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そうして、魔女はこれからのことを簡単に説明してくれた。
「何ヶ月も身体と魂が離れていると、身体と魂の繋がりは途絶え、身体も腐るじゃろう。そして彷徨える魂となり、誰からも認識されなくなる。そうなる前に、死者の国に行き、ローレンスを探さなくてはならない」
「リスクは分かっているわ。そのために魔女と契約したのよ。話も済んだ事だし、早くローリーを探しに行かなきゃ」
彼は生まれ変わったら二人幸せにになろうと言った。私はそんなの嫌だ。今、彼と幸せになりたいのだ。
私は魂だけの存在となり、死者の国へと行く。ローリーを探し出し、連れ帰る。もちろん彼の意思を確認した上で。死者の国から死者を連れ出すのは重罪だ。魔女には犯罪の片棒を担がせることになってしまうが、大丈夫といったのだから、まずは死者の国に行ってから考えればいい。私は絶対に彼とまた平穏な日々を過ごしたい。二人で幸せに暮らすために、そのために魔女と契約をしたのだから。
「はいはい。想像以上に元気で安心したわい。まあ対価は十分に貰っているから、構いはしないがね、いひひっ」
「本当にあの時貴女と知り合えて本当によかったと思ってる」
魔女との契約は、魔女の罪につけ込んだ口止め代も含まれている。
私が魔女と知り合ったのは、数年前に王城の庭で黄昏れていたところ、こそこそと王妃の部屋に盗みに入ろうとしていた現場を目撃したからだ。
彼女の目的が何だったのか、それは今も詳しくは聞いていないので分からないが、見逃すかわりになんでも願い事を聞くと言われたので、思いついた事を伝えた。
私が困った時に相談に乗って欲しい、と。
それは願いとは違うと一蹴されたが、その頃の私は本当に願いが思いつかなくて。未来の王妃に貸を作っておくのも悪くないと、魔女は承諾した。
今思えば、婚約を破棄して二人幸せに暮らしたいと言えばよかったのに、なんて思うけれど、魔女と出会ったばかりの頃は、心が荒んでいてそんなことを思いつく余裕もなかった。
それから、魔女とは雑談をしたりお茶をする仲間になった。妃教育の日々で、王家から監視される日々。親しい友人もろくにいなかった私にとって、魔女と過ごす時間は有意義なものだった。魔女の姿で会うのは危険だからと適当な使用人の姿に変えて部屋にやってきた時は驚いたけれど。
いつまで経っても願いを言わない私を面白がっていたのだろう。急遽約束を叶えてもらう事になった。一つとは言ってないので、薬をもらうこと、私の旅につ同行すること、ローリーを連れ出すの三つを頼んだ。ついでに旅の道中のアドバイスもお願いした。
魂だけになったときにはどの様な事に気をつけたらいいのか、私には知る術がないので、色々盛りだくさんな願いになってしまった。一度に何個も願いを言うなんて強欲で魔女より悪どいと言われたが、願い事は一つだけなんて最初から言われていない。その豪胆なところが気に入ったようで、魔女にならないかと誘われた。まだ返事をしていないけれど、ローリーを見つけた後、生きていくために仕事は必要だし、それもありかもしれないと思っている。
身の上話をしたけれど、思えば私は魔女のことをよく知らない。
この国にいつからかいて、ある日王城で何かを盗もうとしていたこと、魔女でありたまにこのカフェで客を取っていることしか知らない。
魔女は名前を知られることを避けている。だから魔女のことは魔女としか呼べない。名前には強い力が宿るので、知られてしまえば魔女としての力を使う際に、威力が弱まるという。
そんな魔女と共にこれから旅に出るというのだから、人生何が起きるのかわからないものだ。
「旅支度は済んでいるからねえ。いつでも向かえるよ」
「本当?じゃあ直ぐに——」
その話を遮るように外が騒がしくなった。足音がこちらへ向かってくる。
「魔女様はお客様の対応中です。お引き取りください」
「今は緊急事態だ!そんな悠長な事言ってられない」
そんな声と共に、無理矢理部屋の扉が開かれた。
「おい、魔女いるんだろう?」
そこには今一番会いたくないヒューバート殿下が立っていた。
「なんで……」
ぽつりと口から声が漏れる。魂だけの存在の私の声はヒューバート殿下には届かない。
「魔女様、申し訳ありません……」
マスターが本当に申し訳なさそうな声で謝るものだから、私も気の毒に思ってしまう。魔女は立ち上がりヒューバート殿下を一瞥し溜め息をついた。
「おやおや。勝手に押し入りとは躾のなっていない子だねぇ」
「ふん。対応中だとかいって、誰もいないじゃないか」
テーブルの上には飲みかけのティーカップが二つ置かれている。ヒューバート殿下は客は既に帰った後だと勝手に判断したようで、向かい側のソファに勝手に腰を下ろした。
「噂をすれば、とは言ったものだね」
私だけに聞こえるように軽口を叩く。ばれたらどうするのだとぎろりと睨みつける。
「まさかヒューバート殿下がここを知っているとは思わなかったわ!どういうことなのなんとかして頂戴!」
今の私には彼と話をする手段はない。
魔女はやれやれと肩をすくめ、ヒューバート殿下に対峙した。
「これはこれはヒューバート殿下、このようなところにおいで下さるとは……。生憎ですが私はお客様の対応中なのです。いくら王族とはいえ、順番は弁えていただきたいところです」
「客だと?どこにもいないじゃないか!」
「何も魔女のお客様が人であるとは言っておりません。今もこちらにいらっしゃいますよ」
いつも軽口をたたいて年寄り臭い話し方をするところしか見たことがないので、こんなにも他人行儀な魔女はまるで別人のように思えた。
ちらりと魔女はこちらを一瞥する。手をひらひらと振っているところから、何か音をを立てろと合図を送っているのだろうかと判断する。もうヒューバート殿下と関わり合いになりたくないので、ふるふると首を横に振ったが、ここで魔女のいう通りにしないと、何をしでかすか分からない。
とりあえず手を叩いてみた。思っていたより大きな音が出た。その音にびくりと身体を震わせ、酷く怯えた様にきょろきょろと辺りを見回すヒューバート殿下はなかなかに面白い。
「何だ!?何かの魔法か?そんなふざけた遊びに付き合っている場合じゃないんだ。話が違うだろう!」
「話が違う、とは?」
「グラティアが……私の婚約者が眠ったまま目を覚まさなくなってしまったのだ。何か知っているだろう?」
「いひひ。何故、そう思うのかい?」
「この国にいる魔女は貴女だけだ。魔女の秘薬が使われているともなれば、真っ先に思い浮かぶ。貴女が一番怪しい。何故彼女を、呪う様な真似を!?」
魔女は途中から面倒になったのか、普段の軽口を叩く様な話し方に戻りにやにやと意地の悪い笑みを浮かべ、ヒューバート殿下の様子を見ている。
まさかヒューバート殿下がここまでやってくるとは思わなかった。そして二人に面識がある事も知らなかった。たいして驚いてもいない魔女の様子から、予めこうなる可能性を予想していたのか、私にはあえて言わなかったのだろう。ここまでやって来る事も見越していたのだとしたら、なかなか趣味の悪い事だ。
「残念だが私は無関係さ。その、誰かは存じ上げないが、グラティア……だったかな?未来の王妃様とは面識がないのだから、呪う道理もない。そうなると、私にはどうする事もできないねぇ」
「クソッ。グラティアがいなくなっては、私はどうしたらいいのだ!」
「どうもこうも、何か彼女にしてやりたいと思う人がいたから、秘薬が使われただけじゃろう」
「どうしてだ?そうなってしまっては、私は……私は……」
俯きぶつぶつと呟く殿下の様子は只事ではない。魔女はそんな殿下に慈悲を与えるわけでもなくただその姿をじっと見ていた。これから何を言うのか、ヒューバート殿下の行動そのものに興味があるようだ。
このヒューバート殿下の焦りようは只事ではない。まさか私の事を心配していたなんて。そんな事があるはずないのに、ほんの少しだけ期待してしまう自分がいた。
「彼女がいなくなっては、オデットを側妃に迎える事ができなくなるではないか!」
しん、とあたりが静まり返った。
やっぱり。私を心配しているだなんて、そんな訳なかった。殿下と共に生きるという可能性はゼロになった。最初から面倒な仕事は全て私に押し付け、二人だけの時間をとるために私が必要だった、ということか。
分かってはいたことだけれど、ここまで都合のいい道具だと思われていることに、胸が苦しくなった。
「おやおや。結婚もまだなのに、側妃を娶る心配かい?お前さんは自分の心配ばかりだねぇ。これでは、グラティアが浮かばれないじゃないか」
「元はといえば、お前が原因だろう!誰の差金かは知らないが、グラティアに魔女の秘薬を使うなんてあり得ない。あと少しで、全て上手くいくところまできていたのに……」
殿下は、それでも魔女が疑わしいという思いは消えないようだ。魔女が犯人だと確信している様で、じっと睨みつけている。
「まあどんな事情があれ、グラティアを助けたいのなら、坊ちゃんもまた私と契約するかい?」
また……?殿下は魔女と契約をした事があったなんて。そして唐突に私を魔女が私を裏切るそぶりを見せたので慌てて叫びそうになる。
「誰がお前なんかと契約するか!その手には乗らない。もう二度とごめんだ!お前の思い通りにはさせない。……急用を思い出した。それでは失礼する」
苛立った様子のヒューバート殿下は直ぐ出て行った。魔女の所為だと確信しながらも、証拠はない以上、彼にはどうすることもできない。これから殿下が何をするつもりなのか分からないが、知りたくもなかった。
「ひひひ。驚いたかい?まさか坊ちゃんがここに乗り込んで来ようとは予想外だったが、中々切羽詰まった様子じゃないかい」
「全く貴女も食えないわね。最初の馴れ馴れしい感じからして、まさかとは思ったけれど。ヒューバート殿下とも顔見知りだったなんて。あの様子では魔女と契約した事がある様子だし。本当、私ともいつ手を切られるか分かったものじゃないわ」
「おや、私があんたを裏切るっていうのかい?それはないよ。だってあんたは願いが叶えば魔女になることが決まっているのだからねえ。未来の仲間には優しく、恩を売るのが当たり前ってもんさ」
まだ完全に魔女になることに同意したわけではなかったが、彼女の中ではそれは決まったも同然のことのようだった。それでも魔女に裏切られる心配事が減ったのは、嬉しいことだ。
ヒューバート殿下と契約していた内容の詳細については、魔女は黙秘を貫いた。私も話して貰えるとは思っていないのでそれ以上の深追いはしない。知る必要のない事は知らないままが平和でいい。
私がいなくなれば、王妃として不十分なオデットとの付き合いは断たなければならない。それが嫌で私を助けようとしているのだろう。そんな二人のためにまた犠牲になるなんてまっぴらごめんだ。
私は何がなんでもこのままの姿で居続けなければならない。……もう彼の事を考えるのは辞めよう。ため息をつけば魔女もやれやれといった顔をしていて、顔を見合わせ笑ってしまう。
「やっぱり私の言っていた通りだったでしょ?」
「残念ながらその様だねぇ。それじゃあ行くとするかい」
ここで話しているだけでは、私の願いは叶わない。前に進むしかないと手を強く握った。