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「こんにちは」


 誰からも返事が返ってこないとは分かっていても、思わず声が出てしまった。私は待ち合わせの約束をしていたカフェへと到着した。王都の外れにある、人通りの少ないこのカフェは会員制で、誰もが立ち入れる訳ではない。カフェの店主に合言葉を伝えることで、入店を許される。そこへ居座っているある人に特別な依頼をする事ができるようになっていた。

 面倒事を嫌い、依頼を受けるのは、このカフェに辿り着く事ができた人か、以前依頼をした事のある人からの紹介制をとっていた。


 その人と知り合ってからは時間の取れる時にこのカフェで待ち合わせをし様々な話をしていたこともあり、勿論合言葉は知っているが、身体を無くした今、その合言葉を伝える術はない。カフェに入れても私を認識して貰えなければ意味がないのだ。実体を持たない私は合言葉を告げずとも勝手に奥の部屋に入れてしまう。


 一応の礼儀として声をかけたが、店主はこちらに見向きもしない。彼は穏やかで優しい人だった。今までの様に会話ができないのは少し残念に思うが、これも私が望んだこと。


「おや、来たのかい」


 カウンターの奥に座っていた待ち人が、ちらりとこちらを見て手を振った。


「マスター、奥の部屋使わせてもらうよ」

「かしこまりました。注文があればまたお声がけください」


 私の依頼主は珍しく店内で待っていてくれたようだ。普段なら奥の部屋から出てくることはないというのに、カウンターで待っていたのは、私が本当に来るのか、気がかりだったのかもしれない。


「グラティア、やはり本当に使ったのかい!流石だねえ」

「ええ、あたりまえじゃない。今日という日を迎えるために、沢山の事を我慢してきたんだから」

「一時はどうなる事かと思ったけれど、上手くいったようで安心したわい」

「私、魔女のあなたと知り合えてよかったと本当に思ったわ」


 ひひひと高笑いする、目の前の年齢不詳の魔女。私の飲んだ魔女の秘薬を作った張本人で、この国に滞在している。そうして私の訪れを歓迎してくれた。


「怖気ついて来ないかもしれないなんて考えていたのじゃが、杞憂だったな」

「まさかそんなこと思っていたなんて。私はやると決めたらやるんだから、その心配はいらないわ。せっかくの魔女の秘薬が台無しになってしまうでしょう?」


 私はこの日の為に、寝顔を見られたくないという出鱈目な理由で、使用人達の部屋への立ち入りを避けるようにしていた。以前命の危険に晒されてから、眠っているうちに命を狙われるのではないかと心配で部屋に誰も立ち入ってほしくないという、それとなく周りの罪悪感につけ込むような説明を後付けですれば、しぶしぶ納得された。


 お陰でこの魔女の秘薬をすんなりと飲む事に成功し、こうして屋敷を抜け出す事ができたのだ。


 部屋に案内され、私は魔女の秘薬が入っていた小瓶を机の上に置いた。この小瓶は魔女の秘薬を使ったという動かぬ証拠。飲んだ後、意識がなくなる前に直ぐに空間魔法で収納し、誰の目にもつかない様に保管しておいたのだ。仮にも魔女の存在を知る者が小瓶を見たら、証拠として押収され、魔女を追い詰めにやってくる可能性もあるだろう。魔女が捕まってしまっては、私の今後に支障が出るので、邪魔をされたくない。


「魔女の秘薬を自分に使いたいから作って欲しいという人は、アンタが初めてだよ」


 魔女は高らかに笑った。

 魔女の秘薬は呪いであり祝福である。それを自分に使おうとする物好きは、そうそういないだろう。


「知り合って数年、いつまでも願いを言わないから、夢のないつまらない人間かと思っていたが……。面白い願いを言ってきたときは驚いたよ。未来の王妃様とも在ろう人の願いが、死んでしまった大切な人を取り戻したい、だなんてねぇ」


 彼が死んだ時、私は目の前が真っ暗になった。もう彼がいないことを痛感して、受け入れられなくて、家の者に行き先も告げずここに来た。


 突然押しかけて泣き喚き散らす私に驚きながらも、尋ねた内容に親身に受け答えしてくれたのだ。私は尋ねた。——死んでしまった大切な人を取り戻す方法を。


 常人なら躊躇する方法に、私は二つ返事で了承した。魔女は私の勢いの良さに目を瞠ったが、願いを聞き届けようと、魔女の秘薬を用意してくれた。諸々の準備するのに時間がかかると言われていたので、その日が来るのを指折り数えて待った。魔女にできると言われたあの日から、本当は浮き足だって仕方がなかった。


 この事は決して人に知られてはならなかった。そんな事が知れ渡れば、私の行動は制限されてどこへも行けなくなってしまうだろう。全てを悟られないために、私は普段通りに過ごした。


 うるさいあの二人に何かを言われても、周りの貴族達からは婚約者から愛されていない可哀想な人だと噂されても、何も気にならなくなっていた。


 少し彼らに優しくしすぎてしまったことで、更に図に乗るようになってしまったかもしれないと反省しているが、もう直接話をする事はないだろう。今更どうでも良いことだ。


「あの時の私は絶望の底にいたの。無理矢理決められた婚約者は別の女に夢中で、大切な人が自分のせいで死んでしまってどうしようもなくて。あの時に殿下の為に頑張ろうとしていた私は一緒に死んでしまった。魔女がいてよかった。これからは自分の為に生きるの。彼にまた会えるなら何でもする。そう、これは遅れてやってきた反抗期ともいえるわね。私は家を捨てるのよ!」


 決意したあの日から、私は目の前が明るくなった。自己犠牲の上に成り立っていた殿下を支えるという役目は果たさなくていいものになった。全てを諦めていた私はもういない。


「大層大掛かりな家出だよ。もっと真っ当な方法で家を出ようとは思わなかったのかい?」

「それが出来たら、貴女に頼んでいないわ。そもそも殿下の婚約者の時点で、私に自由な外出の許可なんてそうそうおりないもの。あの日このカフェに来るのだってやっとのことだったのよ」

「確かに監視や護衛に随分と人が増えているようだし、今このタイミングでそんな願いは聞き入れてもらえないだろうね」

「そうよ。他の人についてこられては困る。彼に会うためには仕方のないことだもの」


 服の下に隠れたロケットペンダントを開く。ホワイトブロンドの髪にエメラルドグリーンの瞳をした青年の写真が収められていた。


「それがあんたの想い人ってわけかい。秘薬を使い、家を抜け出す事に成功したら、依頼のために想い人の話を聞かせてくれるという事だったからねえ。茶でも飲みながら話をしようじゃないか」


 魔女はベルを鳴らして紅茶とティーカップを二つ用意させた。手慣れた様子で紅茶を入れてくれた。魂だけの存在になっても、こうしてお茶を飲めるとは思っていなかったので感動する。


「魂だけとはいえ、腹は減るし眠りもする。死者たちもそうやって暮らしているよ。まああんたは死者とはまた違った部類ではあるだろうが、括りで見たらそちら側に近いだろうからね。彼らの暮らし方が参考になる部分もあるだろう」

「そうなのね。この状態でも食べることや眠ることができると分かっただけでも十分よ。意外と今後の人生も楽しめそうな気がしてした」

「逞しいねぇ。あんたならどこでだってやっていけるさ。ほら、茶の用意ができたよ」


 魔女が淹れたての紅茶を、そっと私の前に置いてくれる。


「おいしい」

「気に入ったようなら何よりだよ」


 魔女は空間収納魔法で取り出した焼き菓子を添えてくれた。魔女お手製だという。ほんのり甘いそれは、今のざわついた私の心を落ち着かせてくれた。そうして一息ついたことで、魔女へ私の話を聞いてもらう決心がついた。


 写真の主はローレンス・フリエル。彼は侯爵家の三男で、私の二つ年上で、兄の様な人だった。


「ローレンスは——ローリーとは、両親が父と友人で幼馴染の様に育ったの。両家とも知り合いで、仲も良かったし、彼のことが好きだった。お互い想い合っていたし、いい雰囲気だったから婚約の話も出ていたそうよ。彼が私の家に婿入りするという方向でね。でも王家が突然押しかけてきて、ヒューバート殿下の婚約者にさせられたの。そのせいで私達は婚約できなくなってしまった。けれどローリーは私の護衛の騎士になって、側にいてくれたの」


 ヒューバート殿下の婚約者になった事で、私とローリーは引き裂かれた。それでも側にいたいと、護衛として私の側にいることを選んでくれた。「たとえ結婚できなくても、違う形でグラティアを守りたい」とそう言ってくれたのが嬉しかった。


「それだけ聞くと凄く大切に思っていたことがわかるねぇ」

「……そうなの、とっても嬉しかった。どんな形でもローリーと一緒にいられる事が。だからこの恋に蓋をして、友人として、ずっと仲良くいられたらいいなと思うようになったの。これから先彼に恋人ができて、その相手と結婚してしまうことを考えたら、胸が張り裂ける思いだったけれど、私にはどうすることもできなかった」


 ティーカップを手に取り、残りのお茶を飲み干した。あの時のことを思い出すとまだ動悸が激しくなる。震える手を握り、話を続けた。


「ある時学校でヒューバート殿下を狙う刺客に襲撃されたことがあったの。その時はたまたまヒューバート殿下と共にいて、迎えの馬車を待っているときだったから、護衛の数も多くて、少し油断していたと思う。その時に、ローリーは私を庇って刺されてそのまま……」


 その時のことを思い出すと今も胸が苦しくなる。

 刺客の目的は、ヒューバート殿下だった。愚鈍な彼を王にしたくないという、第二王子派の貴族が彼の命を狙ったのである。学園内ということもあり、護衛も気が緩んでいたのかもしれない。殿下は慌てふためき、あろうことか私を盾にし、襲撃者の前に突き出そうとした。咄嗟のことで判断が鈍ってしまった。まさか、婚約者である私を盾にするなんて。

 殿下の側近も慌てていて役に立たなくて、剣を向けられた私は、もう駄目だと思った。刺されると思ったその時、私の前に飛び出してきたのがローリーだった。


「グラティア……!」


 そう言った彼は剣の前に倒れていった。どうしてと震えが止まらなくなった。彼が側にいてくれるから頑張れる。そう思っていたのに。私がヒューバート殿下の婚約者になったせいで、ローリーを失ってしまった。駆け寄った時、もう息も絶え絶えで、瞬時に助からないことを悟る。


"ずっと側にいてあげられなくてごめん。次に生まれ変わったら、二人で幸せになろう"


 最後に彼が呟いた言葉が胸に刺さって忘れられない。私が婚約者になる事がなければ、こんな所でローリーが死ぬはずはなかっただろうに。

 その場で犯人はその場で捕らえられたけれど、私の心は深く傷ついたままだった。そんな時も人前で弱みを見せてはいけないという教えが頭から離れなくて、涙一つこぼすことができなかった。体の震えは止まらず、頭は真っ白になった。


 殿下は謝りもせず、当然彼が亡くなったと聞いても、涙一つ零すことなかった。


「グラティア、お前が無事ならそれでいい」


 取り繕ったような笑顔をみせてと私の心配をするようなことを言った。ローリーは私を庇って倒れた。そればかりか私を盾にしておいて、そんなことをよく言えると思った。


「私はその時、殿下に絶望した。そして、もうこの方と一緒にいても何も生まれないと思ったの」


 なによりも婚約者を盾にするような情けない男と知りさらに幻滅した。その出来事には緘口令がしかれ、殿下の名誉が傷つかぬように配慮がなされた。それには納得がいかなかった。


「また何時命を狙われることがあっても盾にするような者の側にいるのは無理だと伝えて婚約破棄を願ったのです」


 そうしても私を手放したくない王家は、新しい護衛の斡旋やお詫びの品々を送って有耶無耶にしようとした。何より、お母様がそれを許さなかった。王妃になる素晴らしさ、選ばれたことを不意にするなんてあり得ないことだと、それはもう凄い剣幕で、折れるようにお父様もお母様の味方をした。


「私には誰一人味方がいなかった。そのことに絶望した私は、ローリーの葬式の後、魔女のところにきたの」

「凄い取り乱していたからねえ、何ごとかと思ったよ」

「あの時のことは仕方ないじゃない。もう魔女に縋るしかないと思った」


 誰も味方がいない状況で、唯一心を開けるのが魔女だけだというのは、なんて可哀想なんだと思うけれど、魔女がいたことで今の私がある。泣き喚いていた私を無碍に扱わず、しっかりと話を聞いてくれたばかりか、願いも叶えてくれる手助けをしてくれるのだから。


 ペンダントの写真を見ても泣かないで前を向けるようになったのは魔女のおかげだ。

 私達は幼い頃約束していたのだ。彼はもう覚えていないかもしれないけれど、どちらかが死ぬ様な事があったら、お互いの写真を入れたペンダントを肌身離さず持っていようと約束した。

 大切な人との思い出を持ち死ねば生まれ変わった時に再会できるという言い伝えを信じて。


 けれど私は来世に期待なんてしない。あるか分からない来世を信じるよりも、幸せな未来をこの手で掴み、今の人生を彼と共に生きたいのだ。


「辛いねえ。でも真実の愛というのは、あんたたちの様なものをさすんだろうね」


 魔女は私の話を聞いてそう呟いた。


 昔は幸せだった。けれど、殿下の婚約者に決まってからというものの、私が私の為に使える時間は激減した。

 最初は嫌で泣いてばかりいた。私は将来ローリーと結婚するとばかり思っていたから。


 けれど私に拒否権はなく。当時の幼い私達にはどうする事もできなかった。もっと大きければ、それこそ駆け落ちしていたかもしれない、なんて考えがよぎった。


 突然押しかけてきた親戚だというヒューバート殿下を支える為に、王妃になれと言われ、色々な物を諦めて受け入れてやっていこうと思っていたのに、最初に裏切ったのはヒューバート殿下だった。


「王妃になるために諦めざるを得なかった。色々折り合いをつけて、私はヒューバート殿下と上手くやっていこうとした。でも彼は知っていたんでしょうね。私のおかげで国王になれるということを。だから私を疎ましく思っていたんだわ。だから彼が私に歩み寄る事はなくて、あろうことか、愛する人までいるのよ。信じられるはずがないじゃない」

「将来を誓いあっていた二人を引き裂き、無理やり結ばれた婚約!そして殿下の裏切りに心が折れてしまったというわけか。誰でもそうなるだろうねぇ」


 魔女はまるで観劇でもしているような楽しみっぷりで少々腹が立つが、ここまで誰かに心情を吐露できる機会はなかった。特にローリーの話ができる人はいなかった。婚約者がいる身分で、他の人を想うことなどあってはならない。だから、こうして楽しく聞いてもらえるだけでもありがたいことだった。


 このまま彼の婚約者を続けていても、いつまた命を狙われるのか分からない。私を何とも思っていない婚約者のために身を捧げるなんて考えられなくなった。


「まさかヒューバート殿下がそれほどまでだったとはねえ」

「ただの政略結婚だから仕方がないのかもしれない。けれどそういうのは影でこっそりするべきであって、白昼堂々とそんな事をしているのはどうかと思わない?」


 しかも私達は結婚もしていないのだ。そんな相手なら、婚約破棄をされても文句は言えまい。けれど王位を継ぐために婚約破棄はできないという。私を一人犠牲にすれば、全てうまくいく。だから我慢しろと?そんなの耐えられなかった。

 元から上手くいっていなかった関係を壊したのはヒューバート殿下。遅かれ早かれこうなっていただろう。


「普通なら、もっと上手くやるべきだろうにね。その点坊ちゃんはまだまだ大人になりきれていないというわけだ」

「本当ね。そのせいで迷惑被っているのは私なのに」


 ヒューバート殿下がもっと優秀だったら。第一王子じゃなかったら。そんな事を願ってもどうしようもない事だと分かっているけれど。それを望んでも、ローリーは帰ってこない。


「事情はよーく分かった。それじゃあ最後の確認だよ。本当にいいんだね?」

「ええ、今更怖気づくなんて事あるわけない。私だけこのまま生き続けるのなら、死んだ方がマシよ」


 私が魂だけのだけの存在となってやっぱり辞めたいと言うと思ったのだろうか。魔女は意志の強さに溜め息をつき、覚悟を決めた様に微笑んだ。


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