第04話 人間は中身だなんてウソだ
「起こす準備は終わりましたが、くれぐれも気をつけてください。今からるなちゃんは人間です。機械扱いすると、自殺回路が働いて、みずから電源をシャットダウンさせてしまうかもしれません。それはすなわち、モニターの失敗を意味します。ですから、あくまでも人間として扱ってください。なお、モニターが終了するのは、六か月間のモニター期間が満了したときと、るなちゃんがアンドロイドだということがご家族以外に知られてしまったとき。そして、一度でも電源が切れたときです。その際は、速やかに回収に伺います。よろしいですか?」
僕は無言で頷いた。
「では、クレイドルの右側についている起動ボタンを押してください。本体にはスイッチ類を仕込めませんので、そういった類のものはすべてクレイドルに設置してあります。操作可能範囲は約五メートル。直接本体に指示する際は、すべて音声で行います。本体とはもちろん、るなちゃん本人のことです」
起動ボタンは、温水洗浄便座の洗浄ボタンに当たる位置にあった。過剰なくらいトイレに似せてあるのは、なにか理由があるんだろうか?
「特に理由はありません。ちょっとしたカモフラージュとこだわりと悪ノリです」
「……あの、住良木さん? 本当に精神感応能力とか、あったりしませんか?」
「ございません。よくある質問ですので、予測ができただけですわ」
本当かなぁと思いつつボタンを押す。違うのはお湯が出ないことくらいで、コチンという押した感じも、洗浄ボタンそっくりだった。
「……SIS・SYS004プロトタイプ、起動します」
桜色の唇が動き、可愛い声がこぼれた。目はまだ閉じられたままだ。
「起動時に型番を告げるのはセレモニーのようなものです。パソコンも起動させると最初にOS名が出るからだそうですけど、自分の名前を口にしながら目を覚ます人間なんていませんから、私は不要だと思うのですけれど」
不満そうに住良木。これも上からのごり押しってやつなんだろうか。ワンマンそうに見えて、いろいろストレスの素を抱えてるんだな。
「そろそろ目覚めますわ」
僕は、その目が開かれるのを、ワクワクしながら待った。アルゴンブラストで、モンスターが落とした宝箱が開くのを待つときよりも、はるかに胸がときめいた。
「……ん」
かすかなうめきと同時に、ゆっくりと目が開かれた。
「ああ……」
青味がかった白目の中心に、澄んだ、大きな黒い瞳が浮かんでいる。その美しさに、僕は思わず声を上げてしまった。
その瞳が無表情のまま左に動いた。どうやら住良木の顔を見ているようだ。
続いて瞳が下に動き、住良木の隣に並んでいる宇内、定井の順に見た。表情は変わらない。
しかし、その瞳が右に動き、僕と目が合ったとき、その目は黒目とまぶたが離れるほどに大きく見開かれ、すぐに住良木に向けられた。
『住良木さん、まさかこの人がお兄ちゃんなんですか?』
誰も一言も発しなかったけれど、僕の耳にはそう聞こえた気がした。
ああ、またかと思った。
僕はこの見た目のせいで、初対面の女子供には、例外なく警戒される。付き合いが長くなると害はないことが分かってもらえるのだけど、そこまで至ることが少ない。一見で怯えられたままお別れになることが、圧倒的に多いんだ。
人間は中身だなんてウソだ。
いや、ウソじゃないかも知れないけど、前提条件がありえない。
中身という本戦に進むには、外見という予選を勝ち抜かなくちゃならない。外見が良ければ、少なくとも本戦まで進むことができるけど、予選にエントリーすらさせてもらえないヤツに、本戦を戦うことなんてできるわけがない。
だから、人間は少なくとも外見なんだ。
唯一ともいえる例外が香澄ちゃんだ。なにしろ、普通の人には恐れを抱かせる以外の追加効果を持たないこの見てくれを気に入ってくれたという、稀有な存在なんだ。
ただ、ボディガードとして、というのがイマイチ煮え切らないところだけど。
「大丈夫よ、るなちゃん」
住良木が肩を抱きながら、るなをなだめている。自分が「るな」という名前だという自覚はあるようだ。
おとなしくて物静か、なんて性格にしたのが間違いだったんだろうか。
そんな性格の子が、僕のことをすぐに受け入れてくれるわけがないなんて、普通に考えたらに分かることなのに。僕は、香澄ちゃんと遊ぶ楽しさにかまけて、あのときの心の痛みを忘れてしまっていたんだ。
あれは中学三年の、秋と冬の境目ころのことだった。
夕暮れの図書室。いつも図書室で本を読んでいたあの子。紙の匂いが好きなのか、書架の前で深呼吸しているのを見かけたこともある。
あの子とは別のクラスだったし、物静かな子だったから、しゃべっているのをほとんど見たことがない。声を聞いたのは、貸し出しと返却のときの「お願いします」と、貸し出しは一週間でよろしいですかと問われたときの「はい」だけ。
僕にとって彼女の声は、雑多な音に満ちたこの世界において、鉱石のなかにわずかに含まれる金ほどにも貴重に感じられた。
その日、彼女はいつものように、放課後の図書室にいた。室内には僕たちを除いて誰もいない。なぜか貸し出し係さえ、席をはずしている。
千載一遇の機会だと思った僕は、勇気を振り絞った。彼女に背後から近づいて、彼女の名前を呼びながら、その肩に手を置いた。
彼女はびくんと肩を跳ねさせ、本で顔の下半分を隠しながら振り返った。
僕と目が合った瞬間、その顔に恐怖の表情を浮かべた彼女は、あわてて周囲を見回した。そして自分たち以外誰もいないことを知ると、震える声でこう言ったんだ。
「乱暴なことしないで」と。
僕にとって黄金にも等しかった声が、初めて僕に向けて発せられたとき、それは黄金のナイフに変じて僕の胸に突き刺さった。
僕は、弁解もせずにその場から離れた。
あそこまで怯えた彼女に、どんな弁解が通じるというんだ?
アクセルとブレーキを踏み違えたドライバーが、車が加速し続けることを認識しながらも、自分が踏んでいるのがブレーキだと信じて疑わないように、彼女はかたくなに僕を乱暴な人間だと信じている。いくら、「あなたが踏んでいるのはアクセルなんですよ」と教えてあげても、足を上げるはずがない。
一番いいのは、取り返しがつかなくなる前に燃料が尽きること。
つまり、今の場合、僕がここから消えることだ。彼女は僕の姿と、声と、その存在すべてを恐れているのだから。
例えば、肩に触れず、声をかけただけだったとしたら、どうだっただろう。
例えば、ほかにも人はいるけど、僕たちのことは気にしていないような状況だったら。
例えば、ちょっと離れたところに座って、名前を呼んでみたら。
例えば、彼女が借りそうな本を先に借りて、趣味が合うことを印象付けたら。
例えば、下校途中の街頭で、偶然会ったように装ったとしたら。
例えば、ときどき顔を見て、ときどき声を聞けるだけで満足していたなら。
そうしたら、もっと違う未来が開けていたんじゃないだろうか。
いくら悔いても、いくら考えても、もう遅いのだけれど。
そして今、僕は僕の都合のために、おとなしくて物静か、なんて性格をるなに与えてしまったせいで、余計な気苦労を彼女に背負い込ませてしまったんじゃないのか。
例えば、香澄ちゃんと同じような性格に設定したなら、
『やぁ、あんたがあたしの兄ちゃん? これからよろしくね!』
で、済んだんじゃないのか。
なんて僕は考えなしのバカヤロウなんだ。
「ほら、身体が温まってまいりましたわ」
住良木の声が、僕を現実に引き戻した。
「皮膚のテクスチャーと人工筋肉の間には、薄膜セラミックコンデンサーがございます。これが全身を覆っておりますので、それらの廃熱が体温の元になっているのですわ。もちろん、それだけではありませんが」
触ってみろと言わんばかりに、住良木は、るなの手を僕の前に差し出した。
るなは戸惑っている。それを知ってか知らずか、住良木は、「ほれ」と言わんばかりにるなの手をぷらぷら振る。
「いや、でも、女の子の身体にそんなに簡単に……」
さっきは抱いたり服を着せたりしたけど、今は別だ。るなが目覚めた今、彼女の意思を無視して触るなんて、できなかった。それをしたら、人間として扱うってことにならないじゃないか。
俯いた僕の視界に、おずおずと、るなの手がフレームインしてきた。
まだ住良木が触らせようとしているのかと思い、「しつこいな」と、半ば苛立ちながら顔を上げて、僕は目を瞠った。
るなが、自分から手を伸ばしていた。
住良木が放しているのに、その手は差し出されたままだった。
住良木は「ほう」と言わんばかりに口をすぼめて、軽い驚きを顔に出している。
僕はその手に、るなの明確な意思を感じた。恐る恐る、香澄ちゃんよりもずっと小さな手を、壊さないように握った。
「……本当だ。温かいな」
僕は笑った。たぶん、微妙な笑いになっているんだろうなと思いながら、るなの顔を見ると、るなもぎこちなく微笑んでいた。
僕らは顔を合わせて、もう一度、今度はとても自然に笑った。
「よかったでしょう? 服を着せてあげて」
小声で住良木が耳打ちした。僕は素直に頷いた。
「それではよしなに」と言い残して、住良木一味は帰っていった。
「一味」っていう呼び方は失礼だと思うけど、あの三人組、マッドサイエンティストとその手下って感じだから、一味って呼ぶのがしっくりくるんだよな。
昔のアニメに出ていた、憎めない悪役三人組にも雰囲気が似てるし。
「さて、父さんと母さんに、るなのことをどう話せばいいんだろう?」
るながアンドロイドだということは、本当はモニター本人しか知らないのが都合がいいらしいんだけど、家族に教えずに家庭生活を営むというのは不可能なので、家族にだけは教えてもいいという決まりになったらしい。
ひとり息子から妹を紹介されるなんて、ちょっとないシチュエーションだ。
でも、父さんはのんき者だから、「その子はどちらのお嬢さんだい?」なんて聞いてきたら、「なに言ってんだい、僕の妹じゃないか」とでも言っておけば、「そうだったっけ?」って納得するだろう。けど、母さんはごまかせないだろうな。
言いくるめる自信がなかったので、有体に話したところ、
「あんたの妹なら、ウチの子ってことよね? ウチの子なら家事の手伝いをさせたって、無料よね? 罰は当たらないわよね?」
と、なんだか思考ルーチンが二、三行程抜けているような反応だったので、拍子抜けしながらも、深くこだわらずに「そうだね」と流した。
でも、電気代が月に五百円くらいかかるらしいことを申し述べたとたん表情が変わり、
「あんたの小遣いから引いとくから」と一言。
電気代は僕持ちで、家事手伝いはさせるって、酷くない? よく知らないけど、こういうの、派遣業法かなんかに引っかかるんじゃない?
とは思ったが、まぁ、ややこしくしようと思えばいくらでもややこしくなりそうなこの状況が、たった五百円の持ち出しで決着するんなら儲けもんかと考え直し、僕はその条件を呑むことにした。
ちなみに、父さんは予想通りの反応だったので、予想通りの返事をしたら、予想通りにケリがついた。ほんとに大丈夫なのか? あの人は。
「じゃ、早速晩ごはんの手伝いをお願いしようかな?」
母さんは、るなに何ができるのかもわからないのに、大胆すぎる申し出をした。
「は、はい、お手伝いします!」
「うーん、硬いねぇ。ウチの子だったらさぁ、そこは『うん、手伝うよ』とか言うところじゃない?」
「は……うん、手伝いま……うにょ?」
「ぷ。あははは。可愛いねぇ、あたしの若いころみたいじゃない? ねぇ?」
いきなり同意を求められた父さんが、顔をしかめて首を縦に二、三回振った。
「じゃ、じゃあ、るな、僕は宿題があるから上がるけど、ひとりで大丈夫、だよね?」
「う、うん。がんばりま。がんばるね」
るなは小さくガッツポーズをとった。
どんな料理が出来上がるのか? そこに至るまでになにが起こるのか? 僕は今夜、ごはんが食べられるんだろうか?
いろいろ恐ろしくもあり、楽しみでもあり、興味は尽きなかった。
一部始終を見ていたかったけど、連休のせいで三教科も宿題が出ているし、明日も香澄ちゃんとゲーセンで待ち合わせをしている。落ち着いて宿題ができるチャンスは少ない。残念に思いながらも、僕はるなを母さんに預けて二階に上がった。
翌日、僕と香澄ちゃんは、昨日とは別の繁華街で落ち合った。
十一月下旬の貴重な連休を費やして二日連続でゲーセン巡りというのは、いかにも暇人というか、度を越したゲーセン好きって感じだけど、まぁ、間違いじゃない。
金曜日に香澄ちゃんがこのプランを提起したとき、どういうつもりなのか分からなかったけど、今なら分かる。今が盛りのニンジャ・ストライカーの裏技を自力で発見したもんだから、ネットやなんかで知れ渡ってしまう前にせいぜいカモってやろうということなんだ。
まず入ったのはガセ。もちろん香澄ちゃんのお目当てはニンジャ・ストライカーだ。
目を輝かしながら、語尾にハートマークの付きそうな勢いで、「よりどりみどり」などと言っている。
もちろん「よりどり」なのは筐体じゃなく、その前に座っているプレイヤーのこと。たぶんここが、食べ放題のブッフェみたいに見えてるんだろう。
「さーて、どいつから頂いちゃおうかなー?」
自分が頂かれるかもしれないなんて、これっぼっちも考えてない。
さっさと空いているニンジャ・ストライカーの席に座り、相手の力量も確かめずにいきなりコイン投入。値段を見ずにカゴに放り込むくらい危険な行為だ。
乱入ボタンを押すと、画面に「刺客現る!」の文字が表示された。
筐体の脇から相手の男が顔をのぞかせた。乱入者がどんなヤツか、確認しているんだ。
僕なら確実にイラっと来てる場面だけど、香澄ちゃんはまったく気にしない。それどころか、「よろー」などと言いながら、手まで振っている。
絶対に勝てるっていう自信があるんだろう。
……と思っていたら、いきなり香澄ちゃんピンチ! モーションの大きな突進技「武威忍」を躱され、完全に敵に背を向けてしまった。なにやってんだか。
『あ、ヤバいな。いくら香澄ちゃんでも、敵に背を向けてちゃどうにも……ん?』
激しくデジャヴした。前にもそんなこと思った気が。って、つい昨日だ。
念のため香澄ちゃんの手元を確認すると、やっぱりダブルピースを出している。
やっぱりわざとか? わざとなんだな?
対手はと見ると、ゆるゆると残像を残しながら動き始めていた。なるほど、ここに超必殺技を突っ込んでくるか。抜け目のないヤツだが、残念ながら相手が悪かった。
他のことならいざ知らず、香澄ちゃんは反射神経と動体視力を要するゲームにかけちゃ、仏法守護のための阿修羅や、因果地平の伝説巨神なみの無限力を発揮するんだ。
今度は見逃すまいと、僕は香澄ちゃんの頭上から画面を覗き込んだ。
「ハイっ!」
香澄ちゃんのかけ声と、ボタンを叩く音。
その瞬間、僕はあごに登龍拳を食らったような衝撃を受けた。大きく脳が揺れる。
こっちも昨日と同じで、香澄ちゃんがボタンを押しざまに立ち上がったため、香澄ちゃんの頭頂部が僕の顎を直撃したのだ。
「あが、が」
場所が場所だから、たぶん傍目には、「対空攻撃として出した登龍拳が、当たり損ねて相討ち」というふうに見えただろう。僕も、体力ゲージをがっつり減らされた。エコー付きの悲鳴をあげて、残像を残しながら倒れこみたい気分だ。
「……あ、痛ったー。なにやってんのよ、ソーシロ!」
頭を抱えてうずくまりながら香澄ちゃん。
「ほ、ほめん」
たぶん僕のほうがダメージ大きいと思うけど、僕が悪いんだから仕方がない。
「なんだよ、さっきのはよ!」
筐体越しに相手の男が声を上げる。悪いけど、これ以上話をややこしくしないでくれ。
「……チッ!」
勝者たちがあごと頭を押さえてうずくまっているのを見て、付き合ってられないと思ったのか、男は舌打ちをして去って行った。
「ソーシロ、あご硬すぎ! あたしを殺す気?」
「柔らかかっらら僕が死んれるから」
「こんなとこにこぶができたら、まるでスナメリみたいじゃない!」
前頭部を指さしながら、ぷーっと膨れる。
「罰として、忍者にちなんだジュース買って来て。あの、コーラの前を横切ってどこかに行ったやつ!」
「そんなの、もうどこにも売ってないよ!」
ていうか、なんでサスケなんて知ってるんだ?
「じゃなんでもいい。冷たいの!」
買ってきた缶コーラを渡すと、それを香澄ちゃんは頭の上で横倒しにして目を閉じた。
「うーん……」
「うーん?」
ときどき指を替えながら、頭の上で缶をくるくる回している。
「……うん。缶ってとこがいいね。グッドチョイスだよソーシロ。ダイレクトに冷たさが伝わるから、頭を冷やすにはもってこいだ」
頭の上から降ろすと、素早くプルタブを引き、口をつけた。
「くぁーっ! この一杯のために生きてるわけじゃないけど、やっぱり、炭酸飲むと生きてるって気がするよね!」
なんだかわからないけど、どうやら機嫌が直ったようだ。