第26話
夜の帳が降りたばかりのミグレンの町に、景気の良い爆音が轟いたのはそれから間もなくのことである。発生源は他でもない、金商の邸宅の通用口である。とうとうこの屋敷に強盗でも入ったのかと、遠巻きのやじ馬が邸宅の周辺に集まる。正面玄関の警備員は、邸宅の方を気にしながらも武器をちらつかせて野次馬を追い払うのに忙しくなる。野次馬の中に強盗の一味が潜んでいる可能性もある。漁夫の利を狙う火事場泥棒だっているだろう。何人たりとも通すわけにはいかない。
一方で通用口のある裏門では、爆発に巻き込まれた警備員の死体と崩壊した外壁や邸宅の建材で山が築かれ、火の手まで上がっている。とても近付いて様子を窺える状況ではない。近隣の住民たちが、慌てふためいて家財道具を持って家から飛び出し、逃げ始めている。
野次馬は増える一方であり、正面の警備員の武器が届かない距離に人の壁ができている。しかし、肝心の邸宅の中からは誰も脱出してこない。微かに、喧騒は聞こえてくるのだが。不安になりながらも、正門警備員は持ち場を離れず、背後の邸宅と正面のやじ馬の双方に注意を払い続けた。
正門警備員がその職責に忠実に従っている頃、邸宅の内部は混乱の極みにあった。金商一家とその取引相手との会食で、食堂も厨房も大忙しの大回転である最中に、突然の轟音と激震である。
「なんだ、何が起こった!」
「通用口が爆破されました!火災も発生しています!」
「賊か。侵入者はすべて排除しろ。食事など後回しだ、手の空いたものは消火活動だ!」
警備員が四方八方から集まってくる。一部は通用口へ回り、一部は金商達の護衛に当たる。だが、それと時をほぼ同じくして、台所から悲鳴が上がった。使用人が血相を変えて食堂に飛び込んでくる。
「ご主人様、火事です。」
金商は大きな音で舌打ちをした。爆発音で動揺して、火の始末を誤ったのだろう。これだから小物は。
「うろたえるな、すぐに消火すればぼやで済む。」
「そ、それが、火が勝手に広がって…。」
「当り前だろう、火はこちらの都合で動くものじゃない。勝手に燃え広がるものだ。だから、早く消火を。」
「そうじゃないんです。」
何を言いたいのか、要領を得ない。報告になっていない。意味が無い。大声で怒鳴りつけてやろうとしたところで、金商の視界の端にも炎が映った。異様な速度で可燃物を渡り歩き、庭に出入りできる大きな窓を取り囲む。勝手に燃え広がる、という表現では間に合わない。火が意志を持って出入り口を狙い撃ちしたかのようだ。ヒィ、と誰かが喉の奥に引っかかったような悲鳴を上げた。
「ご主人様、お逃げください。ここはもう無理です。正面玄関へ。」
家令が限界ギリギリの平静さを発揮して、金商一家と招待客を促した。幸い、火の勢いはまだ強くない。食堂から直に外に逃げる経路をふさがれただけだ。家の中にはまだ、外へ出る動線がある。
「君らは消火を。」
腰が抜けかけた婦人を支えつつ、家令は女中に指示を出す。だが、女中は青い顔を横に振った。
「水がありません。」
「馬鹿な。夕食の支度の前には甕いっぱいに…」
「どれも空っぽなんです。さっきまであったのに。」
家令は思わず息を止めた。女中がこの状況で、この様子で、嘘をついている可能性は無い。混乱による見間違いだと思いたいが、そう思えない何かを感じる。何か、そう、この家に対する明らかな害意だ。ただ単に財産を強奪するだけが目的だとは思えない。家令は金商に駆け寄り、耳打ちをした。
「ご主人様、これは魔物の仕業なのでは…。」
その瞬間、屋敷のそこかしこからも悲鳴が聞こえた。
「火事です!暖炉から、火が!」
「照明の火が勝手に!」
さしもの金商も、脂汗が流れるのを感じた。いくら爆発音に驚かされたとはいえ、こんなにも屋敷中至る所で同時多発的に失火するわけがない。
そもそも、あんな派手な爆発を起こすのは、金泥棒の手口にしては異様だ。隠密裏にではなく力ずくで奪うつもりだとしても、過剰にこちらの警戒を招き、金の強奪を難しくする。あれは、ただ単に、裏口を塞ぎたかっただけなのかもしれない。屋敷の中の者が、逃げられないように。
屋敷の中には煙が充満し始めた。裏口からは警備員が這う這うの体で逃げ出してくる。通用口付近は火の勢いが強いらしい。やはり、逃げ道を潰したのだ。
金商は拳を握り締めた。間違いない。魔物が報復にやってきたのだ。自分が何をしてきたのかはよく分かっている。後ろ暗い部分しかない。用心して隠蔽してはいたが、いつの間にかミグレンの町中には金商が魔物を使役しているらしいと噂が立っていた。大方、雇っていた勇者崩れの傭兵どもが酔っぱらって漏らしたのだろうが。それが回りまわって魔物の耳に入ったとしても、不思議ではない。
だが、そんなことは百も承知。だからこそ、金に飽かして雇った元勇者どもを精錬所にも屋敷内にもたんまりと置いている。みすみす魔物に殺されるつもりは、毫ほどにも無い。
「正面玄関から突破する。魔物がいるかもしれない。お前たち、しっかり働いてもらうぞ。この館はもう終わりだ。魔法や武器で破壊しても構わん。全力で行け。」
金商は周囲に集った警備員たちに発破をかけた。応、と一堂から硬い声が返される。
手に手に武器を携えた警備員たちは、緊張した面持ちで金商一家や使用人たちを囲み、周囲を警戒しながらぞろぞろと正面玄関に向かった。




