第09話 これがその、恥ずかしい丘と骨ってやつなんだな
年越しそばを食べ、年末恒例の年またぎバラエティ番組「坊の使いとちゃうねんぞ!」を見たあと、家族そろって新年の挨拶。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「坊使」は面白いが、いつの間にか年を越しているのが困りものだ。見終わった後で交わす、タイミングを外した新年の挨拶は、取ってつけた感がハンパじゃない。
「まぁ、人生を折り返している身としては、正月といってもそんなにはめでたくはないね。『坊使』を見て笑ってる間にこっそりやってくる、空き巣狙いのようなもんだよ」
例によって、また父さんが妙なことを言い出した。
「あら? あたしの人生は、まだ折り返してないけど?」
「なに言ってんの。あざみさんは僕より年上じゃないか」
あざみってのは母さんの名前だ。
「バカだなコーシロは。男より女のほうが長生きするんだよ?」
甲子郎は父さんの名前だ。
「あのさぁ、仮にも教職を生業にしている身に向かって、バカとか言っちゃう?」
「バカなこと言うやつはバカだ。バカにバカと言ってなにが悪いんだバカ! あんたはいまだに女のことが分かってない。こんなの初歩の初歩だよ?」
「五回も言った。前のも合わせて六回だ!」
「だが、バカなとこがいいわけだが。愛してるぞ、コーシロ」
「う? ううへぇ? へへ……」
もう一回バカと言われたことに気づくこともなく、妙なうめき声を発して、父さんはぐにゃぐにゃになった。扱い楽っ!
母さんと父さんは高校の先輩後輩の間柄で、その関係のまま今に至っているので、いまだに父さんは母さんの手のひらで転がされているような状態らしい。そんな頭の上がらない相手と、その関係を改善しないまま結婚しちゃうなんて、どうかしてる。
まぁ、本人がそれを嫌だと思っていないのが救いなんだけど。
これを反面教師にして、僕はああならないように肝に銘じよう。
「おっといけない。そろそろ時間だな」
正月早々いちゃいちゃしている両親を残し、るなの頭をひと撫でして後を託すと、約束の神社に歩いて向かう。
真っ暗な空に向かって息を吐くと、白いもやのように、ほんのひととき漂って、吸い込まれるように消えていくのが趣き深い。
おお、漆黒の闇よ、わが聖なる息を食らえ! プネウマ・ストマトス! はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ! なん、だと……? すべて無効化してしまうというのか? もしや貴様、宇宙より来る放射冷却のエネルギーを……! なんということだ、これではわれらに勝ち目など……! 笑うがいい、ルシフェル。神に見捨てられた哀れな土塊のあがきを……! 大丈夫だ、問題ない。こんなこともあろうかと、メギド・フレイムを練成しておいたのだ。なにィ? それは絶対零度に対抗しうる唯一の! うおぉ食らええぇぇぇ!
……などと、中二病遊びに興じている間に、鳥居の前に着いた。
辺りを見まわしたが、香澄ちゃんはまだ来ていないようだ。
「ちょっと早かったかな?」
「鳥居は一緒にくぐるのよ」というお達しだったので、鳥居をくぐらぬように、参拝客の邪魔にならないようにと、いろいろ注意しながら酔拳の練習でもしているみたいにふらふらしていたら、白い息を吐きながら香澄ちゃんが駆けてきた。
「お待たせ、ソーシロ!」
目を細めて笑った。頬が紅く上気して、いつもより一段と可愛い。
「い、いや、全然待ってないよ」
なんて言ったら、「招かれざる客」扱いしてるみたいに取られるか?
「……じゃなくて、待ってた」
なんて言ったら、遅れてきたことを怒ってるみたいに取られるかも?
「……というか、主観的にはすごく待ってたけど、客観的にはそれほどでもないっていうか。老いに短し、待つ身に長しっていうか……」
「……なに言ってんの?」
「ま、まぁ、いいじゃない。行こう?」
言葉って難しいよね。
約束どおり鳥居を一緒にくぐり、拝殿付近までやってきたものの、賽銭箱の前は人がごった返していた。最前列まで行くには、かなり時間がかかりそうだ。
百円玉を中指と人差し指に挟み、ナイフ投げの構え。
「あたしの腕なら、ここから賽銭箱に投げ込むのなんて楽勝だけどね。なんなら、あのでっかい鈴でバウンドさせて入れて見せようか? 鳴らす手間も省けるから、一石二鳥だよ?」
などと罰当たりなことを言う香澄ちゃんをなだめつつ、ただ待ち続ける。
「そうだ、ソーシロ、ちょっとしゃがんでみて」
「……こう?」
僕が地面に膝を衝いたとたん、抵抗はおろか、反応すらできない。辛うじて認識だけはできるくらいの速さで、香澄ちゃんは僕の首にまたがった。そして、
「はい、立って!」
「……え、あ?」
背中を叩かれ、僕は思わず立ち上がってしまった。
口を開けて舌を出している犬の口に薬を投げ込み、素早く顎を下から押さえて後頭部をポンとたたくと、自分が何をされたのかも分からぬままに、犬は薬を飲みこんでしまうと聞いたことがあるけど、まさにそんな感じ。
僕はいつの間にか、香澄ちゃんを肩車していたのだった。
「おおぅ、高い高い!」
盛んにはしゃいでいるけど、僕はそれどころじゃない。
首の周りを「ふにゅう」とした温かくて柔らかいものに取り囲まれている。割とスレンダーな香澄ちゃんだけど、さすが女の子だ。内股はめちゃくちゃ柔らかい。
それどころか、首の後ろの僧帽筋の辺りには、全男性が求めてやまない神秘なるアレやコレが息づいているのだ。今、まさに、このとき!
さらに、そこに意識を集中すると、香澄ちゃんが身じろぎするたびに、骨付き揚げチキンが柔らかい肉の中にコリコリとした軟骨を内包しているのと同じように、「ふにゅう」とした肉の下の硬いものが、僕の頸椎とこすれあって「ごりっ」と存在を主張する。つまりこれがその、恥ずかしい丘と骨ってやつなんだな。
不意に僕と香澄ちゃんが触れあっている部分のたたずまいが、ワイヤーフレームのCG画像で僕の頭に飛び込んできた。データ不足のため、テクスチャーは貼られていない。続いて「ピロリン」という電子音とともに、画像はサーモグラフィーに切り替わり、僕の体温が上がっていくのが表示された。
さらに、サーモカメラが引きになると、周囲の人々が青や緑で表示されているのに、僕だけ赤や黄色で表示されるという、怪しすぎる映像になった。
衆人環視の中で高まる体温とリビドー。このまま鼻血なんか出したら恥ずかしすぎる、一生のトラウマになってしまう。
なんですかこれ? 正月早々罰ゲームですか?
神様、僕がなにか悪いことをしましたか?
「神様、これだよ! この百円を入れた人の願いは必ず聞いてよ。他の人のは、まぁ、そこそこでいいからね!」
と、僕がのたうち回りたい気分であるのを知ってか知らずか、さっきの百円玉を高く掲げ、とんでもないことを言い出した。
さらに、香澄ちゃんは肩車が気に入ったのか、僕の耳を掴んでハングオンしてみたり、僕の頭でコンガの達人をプレイしてみたり、近くで父親に肩車されている幼女に「えへへぇ、いいだろー。こっちのほうが高いぞー」などと言って泣かせてみたりと、傍若無人の振る舞い。
矢継ぎ早にいろいろやってくれるので、驚いているヒマすらない。
「うーん。ソーシロの後頭部はあったかいねぇ。抱いて寝たいくらいだよ」
とうとう僕の頭を胸に抱え込んでしまった。首筋には太もも、ぼんのくぼには永遠なるアレ、僧帽筋には神秘なるコレ。それに加えて、頭の上にはフルッフヘンドがふたつ。顔面以外のほとんどを柔らかいものに包まれ、さらに体温が上がる。
「わわ、なんかまたあったかくなったよ?」
そのぬくもりを貪欲に求めて、香澄ちゃんは、さらに強く僕の頭部にしがみつく。すると僕の体温はまた少し上がるという、体温上昇のスパイラル。
「幸せすぎて辛い」っていう言葉の意味が、なんとなく分かったような気がしたり。
そんなこんなで、僕らはやっと最前列まで来た。香澄ちぉんは「よっ!」と、掛け声をかけ、僕の頭を跳び箱のように超えて地上に降り立つ。
こっちは首が折れるかと思ったけど、偶然足が揃ったのが嬉しかったのか、両手をYの字に上げ、「10.00!」と叫んだ。
かてて加えて、それで終わりかと思っていたら、賽銭をポイと放り込むと、鈴をぐわらぐわらと鳴らし、パシーンと手を打ってから、おもむろに香澄ちゃんが言った。
「えっと、どうやるんだっけ?」
「ここまで来て?」
絶対この人は、券売機の前まで行ってから財布を出して値段を確認するような婆さんになると思った。
「だって、インストとか付いてないもの」
インストというのは、インストラクションカードの略で、ゲームの筐体に貼ってある遊び方を書いた紙のことだ。そんなの付いてるもんか。
「二礼二拍一礼だよ」
「ああ、おじぎ三回に拍手二回ね」
「通分しないの。まず、『はくしゅ』じゃなくて『かしわで』。鈴を鳴らして、二回おじぎをした後、柏手二回。で、最期にもう一回おじぎをする。あと、願い事があるなら、このときお願いするんだよ」
「めんどくさいなぁ」
「ちゃんとコマンド入れないと技は出ないでしょ? それと一緒だよ。お願いを聞いてもらうのにも作法がいるんだよ」
「ほーん」
腑に落ちた顔をした香澄ちゃんは、素直に僕が言った通りにやった。
「ソーシロはなに願った? 人類の進歩と調和?」
お参りを済ませ、列を離れながら香澄ちゃんが聞いてきた。
なにそれ。大阪万博のテーマかなにか?
「いや、そこまでスケール大きくない。普通に家内安全と無病息災くらい。香澄ちゃんは? やっぱりアルブラⅧが出ますようにって?」
「ううん。それは、祈らなくても出るからね。せっかく年に一度の大願成就キャンペーンだもの。そんな、放ってといても叶うようなことを願うのはもったいないよ。もしかしたら三月の発売予定からもう一回くらい伸びるかもしれないけど、間違いなく今年中には出るからね、あたしの経験上」
「じゃ、なにをお祈りしたの?」
「もちろん、今年も勝てますように、に決まってるじゃない」
「勝つって、なにに?」
「この世のすべてに!」
香澄ちゃんはこぶしを突き上げた。冷たい風が吹き抜けたのは、今が冬だから。……以外に理由はないはずだ。
「なにその顔。あたし、変なこと言った? この世は勝ってナンボでしょ? よく言うじゃない、『負けたヤツは裸に剥かれるのが決まりなンだ』って。だから勝たなきゃダメなのよ、すべてのものに!」
「それを『よく言う』ってのは、どの辺りでの話?」
香澄ちゃんは僕の問いには答えず、すっと背を向けた。
「……なんでも勝ち組とか負け組とかって決めるじゃない? あたしは負けるのなんてヤだ。負け犬なんかじゃなくて、勝ち猫様になるんだから」
そう言った背中は妙に寂しげだったので、僕は一言しか突っ込めなかった。
「勝手に日本語を作るな」
香澄ちゃんはこっちを振り返って、にっと笑った。
「お正月って嬉しいけどさ、冬が半分終わっちゃうってことだから、寂しくもあるよね」
「なんだか、冬が好きって風に聞こえるんだけど」
「好きだけど?」
「なんで? 寒いの嫌じゃない?」
ちなみに僕は、寒いのより暑いほうがいい。
「寒いのは嫌じゃないよ。だって、自分が熱くなればいいんだからね。でも、暑いのはどうしようもないじゃない。自分が冷めたって、暑いものは暑いし」
「ふぅん。じゃ、香澄ちゃんは夏が嫌いなんだ」
「一番嫌いなのは春だけどね」
「春が嫌いって、花粉症かなにか?」
「違うけど。なんかさ、夏は世紀末覇者で、春はその威を借るモヒカンヒャッハーって感じしない? 『逆らうんじゃねェぞ、オレ様の後ろにはよォ、夏王様がついてらっしゃるんだぜぇぇ』とか言って、調子に乗ってそうな気がするんだよね、春の野郎は」
季節を「野郎」呼ばわりですか。
「怖いのは世紀末覇者だけど、嫌いなのはモヒカンヒャッハー。そゆこと」
どゆこと?
問おうとして横を見ると、香澄ちゃんが消えていた。あわてて振り返ると、参道に並んでいたベビーカステラの夜店を指差している。
「? 買うの?」
「言ったでしょ? 夜店も大事なんだって」
そう言って、満面の笑みを浮かべた。