第25話 この方が盛り上がると思ったんでゲスよ
入った部屋は、床には毛足の短いじゅうたんが敷き詰められていて、リノリウム張りの廊下とは、まったく違った雰囲気だった。
『廊下には養生をしていない』
住良木が言ったことを思い出した。
僕が入ったドアの正面にもうひとつドアがあり、そこに至るまでは二メートルほどの幅でなにも置かれていない部分がある。明確には区分されていないけど、ここが通路ということらしい。
それ以外の場所には、資材、機材、ガラクタにしか見えないもの。そしてその奥には、見覚えのあるコンテナが置かれていた。
「あれは……!」
近寄って確認する。コンセントは確認できなかったが、扉のLEDが灯っているので通電しているようだ。側面に回ってみると、僕がるなの身長を測るために油性マジックで引いた線と140という数字がそのまま残っていた。これは間違いなく、るなのものだ。
もう一度LEDが緑なのを確認して、思いきり扉を開く。
中には、僕が買ってやった服を着たるなが、目を閉じて座っていた。
「……るな!」
その勢いのまま、肩に触れようとして、僕は硬直した。
あの日、あの病院で、バッテリーを使い果たして冷たくなったるなに触れたときの、嫌な気分がフラッシュバックしたからだ。
鼻の前に手をかざしたけど、息はしていなかった。
るなの呼吸は体内の冷却のために行われているから、休止状態だと必要がないので呼吸をしていないんだ。でも、薄膜コンデンサーに通電していれば廃熱が体温として放出されるから、触れば分かる。
逆に言えば、パソコンみたいにパイロットランプは付いていないから、動作を停止しているのか、単にフル充電の状態で休止しているだけなのか、触らない限り区別はつかない。
差し伸べた手が、無意識のうちに縮こまっていった。
「くっ……!」
意気地のない自分が悔しくて、白くなるほど拳を握り締めた。
『ここまで来て、なにもせずに帰るのか? 大勢の妹たちは、僕をここに来させるために犠牲になったんじゃないのか?』
犠牲っていうのは、大げさな話じゃない。
主人の言いつけを破ってここに駆けつけた妹もいるはずだ。誤作動としてプログラム修正を施されたりするかもしれないし、下手したら、返品、廃棄処分なんてことにもなりかねない。そんなリスクを犯して、彼女たちは僕をここに来させたんじゃないか。
なのに。
「当の僕がヘタレてどうするんだよ……!」
激しい喉の渇きを感じながら、るなの肩に触れた。
その肩は、暖かかった。人肌だった。
思わず安堵の息を吐く。
「……るな、朝だよ」
これで目を開けるという自信はなかったけど、普通に声を掛けた。どちらにしろ僕には、こうするしかない。
少しの間をおいて、クレイドルから「パキュ」という聞き覚えのある音。るなにつながっていたチューブとケーブルが外れた音だ。
「……う……ん」
冷却呼吸が始まって、声帯を震わせたらしい。るなの唇から微かな声が漏れた。冷却呼吸が始まったのは、目を覚ます前触れに違いない。
僕はその瞬間を、永遠のように感じながら待った。
「あ、お兄ちゃん……」
「僕のこと、分かるか? 本当に、本当にるななのか? 僕は……」
疑ったわけじゃないけど、なにしろ、妹たちはみんな似たような顔をしているし、みんな僕を兄に類する名称で呼ぶ。確認するような言葉が、思わず口から出た。
でも、僕が言い終わらないうちに、るなはしがみついてきた。
そして、僕の胸に顔をこすり付ける。
「……うん。私だよ。るなだよ。会いたかったよ」
「僕も、会いたかった。るな……」
その小さな身体を抱きしめながら、僕は違和感を感じていた。
あの日、あっさりと僕の部屋を去ったるなが、僕に会いたかっただなんて変じゃないか。
「おにいちゃん? あの……」
顔を上げたるなが、なにごとか言いかけて口ごもり、下唇をきゅっと噛んだ。
「どうした?」
「その……。香澄さん、は……?」
「ああ、大丈夫だよ。まだ意識は戻ってないけど、命は取りとめたから」
るなの顔が、ぱっと喜びに輝いたと思ったら、すぐにくしゃっとつぶれた。そして、ばふっと僕の胸、というか腹の辺りに顔をうずめた。
「だから、あれはおまえのせいじゃ……」
言いかけて、僕は全身の毛穴が開くような感覚を覚えた。
「……なぜ、おまえがそれを知っている? そのことは話してなかったのに?」
るなは答えず、顔をうずめたままだ。
もしかしたら、もしかしたらこいつは……。このるなは……!
「るな、もしかしておまえは……?」
「あー、まさか、ここまで来るとは思わなかったぜー!」
台本棒読みと言った感じで割り込んできたのは宇内の声だった。振り返ると、いつの間にか、入り口の正面にあったドアの前に、宇内と定井が並んで立っていた。
「グヘヘヘ、わざわざ始末されに来るたーなぁ!」
続いてノリノリで定井。こいつら、なにを言ってるんだ?
「せっかくお姫様と再会したってのに、残念だったな! ここから出すわけにはいかねぇんだ。ともに永劫の眠りにつけ!」
ふたりでハモりつつ、僕に向かって駆け寄ってきた。
「うぉりゃああ!」
素早くるなを抱えて、僕はバックステップで距離を取った。宇内の枯れ木のような腕と、定井の丸太のような腕が空を切る。
なんだかよく分からないけど、どうやら、本気で殴りかかってきたみたいだ。
「けっ……こいつ!」
「猪口才な!」
たたらを踏みながら、ふたりは口々に吐き捨てた。僕は「いまどき猪口才はないだろう」などとと思いつつ、下がっているようにるなを促した。
「けえぇぇい!」
怪鳥のような叫びをあげながら、定井が殴りかかってきた。僕はその拳を手刀で逸らせ、勢い余って半身になったところを背後に回りこんで突き飛ばす。定井の丸い身体が、大玉ころがしの玉のように壁にぶつかって跳ねた。
「いってぇな、この野郎!」
「……おいサダ、もう……」
「こうなったら合体するしかねぇぜ!」
なにごとか言いかけた宇内をさえぎって、定井が叫んだ。
「が、合体?」
「いいから早くしやがれ!」
乗り気でなさそうな宇内を急かして、定井が肩車をした。その姿はまるで、丸フラスコに手足がついたようだった。
この形態に何の意味が? と思いつつ、僕はるなを背中に回して身構える。
「俺らにこのモードを取らせたやつぁ、初めてだぜ!」
「モード……?」
そのとき僕は、はっと気づいた。
もしかしたら、このふたりも人間じゃないのか?
そうだ。考えてみれば、この会社が妹型アンドロイドしか作っていないとは限らない。
住良木は「軽量化が難しい」とか言っていた。もしかしたら、量産はしていなくても、最初は大きさに余裕のある男型を試作したかもしれない。そして、だんだんダウンサイジングして、今の形に落ち着いたとも考えられる。
そういえば、最初に僕の家にるなが来た日、上と下でクレーンに指示を出していたふたりの男は、髪の色以外そっくりだった。あれもアンドロイドだったのかも。
「へへへ、覚悟しやがれ……」
合体凸凹コンビが、丸フラスコ怪人スタイルで、じわじわと僕たちに近づいてきた。
ケンカなんてしたくないのに、どうしても戦わなきゃならないんだろうか。僕は覚悟してファイティングポーズを取った。
……が、彼らの背後から音もなく現れた住良木が、定井をヤクザキックで思い切り蹴り飛ばし、ダルマ落としのように落ちてきた宇内を、振りかぶってグーで殴った。
「おまえたち、悪い冗談はよしなさい」
静かな声で住良木。
「す、すいやせん、主任。サダの野郎が……」
「勘弁してくだせぇ。この方が盛り上がると思ったんでゲスよ」
口々に謝るふたりを無視して、僕らのほうに向かって住良木は頭を下げた。
「申し訳ありません。ただの悪ノリのようですので、ご容赦いただければ幸いです」
「え、ええ、ちょっと驚きましたけど、実害はありませんでしたから」
「感謝します。……では、お詫びといってはなんですが、耳寄り情報をおひとつ」
住良木は人差し指を立てて片目をつむり、後を続けた。
「江川崎様がお考えの通り、そのるなちゃんは、病院でバッテリー切れする前の、オリジナルのるなちゃんですわよ」
「やっぱり……!」
「……ごめんね。私もこんなことになるなんて、知らなかったの」
背中にしがみついていたるなが言った。