第34話
「ここが、魔物に襲われたっていう屋敷の跡地か。」
腰に剣を下げた不精髭の若い男が、ぼりぼりと枯草色の頭を掻きながら言った。目の前には、公園と呼ぶには雑然とした、草も木も明らかに手入れ不足な空き地が広がっている。形だけベンチや遊具が置かれているが、使う者とていない。ところどころ、何かを穿り出そうとしたのか、穴が掘られている部分も見られる。まったくの野放図ではないが、町の一等地であるにもかかわらず、持て余されて見て見ぬふりをされている気配がある。
「もう、20年くらい前だね。魔物を捕まえて奴隷にしていた商人が、魔王に復讐されたんだ。」
不精髭の男の横には、初老の男が立って懐かしそうに空き地を眺めている。魔物の襲撃直後は町人同士も、物珍しさに観光に来る客も、魔物の情報を求める勇者たちもこぞって話を聞いてくれたものだが、もうすっかり事件は風化している。折角の目撃談も語る機会が乏しい。久しぶりに客人が話を聞きに来たので、すっかり舞い上がって聞いてもいないことをべらべらとまくし立てている。
「へー、花火ね。そりゃ、愉快だな。」
「そうそう。でも、あの花火師も人間だと思うけどねえ。魔物に協力する人間って、いるのかい?」
「そりゃ、広い世界のどっかにゃいるんじゃねえの。いたら、私みたいな稼業の人間にとっては厄介だがな。」
不精髭の男はけだるそうに空き地に入り、誰かが掘り散らかした跡を眺める。
「ああ、金塊が残ってやしないかと、掘るやつがいるのさ。」
「え、あるの?」
不精髭の男が勢い込んで食いつくが、初老の男はへへへと意地悪く薄ら笑いを浮かべる。
「無い、無い。魔物と一緒にぜーんぶ消えちまったさ。実を言うと、事件の後で私も掘ったがね、骨しか出てこなかったよ。気持ち悪くて、やめちまった。」
「どんな骨だ?」
「私が見つけたのはあらかた燃えて崩れちまってたからよく分からんがね。片づけをした消防団の話だと、こう、すぱっと胸のあたりで綺麗に泣き別れてるのが折り重なってた部分があったらしい。魔物ってのは怖いもんだねえ。」
「へえ、骨まですぱっと、ねえ。」
「あんたも、そんなのを相手にしてるのか?おっそろしいねえ。」
「ま、一応勇者だからな。それで飯食ってるんだから、しゃあねえよ。」
不精髭の男は気が無さそうに鼻を鳴らす。人間の平和な世を築くため、魔物を討伐し駆逐することを使命とするのが勇者である。伝説的な選ばれし存在ではない。大工やパン屋と同じく、職業の一つだ。
「んで、とっつぁんは、魔王は見たの?」
「見た、見た。」
「どんな奴だった?」
「真っ赤な肌で、頭に角が生えてて、筋肉がこう、鎧みたいにいかついんだ。目が合ったけど、ぶるっと震えが来てチビりそうだったよ。」
「ふーん。昨日話を聞いたやつは、黒い翼が生えている魔物だったって言ってたけどな。どっちなんだ。」
「あー、そういう説も有るね、確かに。」
実際には、そういう説が何種類も流布していた。屋敷を襲った魔物がやじ馬たちに対してご丁寧に自己紹介をしてくれるはずもない。魔物の近くにいてその会話を聞くことのできた者は皆殺しになっている。よって、正確な情報は町人には全く伝わっていないのだ。遠巻きに眺めていた連中が、各々それっぽいと思った魔物を魔王だと言いふらしているにすぎない。不精髭の勇者があそこの飲み屋ここの飲み屋で拾い聞きした情報もてんでばらばらだ。そもそも、魔王がいたかどうかすら確証はない。何だか分からんが強そうな魔物がいっぱいいたのだから魔王もいただろう、いて欲しい、いたに決まっている、というノリだ。
「屋敷の生き残りは、本当に一人もいないのか?」
「いない、いない。商人一家だけじゃなくて、使用人から警備兵まで、きれいさっぱり。まあ、館の中にいた連中は死体が焼かれちまってるから、誰が死んだのか判別できてないんだけどね。商人と使用人はともかく、警備兵なんて死んだ奴の名前も分からんのよ、実際のところ。」
「そりゃまた、随分と憎まれたもんだな。」
「魔物が残酷なんだって。あいつら、血も涙もないんでしょ。」
「ぶったぎりゃ血は出るぞ。」
「そういう話じゃなくて。」
「けどさ、屋敷の人間以外は誰も死んでないんだろ?こんな住宅密集地なのに、延焼も無くて。血も涙もあるんじゃねえの。」
不精髭の勇者がそう言うと、初老の男は面白くなさそうな顔をした。
「あんた、勇者の割におかしなことを言う人だね。」
「そうか?」
「延焼しなかったのなんて、風向きとかでたまたまだろ。消防団だって出張ってたし。屋敷しか狙わなかったのは、あれだ、時間が無いとか、自警団が怖いとかだよ。屋敷が燃えたら魔物はすぐ消えちまったんだから。」
「ふーん。ま、言われてみりゃ確かにそうかもな。」
勇者が納得した様子を見せたので、初老の男も態度を緩め、また一方的に憶測をべらべらと語り始めた。勇者はふんふんと聞くふりをしているが、殆ど右から左へと聞き流している。
屋敷の跡地の付近の木造家屋で、当時から建替えも改修もしていない家がいくつかある。そのどれにも、経年劣化以外の汚れは見当たらない。火の粉すら当たっていないかのようだ。風向き一つで、これほど完璧に延焼を免れ得るはずがない。第一、東西南北全方向で焦げ跡の一つも無いのだ。たまたま、完全に無風だったとは考えにくい。魔物たちが意図的に延焼を防いだのは間違いない。
そして、町の自警団は、現役の勇者から見ると、チンピラに毛が生えたようなレベルのものだ。20年前がどうだったか定かではないが、魔物の襲撃を経てなおこの状況なのだから、事件前はもっと程度が低かっただろう。魔物との戦闘経験があったという屋敷の警備兵を根絶やしにした魔物たちが、自警団を恐れる理由は無い。
適当な相槌を打ちながらも、勇者の視線は空き地に向けられたままだ。往年の商人邸宅と、それを襲う魔物たちの姿を求めるように。
「んで、とっつぁんよ、最後に一つ聞きたいんだけどさ。」
初老の男の長話に一区切りついたところで、勇者は切り出した。
「魔物に協力してたっつう人間な。それ、どんな奴らだった?」
「ああ、私に見えたのは3人だけだけだがね。一人はさっき話した花火師な。」
「ふんふん。」
「もう一人は、白っぽい髪を、こう、しっぽみたいに結ったやつ。」
「ほうほう。で、最後の一人は?」
「真っ黒い髪の、ヘナッとした感じのやつ。」
「へえ…真っ黒い髪ね。男?」
「男…かなあ。改めて訊かれてみると、3人ともはっきりしないな。」
「少なくとも、おっぱいボインのおけつバインではない、と。」
「そうそう。全然そそられない感じ。でも、あんたみたいにガタイが良いわけでもなかったしな。最近の若いやつらは、みんなあんな感じじゃないか?ひょろっと細長くてさ。」
最近の若い奴ら、と初老の男は話すが、その対象は20年以上に見かけた相手である。最近でも何でもない。が、勇者はそんな細かいことに突っ込むこともせずに、ふーんと頷いている。
「その、真っ黒いやつの顔、見たか?」
「いや、遠目に後ろ姿だけだよ。ぼけっと花火見てたぞ。あれはどう考えても人間だろうな。何の役に立ってんのか、分からんが。魔物の餌として飼育されてんのかもな。」
「はは、そうかもしれねえな。って、勇者としちゃ、笑いごとじゃねえや。」
「おう、助けてやれよ。まだ生きてれば、だけどな」
任せろ、と勇者は胸を叩き、初老の男に礼を言って空き地の前を去った。
勇者は町の中を歩きながら、ふんふん、とご機嫌に下手糞な鼻歌を歌う。調子っぱずれすぎて、何の歌だか誰にも分からない。
「さあてと。あとは、生き残りだっていうおネーちゃんを探してみっかな。」
何人かに話を聞くうちに、たった一人だけ、魔物のたむろする屋敷から歩いて出てきた女がいるという噂を聞いた。消息は知れない。貧民窟にいるとか隣国に流れたとか既に亡いとか、無責任な推測を聞いただけだ。
「…黒髪の人間、ね。」
勇者は懐に手を入れて、草臥れた古布を取り出した。茶褐色の染みが広がっている。勇者は暫くそれをじっと凝視した。
「城で手ぐすね引いて勇者を待ってるだけじゃないんだな、魔王ってのは。お仕事熱心なこって。」
そう呟いて、勇者は古布を丁寧に懐に戻した。そしてまた、下手な鼻歌を歌いながら貧民街へと吸い込まれていった。




