第22話 あたしは遠慮も我慢もしない。してやるもんか!
ほどなくして、黒服の男たちが、るなの回収にやってきた。再起動した時点で、僕はモニターとして失格していたんだ。
そりゃそうだ。
データの保存ができないんだから、電源を切った時点で、モニターの意思なしと判断されても仕方がない。
事故なんだと説明することもできただろうけど、僕はしなかった。実際、僕はモニターを続ける意思を失っていた。るなの顔を見ているのがつらかった。
住良木たちが来ると思っていたけど、黒服の中には、目立つ白衣の住良木はおろか、宇内と定井もいなかった。ちょっと意外だったけど、モニターを中途で投げ出す敗北者には、興味がないってことなんだろうか。
でも、僕にはむしろそれがありがたかった。「くれぐれもお気をつけて、大事に育ててあげてください」と言ってくれた住良木に、合わせる顔がなかった。責める言葉も、慰めの言葉も聞きたくなかった。知らない人に事務的に回収してほしかった。
るなは最初きょとんとしていたけど、リーダーらしい黒服と二言三言会話を交わすと、僕に向かってにっこり笑い、
「お兄ちゃん、短い間でしたが、お世話になりました」
と言ってお辞儀をした。そして、自分で歩いてコンテナに入ると、自分で扉を閉めた。
「服はどういたしますか?」
黒服の一人が聞いてきた。るなが着ていたのは、僕が買ってやった服だったからだ。
「着た、ままで……。僕が、持っていても、仕方が……」
やっと答えた。一言ごとに胸が苦しくなるのを感じた。
『次の自分にも優しくしてあげてね』
るなの遺言ともいえる願い。
それを守れない。
叶えてやれない。
申し訳なさに、胸が締め付けられた。
でも、今の僕になにができる?
買い取ってやることも、奪って逃げることもできない。
僕にできるのはただ、るながいまここで裸に剥かれたりしないように、服を着せたまま送り出してやることだけなんだ。
窓の外から、黒服たちの乗る車のエンジンの音が聞こえ始めた。
『早く行っちゃえよ……!』
その音が聞こえ始めてから車が走り出すまで、たいして長い時間じゃなかったと思うけど、やけに耳障りに感じた。
車の音が遠ざかっていくのと入れ替わりに、誰かが階段を上がってくる音が聞こえてきた。
父さんだった。父さんは、呆然と椅子に腰掛けていた僕に話しかけてきた。
「るなはどうしたんだ。また、どこか悪くしたのか?」
「……終わったんだ」
「終わった?」
「うん。……モニターが、終わったんだよ」
父さんの察しの悪さに、僕はなかば苛立ちながら答えた。
「そうか。……コンテナが運び出されているということは、もうるなは戻ってこないということなんだな?」
「うん。でも、大丈夫だよ」
「大丈夫? なにが大丈夫なんだ?」
いい加減放っておいてほしかった。
「バッテリーが切れたんだ。だからるなの記憶も消えた。るなは死んだんだよ。僕らが知ってるるなは、もうどこにもいないんだ!」
最後のほうは、叫びに近くなっていた。
「僕だって何とかしようと思ったんだよ! 元のるなに戻そうと思って、一晩かけて思い出を話して聞かせたけど、元には戻らなかった。どうにもならなかったんだよ、どうにも……」
「……そうか。それは、残念だったな」
「だから、もうほっといてよ」
無言で背を向けかけた父さんと壁の間を、掻き分けるようにして母さんが部屋に乱入した。
「なに言ってんのさ、あの子は、るなは、あんたの妹だったかも知れないけど、あたしらの娘でもあったんだよ!」
「それは……」
「ちょ、ちょっとあざみさん。総司郎だって……」
「コーシロは黙ってな! コーシロだって言いたかったんだろう? 言いたかったけど我慢したんだろう? でも、あたしは遠慮も我慢もしない。してやるもんか! このバカに一言言ってやんないと、気が済まないんだ!」
父さんは母さんを放し、やれやれといった態で頭を振った。
「やい総司郎! 住良木って人は、るなを機械として扱うな、人間として扱えって言ったんだろう? 四か月分の記憶を一晩で詰め込もうとするなんて、それはあの子を機械として扱うってことそのものじゃないか!」
「僕が……?」
「言いつけを破るつもりなんか全然なくても、たとえもう取り返しのつかない状態になっていたとしても、あんたはそれを破ったんだ。ただ、るなを元通りにしたい一心だったとしてもね! 誰でもない、あんたが一番、るなをロボットだって思っていたってことじゃないか。少なくともそれだけは、誰の責任でもないよ!」
言いたいだけ言うと、母さんはきびすを返し、入ってきたときと同じく、父さんと壁の間を掘るようにして部屋を出て行った。
「……母さんを恨むなよ。母さんが言ったとおり、僕も言いたかったことなんだ。ただ、今すぐじゃないし、もっとオブラートに包んだ言い方をするつもりだったけどね」
母さんを見送った後で、父さんが言った。
「記憶は記録とは違うからね。パソコンの表計算やワープロのデータが消えても、時間をかければまったく同じものができあがる。それは記録だからだ。でも、人間の記憶は違う。同じ人間になるためには、まったく同じ人生を過ごさなくてはならない。双子でさえ記憶は共有しない。つまり、同じ人間にはならないんだ」
例えば数式。同じ数字と同じ記号を使っても、並ぶ順番が違えば、まったく違う答えが出てしまう。
例えば物語。五十足らずの音の組み合わせで、無限に物語を紡ぐことができる。
それと同じ。
理解するたびに絶望が押し寄せてきた。
コンテナが運び出された部屋は、やけに広く思えた。
「四か月前と同じなのにな……」
畳に残った四角い跡だけが、るながここにいたという記憶を留めている。
でも、部屋よりも、僕の心には大きな空洞が空いていた。
僕の空からは、月も太陽も消えた。
バカな僕は、その愚かさのために、なにもかもなくしてしまった。
大切に思っていた女の子が、ひとりは消滅し、ひとりは意識不明になった。
それだけをもって「なにもかも」と表現するのは大げさだ、おまえにはまだ、たくさんのものが残されているじゃないかと言うなら、それは間違いだ。
きれいごとだ。
まさしく、彼女たちは僕の世界のキーストーンだった。
たとえそれが、僕の世界を構成するパーツのひとつに過ぎなかったとしても、それをなくしたことによって、僕の世界は崩壊した。彼女たちを失ったせいで、ほかのなにもかも、自分の命を含むすべてが、存在する意味をなくしてしまったんだ。
複雑なプログラムも、一文字が違っただけで、まったく用を成さなくなる。
かっこでくくられたものにゼロを掛ければ、答えはゼロになる。かっこのなかにどんなに大きな数字が含まれていようと、まったく無意味になる。それと同じだ。
ごろんと横になると、カラーボックスの一番下の段に、僕があげたお菓子の缶と、るなのパジャマが並んで置かれているのが見えた。僕はパジャマを手に取り、顔をうずめて嗅いでみた。
かすかに花のような匂いがした。
「あいつ、ごめんなさいって、書いてなかったな……」
腕には、「さようなら」と「ありがとう」しか書かれていなかった。るなは安らかな気持ちで旅立ったんだ。それだけは救われた気がした。
また、涙がこぼれた。
病院に電話して聞いてみたら、香澄ちゃんの手術は無事に終わり、危険な状態を脱したということだった。
僕は心の底からよかったと思った。なんのわだかまりもなく、そう思った。
もしもるなが命がけで助けた香澄ちゃんが死んでしまったら、かつて僕の目の前にるなという名の女の子が居たという証が、なにもなくなってしまう。香澄ちゃんが生きていること、それがなにより確かなるなの存在証明だった。
もしもあのときまで時間が戻せるとしても、僕はるなの意志を尊重するだろう。
人間の脳だって、電気が流れている。同じ電気の刺激を与えても、脳の作りによって刺激に対する反応が違うから、当然、出す結論も違ってくる。そしてその違いを性格と呼んだり、魂と呼んだりする。たんぱく質が金属に置き換わっただけなんだから、るなの機械の脳に、魂が生まれたっておかしくはない。
同じように取り返しがつかないものなら、それがたんぱく質に宿った魂であっても、シリコンに宿った魂であっても、同じように尊く、それが下した結論も、命を賭けた決心も、同じように尊いのだと、少なくとも今の僕はそう思っている。
だから、同じ結果になると知っていても、僕はるなを止めることはしない。
その決意の行き着く先を知っているから、とめどなく涙を流しつつも、るなの尊き魂の消えるときを見届けるだろうと思う。
パジャマの隣に置かれていたお菓子の缶を開けてみた。
中にはいくらかの紙幣と硬貨、しらぬまのレシートと値札のほかに、チョコレートを買ったときのレシートが入っていて、二千円を少し越える金額が表示されていた。
『るなは、「楽しいお買い物」の二回分を使って、僕へのプレゼントを買ったんだ』
罪悪感と無力感と寂寥感と、その他いろいろなものが僕に襲い掛かってきた。
僕はもうだめだと思った。
なんでこれを開けてしまったんだろう。
涙が視界を奪い去ってしまわないうちに、僕は急いで中身を戻し、蓋を閉めた。