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異世界転石の先  作者: 七田 遊穂
第3章 箍
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第23話

「なるほど。順に片付けるか、他の方法で破壊した方が良いな。分かった。」

「やっぱり、山火事はまずいんですか?この辺やミグレンが燃えても問題は無い気がしますけど。」

「手を広げすぎると、始末すべき人間を逃しかねない。行動範囲は最小限に留める。確実に仕留めたいからな。」


 小屋の方向を凝視したまま魔王は答えた。遠目に、精錬小屋を監視する人間の姿が見える。抜刀した状態ではあるが、あまり緊張感は無い。精錬所には入らず、外をうろつきながら大あくびをしている。魔王は暗い目つきでそれをしばらく眺めていたが、やがて懐から石を一つ取り出した。異世界から来た石ころだ。


「魔王様、それはあの石ころですか。」

「別の人だ。もう少し声が大きいし、効果範囲も広い。ほら。」


 と魔王が掌の上の石を見せると、トウリとヨルンにもはっきりとした石テレパシーが届いた。確かに、ミグレンの件を伝えに来たあの声の小さな石とは別物だ。


「それをどうするんですか?」

「あそこの魔物たちに、伝言を頼む。さすがにあそこに何度も近付くのは危険だから、これでやり取りしているんだ。協力してくれる人がいて良かったよ。」


 そう言って、魔王がまたふっと片手を振ると、石がとろんと影に消えた。魔王は沈黙して、見るともなしに虚空を見据えている。トウリとヨルンは顔を見合わせた。魔王が何をしているのかは想像に難くない。石テレパシーで石に話しかけているのだろう。石と魔物の感度が共に高ければ、テレパシーの有効範囲はかなり広がる。石を小屋に送り込み、そこにテレパシーを飛ばすことができれば、小屋内の石テレパシー話者と石を介して遠隔での通話が可能になる。理論上は。


「聞こえる?」


 とヨルンに訊かれて、トウリは首を横に振った。小屋はかなり遠い。監視の人間から気付かれる心配が無いほどに。この距離で聞こうとしたら、石側の発信能が相当高くないと難しい。石との親和性が破格の魔王ならではの小技である。


「…ああ…」


 ぼそりと魔王が漏らした。虚ろな双眸を監視の人間に向ける。魔王が片手を軽くかざした瞬間、トウリは思わず魔王に声を掛けた。


「魔王様?」


 そんなはずは無いのに、魔王がこの瞬間にあの人間の息の根を止めるような気がした。


 ふっと魔王の手が揺れた。監視の人間は相変わらずぶらぶらしている。代わりに、硬くて小さなものが地面に落ちた音が響いた。石ころのご帰還である。慌てて石を拾いながら魔王は言った。


「向こうからこっちに持ってくるのは、ちょっと難しいな。」


 手のひらで丁寧に砂をはたき、懐に石を収めながら魔王はぼやいた。


「トウリにやってもらえば良かった。」

「私にはできません。」

「あ、そうか。私でないと石の気配が読めないかな。どうも当たり前になってしまって、いけないな。」


 魔王はぽふぽふと自分の頭を軽く叩いた。自分にはいつも石の声が聞こえているから、他の誰もがそうだとつい思ってしまう。実際には、魔王ほど石と親しむ魔物は他に存在しない。


「それよりも魔王様、どうかなさったのですか。」


 トウリが問うと、魔王はまた陰鬱な表情に戻って人間に視線を向けた。


「今日また、一人亡くなったそうだ。」

「そうですか…。気の毒なことです。」

「私がもっと早く決断できていれば、助かっていたかもしれない。」


 魔王は小屋に背を向けると、軽く頭を振った。うつむいて、独り言のように言葉を漏らす。


「私は、変わらなければならない。」

「変わらないでください。」


 トウリは魔王の手を掴んだ。武器を取って、あるいは拳を固めて戦うことのできない、柔らかい手だ。しかし、この手一つで魔物の息の根を容易に止めうる。


「魔王様には、リュゼ様でいていただかねばなりません。」

「私は私だよ。」


 そうじゃない、とトウリは思う。


 その時、小屋の方から盛大なくしゃみの音が響いた。はっとして、3人揃ってそちらを向く。人間が鼻の下をごしごしとこすっていた。


「…まずは、帰ろう。」


 声を潜めて言い、魔王はトウリの離した手をふっと動かした。


 とろりと視界が溶け、気が付けば暗い魔王城の会議室に戻っている。暗いのは平常通りである。僅かな明かりで視界の利く魔物にとって、過剰な照明は貴重な資源の無駄遣いでしかない。雰囲気作りでも何でもないのだが、夜襲を掛けようとやってきた勇者は、いかにも何か邪悪なものが潜んでいそうな暗闇に恐れおののくことになる。


「ヨルン、ありがとう。色々参考になった。」

「いえ、私も事前に見ておけて良かったです。ちょっくら必要な準備もできそうですし。」


 魔王はうんと頷いて、今度はトウリに向きなおった。


「トウリ、気が進まないのなら参加しなくても良いよ。気持ちの良いものではないと思うから。」

「さようですか。」

「ああ、苦痛であれば我慢する必要は無い。」


 トウリは魔王の双眸を見つめた。濡れたように黒い瞳には、表情が無い。


 お前は従属と死のどちらを望むのだ?と、かつて聞いた声が耳に蘇る気がする。あの時も、要らぬ苦痛に耐える必要は無い、と目の前にいるこの魔王と同じような言葉を聞いた。


 いや、考え過ぎだ。ヨルンの言うとおり、考え過ぎて、頭が爆発するかもしれない。冗談じゃない。トウリは微かに頭を振った。


「いえ、魔王様のおそばに控えさせていただきます。」

「そうか、良かった。…あ、無理はしなくて良い、気が変わったら遠慮なく言ってくれ。」

「大丈夫ですよ。どこまでもお供いたします。」


 トウリがそう言うと、魔王は漸くほっと息をついて、嬉しそうににこりと微笑んだ。やれやれ、とトウリは思う。この表情を見ている限りでは、未だに手のかかる子どものようなものなのだが。


「魔王様、明日の朝ご飯、何を食べたいですか。気合の入るガッツリ系が良いですかね。」

「そんな食欲、無い。おかゆが良い。」

「またですか。そんなんじゃ、縮んじゃいますよ。」

「そうかな。」


 そんなことをヨルンと話しながら去る魔王を見送って、トウリも会議室を出る。どこまでもお供しますとも、最後の覚悟を決めるその時まで。そう胸中で呟く。

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