第24話 泣けないって、辛いな…
事故から二か月経っても、香澄ちゃんの意識は戻らなかった。
僕が二年生に進級し、ゴールデンウィークを過ぎたころ、街で、るなによく似た女の子たちを見かけるようになった。最初は、寂しい僕の心が見させている幻なんじゃないかと思ったけど、そうじゃなかった。
その子たちは、004シリーズの製品化バージョン。
つまり、るなのさらに妹たちだった。
カスタマイズっていうんだろうか、肌や髪の色、なかには、少し顔が違っている子たちもいたけど、見間違えるはずがない。
だって、僕の妹だったんだもの。
その子たちは、僕と目が合うと、まず、心がとろけそうになるような笑顔を見せた。これはたぶん、誰に対してもそうするようになっているのだと思う。
でも、笑顔の後、決まったように戸惑いの表情を浮かべるのだった。
まるでなにかを思い出せそうなのに、思い出せない。そんな顔だ。
僕は、その顔を見るたび、胸が張り裂けそうになった。
彼女たちの中に、どこのモニターとの記憶が入っているのかは知らない。そんなこと、知りたくもない。でも、彼女たちの戸惑い顔を見るたび、消えてしまった僕のるなの心が、今もどこかで彷徨っていて、同じ素体を持つ彼女たちの記憶回路にまで影響を及ぼしているんじゃないかと思えて、しょうがなかった。
その日の学校の帰りにも、彼女たちの一人に出会った。まったくカスタマイズされていないのか、るなにそっくりの顔をしていた。
いつもと同じように、彼女は笑顔の後に戸惑いの表情を見せたが、その日はその後が違っていた。いたたまれなくなって向けた僕の背中に、小さくて、柔らかくて、ちょっと重いものがぶつかってきたのだ。
涙が出るほど懐かしい、その感触。
振り返ると、さっきの少女が、目を閉じたまま、僕のわき腹の辺りに顔をこすり付けている。小さな手で僕のワイシャツを摑み、においを嗅ぐみたいに何度も何度も、繰り返し繰り返し。
「……どうしたの?」
涙をこらえながら問いかけると、少女は一瞬動きを止め、ゆっくりと目を開いた。
「こっちだよ!」
いきなり少女は、僕の右手を引いて走り出した。
突然だったし、「こっち」がどこを指すのかわからなかったけど、僕はそうするのがあたりまえのような気がした。だから僕は、少女に引かれて走り出した。
小柄な女の子に手を引かれて走る大男は、いやでも周囲の目を引いた。これが逆に、僕が少女の手を引いていたら、間違いなく通報されるところだろう。
僕の行く手はモーセの海渡りのように、人ごみが割れた。
それだけじゃない。
人ごみからひとりふたりと少女が走り出てきて、僕のもう片方の手や、ワイシャツの袖、ズボンのポケットなど、つかめる限りのあらゆる場所をつかんで引っ張り始めた。さらに、つかむ場所がなくなった子たちは、僕を背中から押している。
彼女たちはもちろん、004シリーズの妹たちだった。
どこに連れて行かれるのか分からないまま走り続けていると、後ろからついてくる足音や、妹たちのはしゃぐ声が次第に増えていった。人数が増えたことで、モーセの海渡りというよりレミング大移動に思えてきたけど、妹たちの爆走は続く。
「はぁふぅひぃ、はぁふぅひぃ」
引っ張られたり押されたりしているけど、足が地面から離れているわけじゃないから、走るとそれなりに疲れる。息も絶え絶えだ。
やっと妹たちが止まったのは、大きな工場の門の前だった。
ここはどこだろうと辺りを見回していると、妹たちが互いに自己紹介を始めた。同じ人間同士がどういう自己紹介をするのかと思っていたら、自分の製造番号と、何番目のロットで、性格設定がどうなっているかについてがメインになっているようだ。
門柱には誰でも知っている有名なメーカーの名前が書かれている。ここになにがあるというんだろう?
「ふぅ。……おおっと!」
一息ついて後ろを振り返った僕は、そのときになってやっと、妹たちが二十人近くまで増えていることを知った。
大人しそうな子、無邪気な子、生意気そうな子。多少の違いはあるけど、基本的に同じ顔の妹たちが、いろんな服を着て、さまざまなポーズをとりながら僕を見上げていた。妹たちに共通しているのは、一様に笑顔に類する表情を浮かべていたことだ。
話を聞いている間に、ここが彼女たちにとってどういう場所か、どうして自己紹介をしていたのかが理解できた。
先頭の妹が数人進み出て、門を開けようとしたが動かなかった。
それを見た、生意気そうな顔をした数人が守衛室に乗り込むと、多少の騒ぎの後に門が開いた。どうやったのか分からないけど、守衛に開けさせたみたいだ。
「行こう、お兄ちゃん!」
僕の右手を摑んだ子が、振り返りながら言った。
最初に僕にしがみついてきた子だ。
「行くって……!」
その妹は、僕の問いかけには答えず、無言で僕の目を見つめてきた。
その顔を見たとき、僕は、やっと妹たちがどこに行こうとしているのかが分かった。
「ここにいるのか……? ここに!」
その妹は、目を細めて力強く頷いた。
『ここにあいつがいる!』僕は身体の芯が熱くなっていくのを感じた。
「待ちなさい!」
警備員が両手を広げて僕たちの行く手を阻む。
大勢の妹に気を取られている隙に、一人の妹が素早く後ろに回りこむと、腕と足をからめて警備員を地面に転がした。
見た目よりずっと重い妹たちに組み付かれた警備員は、まるでひっくり返されたゾウガメか、妖怪の子泣きじじいにしがみつかれた哀れなきこりのように手足をばたばたさせるだけで、一向に起き上がれない。
「は、離しなさい!」
叫んでも離すはずがない。
そして彼女たちは、人間より重い身体を人間らしく動かしてみせるために、見た目よりずっと力持ちにできている。普通の人間に振りほどけるはずがない。
その間にも、別の妹が警備員に猿ぐつわをかまし、首にかけたIDカードを抜き取る。
妹たちは、まるで統一された意思を持つ群体動物のように、あいつのところに向かって僕を導いていった。
警備員のIDカードを使って建物に入ったが、機械は騙せても、集団の異様さから、人間の警備員にはことごとく止められそうになった。しかし、やはり先ほどと同様に、ひとりが犠牲になって警備員の動きを止め、その他全員を通過させてくれた。
「ひとり一殺って感じだね」
「殺しちゃだめでしょ、殺しちゃ」
「三原則があるのを忘れちゃだめですよ?」
状況に不似合いな会話を交わしながら、笑いあい、通路を直進し、角を曲がり、階段を駆け上がる。
次第に増えていく警備員。反比例して減っていく妹たち。
五階にあがってすぐの壁に、案内図があるのを見つけたひとりが全体を制止した。全体といっても、すでに妹たちは六人になっていた。
その六人が、案内図を見ながら顔をつき合わせる。無言のまま、目だけを動かして意思を通わせている。どうやらさっきの自己紹介の内容には、彼女たちの身体に組み込まれた無線通信のアドレス交換の意味もあったようだ。
要するに、最初の子が彼女たちを呼び集めた通信は、一方通行的なテレビの電波みたいなもので、自己紹介のときに電話番号みたいなものを交換したために相互通信ができるようになった、ということなんだろう。
思えば、僕たちが走っている間にどんどん妹が増えていったのは、最初のひとりが通信機能を使って、周囲の妹を呼び集めたからだ。単に走っているのを見かけたから合流したってだけでは、あんな大人数にはならないだろう。
僕がいろいろ考えている間に、妹たちの相談がまとまったらしい。最初に会った妹が、僕のところに駆け寄ってきた。
「ここなの。この階なの」
「ここにいるのか?」
知的な顔をした妹が口をはさむ。
「私たちの記憶を統合して過去にさかのぼったところ、最初の起動はここで行われていたことがわかりました。ですから、彼女はこの階にいる可能性がもっとも高いです。逆に、この階にいなければなければ、もう……」
僕は、自分の太い指をちょんと彼女の唇にあてた。
この子には、合理的思考かなにかの性格付けがされているらしく、言いにくいことをはっきり言おうとした。だけど、それは聞きたくなかった。
「ご、ごめんなさい」
「いや、大丈夫だよ」
唇に当てた手を頭に回して、そのままその子の髪を撫でた。
「あっちあっちぃ!」
明るい笑顔が印象的な妹が、僕たちを急かした。そうだ。ここでごちゃごちゃ考えていても仕方がない。先に進むしかない。
五階は倉庫スペースが多く、部屋数はさほど多くなかった。
「最上階に倉庫って、変わったつくりだな?」
「研究用の素材置き場です。プロトタイプの身体はそこの素材で作られています。……私たちは、工場で生まれましたけど」
知的な妹が答える。じゃあ、ここで起動したという記憶はなんなんだ? 工場で生まれて、わざわざ起動はここで行われたって事か?
そんな面倒くさいことをするのか?
「でも、それって……」
「ごめんなさい! お別れです。兄さん……!」
僕が疑問を口から出そうとしたとたん、知的な妹は駆け出した。そして、物陰に隠れていた警備員に飛びつき、押し倒した。
続いて、反対側からも警備員が現れた。
「危なぁい!」
明るい妹は、僕を突き飛ばすと雷に打たれたように棹立ちになった。そしてふらふらと二、三歩歩き、そこに置かれていた消火器につかまろうとして一緒に倒れた。
その背中にはワイヤーのようなものが二本。
「む、無念でござるぅ。犬死などとぉ……!」
そのワイヤーは打ち出し式のスタンガンだったらしく、明るい妹は消火器を抱えたまま動かなくなった。
それを確認するかのように、別の物陰から銃のようなものを抱えた二、三人の警備員が現れた。ワイヤーはその銃のようなものにつながっている。ひとりが明るい妹の傍らに膝をつき、背中に刺さったワイヤーの先端を抜こうとした。その瞬間、
「いーたかったぞうっ!」
と、今まで死んだように転がっていた明るい妹が、がばっと起き上がると消火剤を撒き散らした。
「てえぇい!」
続いて、その足元を狙って元気な妹がスライディングを敢行する。
消化剤で滑りやすくなっているところに足をすくわれて、たまらず警備員が折り重なるように倒れた。さらに、元気な妹は、明るい妹を横抱きにすると、カンフー映画のように壁を駆け上がり、もろとも三人の警備員の上に落下した。
「必殺のぉ! 百二十キロボディスラムっ!」
ズン!
「ぐええええっ!」
ふたりの妹が発するかわいい掛け声と、重たいものが落ちる音、三人の警備員が発するカエルがつぶれたような叫び声が、立て続けに狭い空間に響く。
「今だ! 兄ちゃん! 急げ!」
鼻の頭に絆創膏を貼った元気な妹が、通路の奥を指差して叫ぶ。明るい妹は、実はさっきのスタンガンが効いていたらしく、ぐったりして手首から先だけを振っている。
「行かせてもらう! ごめんよ!」
「ごめんなさい!」
僕と三人の妹は先に進んだ。警備員の装備が明らかに侵入者撃退用になっている。急がなくちゃ、あいつのところまでたどり着けない。
ドアに「住良木分室」というプレートのついた部屋の前で、最初の妹が立ち止まった。
「ここか?」
「たぶんここだよ、お兄ちゃん」
「間違いなくそうだっぴ、ブラザー。ガイアがあたちにここだと言ってるっぴ!」
変わった服を着た妹が、しきりに頷きながら言う。よくわからないがそうらしい。
再び周囲が騒がしくなってきた。正面の角から三人の警備員が姿を現す。
「兄上閣下、おさらばでございます。総員、突撃っ!」
迷彩模様のワンピースを着た妹が、僕に向かって敬礼すると、手刀をランスのように突き出して、警備員に向かって駆け出した。
「ブラザー、ガイアの導きがあらんことを! ……っぴ!」
変わった服を着た妹が、変な感じに手を振って後に続く。
「お兄ちゃん」
最初の妹が僕の前に立った。るなにそっくりな、澄んだ瞳が僕を見つめている。僕は膝をついて目線の高さを合わせた。
「ありがとう。君に会えなかったら、僕はここに来ようとさえ思うことはなかったよ」
僕がそういうと、彼女は、るなそっくりの顔を歪めた。嬉しさと悲しさが綯い交ぜとなった顔だ。
「泣けないって、辛いな……」
「……あ」
ああ、僕はなんて鈍いんだ。
香澄ちゃんが事故に遭った日、タクシーの中でるなが見せた顔は、そういうことだったんだと、今、初めて理解した。
涙の流れない泣き顔は、とても奇妙に見えた。けど、るなは、もともと自分の中にない種類の感情を生み出し、なかったはずの泣き顔も作れるようになった。
そしてこの子は、それが「泣く」という行為なのだと認識するまでになった。
もう、立派な「人間」じゃないか。
「ふふ。いけない、いけない。私たちはみんなを笑顔にするために生まれたんだから、私たちが泣いちゃおかしいもんね?」
さっき「泣けないのが辛い」と言った口が、それを笑い飛ばした。
悲しみを感じるように作られているのに、泣くことができないなんて。僕は切なくて、たまらない気持ちになった。
泣きたいのに泣けないというのは、ほんとうに辛いことなんだろうと思う。
感情を吐き出せず、溜め込んでしまうのと、泣けないことで自分を冷たい人間だと思い込み、責めてしまうのと、ふたつの意味で。
「……お兄ちゃん、ばいばい」
僕の肩をトンと突き放し、彼女はきびすを返した。そして、すでに乱闘になっているふたりのところに駆けていった。
妹たちの戦いの行方を見守る余裕は、僕にはなかった。一刻も早くこの部屋に入らないといけないんだ。
僕は目の前のドアノブをつかみ、引き開けた。