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異世界転石の先  作者: 七田 遊穂
第3章 箍
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第21話

 ヨルンは隣にいるトウリを突いて、小声で囁いた。


「おい、あれ、どうなっちゃったんだ?」

「…分からない。」


 止めるべきなのだろうか。とトウリは自問する。それすらも分からない。


「いけません、魔王様!」


 と大声が響いて、トウリは我に返った。ウトが狭いところで立ち上がろうとして失敗している。


「魔王様は、城にお残り下さい。武装した人間がたむろする場所に行くなど、もう許しません。危険すぎます。皆殺しにするならお顔を売ることもできませんし、城で大人しくしていてください。」


 どうやら、魔王の様子が常に無いということではなく、魔王が人間掃討作戦に出向くことに不満を述べているらしい。魔王の指示する内容が魔王らしからぬものであることに気付いているかどうかは、定かでない。


「邸宅の内部構造を知っているのは私だけだ。私が行かなくてどうする。」

「丸焼きにするなら、構造もへったくれもありません。」

「先に人間を始末しておかないと逃げられるだろう。今後のためにも、魔物を奴隷にしようと考えるような人間は一人たりとも残すわけにはいかない。」

「魔王様は人間を殺すことなどおできにならないではありませんか。」


 その通りだが、この雰囲気でそれを言うか、とその場の誰もが凍り付いた。


 魔王は微かに首をかしげた。柔らかな黒髪が揺れる。


「大丈夫。私も魔王だからな。それくらい、できるよ。」


 にこり、と場に不似合いなほど甘い笑みを魔王は浮かべた。いつもと同じ微笑なのに、いつものように心がとろけない。何故か鼻の奥がツーンと痛くなって目玉が熱くなってきて、ウトはがくりとうなだれた。知らぬうちにぽろりと涙がこぼれる。これは、魔王が魔王らしく自立したことへの喜びの涙なのだ、と思い込もうとするが、絶対違うと否定するもう一人の自分に抗えない。


「他に疑問、改善点のある者は言ってくれ。」


 ウトからは興味関心を失ったように、魔王は呼びかけた。魔物たちが何人か手を上げて発言し、都度魔王とやり取りが行われる。魔王の様子はどこまでも事務的で、恬淡としている。


「後は、良いか?」


 発言が落ち着いたところで、魔王は改めて魔物たちを見渡した。


「魔王様、確認させていただいてよろしいですか?」


 トウリが静かに声を上げた。魔王が軽く頷いたのを見て、トウリは続ける。


「金商の邸宅の使用人も含めて、その場にいる人間は全て始末するのですね?」

「そうだ。」


 魔王は逡巡することなく肯定する。そうか、とトウリは内心で苦る。これまでの魔王なら、ありえない反応だ。


「では、外の民間人が紛れ込んだ場合はいかがいたしましょうか。襲撃を受ける邸宅を黙って見ている人間ばかりではないと思われますが。」

「こちらの作業を妨げるようであれば殺す。そうでなければ放置だ。こちらも人員が潤沢ではない。」


 また間を置かずに魔王が答える。トウリは微かにため息を吐いた。これ以上どうやって止めようか。どうやったら止まるのだろうか。


 計画自体に不備があるわけではない。むしろ、きわめて合理的である。金商とその関係者を生かしておけば、同じことが繰り返される可能性が高い。救出に加えて苛烈なほどの報復。今後の被害の予防のために、二度と立ち上がれないように叩きのめす。魔物の安寧にとってこれ以上のものは無い対処法とも言える。


 ただ、この魔王がこれを考案し決断したとは、どうしても思えない。常日頃は、勇者ではない一般の人間には手を上げるなと主張し、勇者でさえ生かそうとする魔王である。それが、確実に金商一族を仕留めるために、周囲の民間人も巻き添えにせよと指示している。歴代の他の魔王に比しても、峻烈な対応だ。まるで、例の魔王のようではないか。目的達成のためには、駒を詰めるように必要な手を一つずつ、容赦なく置いていく。これに絡めとられているうちに、魔物も人間も、引き返すことのできない場所へ手繰りこまれてしまう。


 命を賭してでも、諫めるべきなのか。トウリの脳裏に、魔王に命を奪われた魔物の姿とその死に顔が思い浮かぶ。


 トウリが口を噤んだ時、魔王が呟くのが聞こえた。


「ただ…」


 魔王はまつげを伏せて、どことなく自信の無さそうな表情を浮かべた。


「明らかに敵意の無い外の民間人は、できるだけ殺さないでくれ。見分けられれば、だけれど。」


 ふっくらした唇から、ぼそぼそと声が漏れ出した。急に、言い訳じみた口調である。


 ああ、いつもの魔王様だ、とその場の全員が一気に肩の力を抜いた。


「とにかく、今捕えられている者を含めて、皆が無事であるのが一番大事だ。しっかり準備して、怪我をしないように気を付けてほしい。」


 この場の誰よりも危なっかしいのは魔王であるが、そんなことは誰もが知っているので敢えて指摘する者はいない。しっかり護衛してやらねば、との各自の思いを抱えながら、会議は解散となった。

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