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第21話 SIS・SYS004プロトタイプ、起動します

 僕が後悔しはじめたとき、不意に、すべての灯りがいちどきに消えた。暗い廊下には、非常口を指し示す緑色が、点々と灯っているだけだ。

 僕は無意識に立ち上がった。

「停電……?」

「か、香澄っ!」

 僕の隣に座っていた香澄ちゃんのお母さんが叫んだ。

 そうだ、手術中の香澄ちゃんはどうなるんだ? 反射的に振り返ると、るなは無言で僕を見上げていた。その目に、緑の灯火が揺れていた。

「大丈夫だ。病院なら自家発電があるはずだから……」

 そう言い終わらないうちに、蛍光灯がチカチカと瞬き、点いたと思ったらまた消えた。

 どういうことだ?

 と、思っているうちに、廊下が騒がしくなってきた。医者と看護師がなにごとか、激しい調子で会話を交わしながら、廊下を右往左往している。

「先生っ!」

 香澄ちゃんのお母さんが、通りかかった医者に取りすがる。

 そうして聞き出した話によると、現在、ここら一帯が広範囲にわたって停電しており、復旧の見通しが立っていないとのこと。それに加えて、地下に設置された自家発電も調子が悪く、定格を出せていないとのことだった。

「なんてこった、香澄ちゃん……!」

 よりにもよって、なんでそんなことが今日起こるんだ?

 僕はまだ、香澄ちゃんとお別れするわけにはいかない。

 今日のことを謝らないといけないし、デートの続きもしたい。一緒にアルブラもしたいし、それに、もっと、もっと、いろいろなことをしたい。

 だけど、今、僕になにができる?

 自転車漕いで発電しろって言われたら、心臓が破れるまでだって漕いでやるのに! 

「くそっ……!」

 コンクリートの壁を思い切り殴る。

 ほとんど無人の廊下に、「ズン」という音が響いた。

「お兄ちゃん」

 いつの間にか立ち上がっていたるなが、病院に来て初めての声を発した。

「配電室に行こう」

「配電室? どうする気だ?」

「私なら、香澄さんを助けられるかもしれないから」

 るなは、香澄ちゃんのお母さんに聞こえないくらいの声で言った。

「……わかった。自家発電が地下だって言ってたから、たぶんそれも地下だろう」

 僕らは、香澄ちゃんのお母さんが医者と話している間にそこを離れ、薄暗い中を地下に向かった。

 るなは夜目が利くらしく、暗がりでも怖じることなく僕の手を引いて歩いていった。

 そして、ある場所で立ち止まり、僕には見えないプレートを読むと、

「ここ」と言った。

 ひとつ離れた部屋からは、懐中電灯の明かりや、人の声が廊下に漏れていた。たぶんそこが自家発電の部屋で、現在復旧におおわらわ、という状態のようだ。

 でも、配電室は単に電気を病院全体に分配するだけの部屋だから、ここに問題があるわけじゃない。今日のところはノーマークで、僕らがなにかしていても大丈夫のはずだ。

 るなはしばらく配電室をウロウロして、あちこちを指差し、その指を縦横に動かせて、なにかをなぞるような仕草をしていたが、意を決したように二本の電線を引っこ抜いた。

「お、おい、大丈夫か? そんなことして……」

 その問いには答えず、つかんだ二本の線をスカートの中に突っ込んだ。

「ん、ん……う、う、あ!」

 ぺたんとその場にへたり込み、悩ましげに、眉間にしわを寄せる。

「おまえ、なにを……?」

「で、電源が不安定だから、私のなかのコンデンサーを通して、安定させるの、の」

 つまり、さっきの二本は電源のインとアウトの線で、るなは充電しながら放電するってことか。なるほど、それなら急に電源が落ちても、医療機器への給電は途切れない。

「でも、それじゃおまえの電池が!」

「だ、大丈夫。五倍以上のエネルギーゲインがあるから、ら」

 そう言ってるなは、引きつった笑顔を浮かべた。

 身体の中をイレギュラーな電流が駆け巡っているせいか、声がテクノポップみたいになっている。

「冗談言ってる場合じゃないだろ。言ったじゃないか、香澄ちゃんの事故は、おまえとは関係ないんだって。おまえは自分を責める必要なんかないんだ!」

 るなは顔を上げると、苦しそうな顔で笑って、首を横に振った。

「あ、ありがとね、お、お兄ちゃん。でも、私は罪滅ぼしだなんて思ってないの、の」

「えっ……?」

「も、もしかしたら、私なら香澄さんを助けられるかもって、思うの、の。だから私は、ここにきたの、の。ただ、それだけ、け。できることがあるのにしなくて、悪い結果になったら、ら、きっと後悔するよね、ね? ず、ずっと自分を責めるよね? そういうの、嫌なんだ。私は、は……」

 るなはそこで言葉を切ると、胸が締め付けられるような笑顔を見せた。

「わ、私は、人間だから、ら」

 その笑顔を見たとき、僕はるなを止められないと悟った。

 僕は壁にもたれてあぐらをかき、へたり込んでいたるなを膝の上に乗せた。

 るなの身体は、この前のバッテリーが不調だったときより熱くなっていたが、僕は構わずにその身体を抱いた。バッテリーは温めたほうが長持ちするって聞いたことがあったから、コートの前を広げて、るなの身体を包み込んだ。

 僕も、携帯の充電が終わるのが待ちきれないときなんか、充電しながら使うことがあるけど、今のるなは、それと似たような状態だろう。

 違うのは、充電するより放電するほうがはるかに多いってことだ。

住良木は、るなのバッテリーには一般家庭が使う電力の二日分が貯められていると言った。僕が帰ったとき、るなはコンテナから出たばかりだと言っていたから、フル充電の状態だったはずだ。

 僕は必死で計算した。

これくらいの病院でどれだけの電力を使うのか分からないけど、一般家庭の十倍と仮定すると約五時間。いや、一般家庭では夜間はあまり電気を使わないから、正味三時間てとこか。これは電力供給なしの場合だから、充電しながら放電の場合は、もう少し伸びるだろう。

 不安定とは言え、自家発電が回っているのなら、使用量の半分くらいは供給されていると考えるべきだ。なら、六時間は大丈夫だ。

 まてよ。さっきるながあちこち指差していたのは、電力供給を手術室の辺りだけに絞るためだったんじゃないのか? だとしたら、バッテリーはもっともつはずだ。

 前提からして仮定だらけで、根拠も何もない。

 考えても仕方がないことを、僕は考え続けた。少しでも安心したかった。

   

 どれだけ時間が経ったのかはわからないけど、不意に周囲が明るくなった。

「……るな、停電が終わったみたいだぞ!」

 返事はなかった。るなは、僕の胸にもたれたまま、ぴくりとも動かなかった。

「るな、もう大丈夫なんだ。もう電気は……」

 るなの頬に触れて、僕はぞっとした。

 その身体は、室温と同じくらいの温度になっていた。

「あ……!」

 僕の背筋を、もう一度冷たいものが走った。

 僕は、明かりがついた瞬間にるなに声を掛けたつもりだったけど、とんでもない思い違いをしているんじゃないだろうか。つまり、僕は不覚にも眠り込んでしまっていて、目が覚めた瞬間を、明かりがついた瞬間と思い込んでいるんじゃないだろうか。

 じゃあ、いつからだ? 

 いつからるなは、こんな状態だったんだ?

 いつから充電モードに入っていたんだ?

「くそっ!」

 自分の顔を思いっきりぶん殴り、るなのスカートの中に伸びているケーブルを引っこ抜いて、元々挿さっていたあった場所に戻す。早く家に帰って、クレイドルの起動ボタンを押さなくちゃ、充電が完了していてもるなは目覚めない。

 香澄ちゃんのことも気にはなったけど、僕がいたってなにもできない。今、僕が一番にしなくちゃいけないのは、るなを目覚めさせることなんだ。

 るなを横抱きに抱え上げたら、僕がコートの胸ポケットに入れていたボールペンが転げ落ちた。アーケードゲームのハイスコア記録用に使っていたお気に入りだ。

でも、拾っている暇なんかない。

 そのままるなを抱えて走り出す。

 るなの身体が人間よりかなり重いことも、さして気にはならなかった。自分の身体がむやみにでかいことを、このとき初めて感謝した。

「おまえがいなくなったら、僕は……」

 最悪の想像に視界が歪んだ。


 ドアをぶち破らんかといった勢いで、部屋に飛び込む。

 るなの下着をためらいなく脱がせてクレイドルに座らせ、変圧器のレバーを上げた。

 少し間をおいて、るなの身体がかくんと揺れた。補給のチューブが接続されたらしい。病院でいくらか充電されているようで、お尻洗浄の水勢ゲージに模した電池残量計は、四十パーセントを指していた。

 ああ、やっぱりるながバッテリー切れになってから結構時間が経っていたんだと思いながら、クレイドル右の、お尻洗浄ボタンそっくりの起動ボタンを押し下げた。

「……SIS・SYS004プロトタイプ、起動します」

 るなの唇が、住良木がいらないと言っていた、あの文句をしゃべりだした。

「……冗談だろ?」

 るなが目を開いた。

 辺りを見回し、傍らに座っていた僕に気づくと、びくんと跳ねた。ほかに誰もいないことを確認し、再び視線を僕に向ける。この目覚めがイレギュラーなものであることを知ってか知らずか、その瞳には、明らかな怯えの色があった。

 朝、目覚めたときとは明らかに違う、この部屋で初めて目覚めたときと同じ反応だ。やはり、るなの記憶は失われてしまったのだ。

「……おはよう、るな。僕がおまえのお兄ちゃんだよ」

 上ずった声で、僕は話しかけた。

 でもるなは、顎を引き、上目遣いで僕をみつめている。やっぱり、ここにいるのは、るなと同じ名前で、同じ姿をした別人なのか。

 違う。僕のるなになる前の女の子だ。僕のるなと同じ記憶を持てば、僕のるなになる可能性があるんだ。そう思った。

 だから、僕はあきらめたくなかった。もう一度、僕のるなを取り戻したかった。

「なにもしないから、怖がらなくていいから。ただ、僕の話を聞いてほしいんだ」

 僕は、るなが初めて目覚めてから今日までの四か月あまりの思い出を語りはじめた。

 父さんと母さんのこと、料理で失敗したこと、テレビのアニメ、ニュース、樺沢聖美のこと。雨の日にふたりで話したこと、雷が怖くて一緒の布団で眠ったこと、おなかが膨れて住良木にからかわれたこと、服を買ってやったこと。

 クリスマス、初詣、バレンタイン。そして、それ以外の思い出せる限りのありったけ。

 身振り手振りを交えて、僕は喉がかれるまで話し続けた。

 僕が危険な人間ではないと分かったのか、るなは過不足ない相槌を打ちながら、僕の話を興味深そうに聞いていた。

 でも、またるなが自分を責めることになるんじゃないかと思うと、昨日から今日にかけての出来事だけは話すことができなかった。

 気がついたら夜が明けていた。

 徹夜で話し続けた僕は、寝不足でくらくらしながら、話し忘れていたことがないか考えた。でも、寝不足による頭痛のせいで、うまく思い出せない。

 僕の話が途切れたので、るなはあちこちきょろきょろと見回し始めた。周囲の状況を確認しているのだろう。

 そのうち、自分が着ている服に興味が移ったらしく、布地を撫でたりつまんだりしていたが、何気なく袖をまくりあげると、あっけらかんとこう言った。

「あれ? お兄ちゃん。ほら、こんなことが書かれてます」 

 るなの前腕部にあったのは、ボールペンで書かれた、震える文字。

『おにいちゃん ありがとう さようなら つぎのわたしにも やさしくし』

 僕は言葉を失った。

 るなは自分が消えることを知っていた。再起動したとき、すでに自分の記憶は失われているであろうことを知っていて、僕に書置きをした。

『次の自分にも優しくしてあげてね』と。

 なんて悲しくて、強い。そしてひたすら優しい願いなんだろう。

 僕はその時初めて、声を出して泣いた。

 るなが、僕の妹が、消えてしまったことを、初めて実感した。

 昨日まで僕の前にいたるなという女の子は、永遠に失われてしまった。もう、この世界のどこにもいない。今、ここにいるのは……。

「お兄ちゃん、泣かないで」

 るなの形をした機械が、僕の背中を撫でた。

 僕が、なぜ泣いているかも知らずに、泣くなという。こんなとき、的外れな慰めほど腹の立つことはない。

 だけど、彼女が悪いわけじゃない。すべて僕が悪いんだ。

 住良木が言った、『いっそ壊れたのなら諦めがつく』という言葉の意味が、今、やっと分かった気がした。

 再起動なんかさせるんじゃなかった。

 再起動させたために、僕はるなが消えてしまったことを再認識することになり、るなはもう一度記憶を消去されるという苦しみを味わうことになるんだ。

 なんて僕は、考えなしのバカなんだろう。


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