい立場に追いやられているはずなんだがな。」
「自分で戦うのが怖いんですね、きっと。部下にやらせて、ふんぞりかえってるんですよ。」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。」
「でも、魔王を討伐したっていう勇者が時々褒美をもらってますよね。あれは何ですか。」
「別の魔物のようだな。何しろ、魔王のことは何も分かっていないに等しい。見た目すら分からないんだ。それっぽい魔物を討伐して国に差し出せば、魔物を見たこともない役人を騙すことくらいできるさ。」
「じゃあ、どこかの勇者が知らないうちに魔王を倒しちゃってるんじゃないですか。魔王がうんこみたいな見た目だったら、気付かないですよね。」
ダスワルトがそう言うと、父親は愉快そうに声を上げて笑った。
「うんこでは、恐怖は抱けんなあ。」
くくっ、と笑いをこらえて、父親は言う。
「魔物はイェメナからも世界中のあちこちからも消えていない。それが、誰も魔王を倒せていないという証拠だろうね。」
「魔王を倒したら、魔物はいなくなるんですか?」
「誰も倒したことが無いから分からないが、そうだと思いたいな。」
ダスワルトはどこかが腑に落ちない表情で黙った。もし、万一、魔王を倒しても魔物がいなくならないのなら、うんこ魔王をうっかり誰かが倒していたところで気付きようがない。魔物がいなくなっていないからうんこ魔王は倒されていないという理屈は、肝心のところで抑えが利いていないんじゃないか。
自分が魔物であるなら、とダスワルトは考える。強い魔王がいるなら使わない手はない。自分が魔王の部下なら、魔王をおだてて戦に出てもらうだろう。面倒ごとは部下に全部やらせる偉ぶった王様なのだとしても、自分の領土がどんどん敵に取られていくのは面白くないはずだし。そして、もし自分が魔王なら、迷わず手当たり次第人間を攻撃して領土をぶんどる。そうしないということは、やはり魔王は見た目うんこで、既に亡き者になっているか、あるいは。あるいは、何だろう?
魔王が強いなら、なんで窮地に追いつめられるまで、魔王は指を咥えて待っているんだろう。理解できない。やっぱり、魔物は人間とは違う。どこかがおかしいんだ。おかしいくせに、追い詰めると人間に害をなす。
「魔物は滅ぼさないといけませんね。」
「急にどこから出た結論だ。」
父親はまた面白そうに笑い声をあげた。
「お前は時々深いことを見抜くくせに、結論は短絡的だな。」
「父さんは、魔物はいても良いと思うんですか?」
「そうは言わないよ。魔王を倒して、魔物を駆逐し、平和をもたらすのが我々勇者の務めだ。だが、理解しようとすることは大事だ。何故魔物がその行動をとったのか、魔王や魔物は何を考えているのか、をね。」
結論が同じなら、理解しても短絡的でも何でも同じじゃん、とダスワルトは内心で口をとがらせる。弁の立つ父親に反論しても敵わないので、何も言わないが。
父親はダスワルトがちまちまと書き上げたメモをじっくり検分し、あちこちの綴り誤りを指摘してから宣言した。
「明日、試験をしようかな。」
「うへえ。」
「魔物と人間の歴史は長いが、古いところは資料も少ない。はっきりしているのは百年戦争の少し前くらいからだ。大事なところだから、ちゃんと覚えておきなさい。」
はあい、とダスワルトはやる気の無い返事を返した。まったく、魔物がいるせいでテストまで課される。魔物、滅ぶべしだ。
机の上を片付けながら、ダスワルトは文句を言うように父親に尋ねた。
「魔物っていつから湧いて出るようになったんですか。ずっと昔からいるんですか?」
「そうでもないみたいなんだが、始まりはよく分かっていない。魔物に会ったら、聞いてごらん。」
「えー。」
こうやって、父親も真面目な顔をしてダスワルトをおちょくる。自分は魔物に会えば一も二もなく攻撃魔法を唱えて殲滅しにかかるというのに。どうも、ダスワルトは家族じゅうのおもちゃにされているような気がする。




