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第20話 香澄ちゃんが、自殺なんかするはずない

 家に帰りつき、部屋に駆け込むと、部屋の中央でるなが、さっきの香澄ちゃんと同じ格好で座り込んでいた。奇妙な偶然。

「どうしたんだ、るな?」

 顔を上げるなり、ものも言わずにしがみついてきた。

「……るな?」

「もう大丈夫。大丈夫だよ。コンテナに入ったら、よくなったから」

「そう、なのか?」

 僕はそれ以上追及しなかった。

 普通なら、デートの途中で呼び戻され、「なんでもない」なんて言われたら怒るだろう。どういうことなんだと詰め寄るだろう。

 でも、僕はそれをしなかった。

 あのとき、僕はるなに呼び戻されて、すこし安心していた。ちょっとだけ香澄ちゃんを「面倒くさい」って思ってしまったからだ。

『ごめんね、香澄ちゃん。でも、香澄ちゃんも悪いんだよ。あんな、わけのわからないことを言うから……』

 僕は、頭の中で、何度も自己弁護を繰り返した。

 でも、「自分」ってやつは、どんなに厳しい取調官より鋭く、僕の嘘を見抜く。

 どう弁解したって、僕の都合で香澄ちゃんをほっぼりだしたことには違いない。

「よし!」

 勢いをつけるために、あえて口に出しながら携帯を取り出す。電話するのはもちろん香澄ちゃんだ。正直、腰が引けたが、このままにはしておけない。

 コールが始まる。一回、二回。

 マナーモードになっているのか、まだゲーセンにいて騒音で聞こえないのか。

 もちろん、僕からだと知って、無視しているとも考えられる。

「謝りたいんだ。電話に出てよ香澄ちゃん。できることなら、今日、これからもう一度会って、デートの続きを……」

 僕はふと気が付いた。今まで香澄ちゃんは、「デート」なんて言葉を使ったことがなかったのに、今日のはデートだって言った。家に帰るまでがデートだって。

 十五回。祈るような気持ちで、香澄ちゃんが出てくれるのを待つ。

 どうしてなんだろう。どうして香澄ちゃんは、今日に限ってデートって言ったんだろう。

 二十回。だんだん心が折れてきた。

 出ないでくれっていう弱い気持ちが、少しづつ大きくなり、僕の心を満たしていく。

 三十回目に僕は、電話を切った。


 午後八時ころ、僕の携帯が本日二度目の間抜けなメロディを奏でた。取り出してみると香澄ちゃんからだった。

 機嫌を直してくれたのか、本当に気付いてなかったのか分からないけど、向こうから電話をくれたのは嬉しかった。

「はい、江川崎です」

「あ、あの、そーしろさんですか?」

 うろたえたような香澄ちゃんの声。

「そうですけど、どうしたの? 香澄ちゃん?」

「いえ、私、佐田香澄の母です」

 これはすみません、と言おうとして、思いとどまった。声が香澄ちゃんにそっくりだし、なにより香澄ちゃんの携帯からっていうのが怪しい。

「……香澄ちゃんでしょ? 冗談はよしなよ。今日のことは何度でも謝るから」

 とは言ったものの、冗談を仕掛けてきてくれたと思って、僕はちょっと嬉しくなった。でも、次の言葉で、僕は凍りついた。

「いえ、香澄は、事故に遭いまして。……今、手術中なんです」

「えっ?」

「あなたのお名前を何度も呼んでいたようなので、お知らせせねばと思い……」

 冗談はやめろよと言おうとして、再び思いとどまった。

 香澄ちゃんは冗談なんか言わないってことに気づいた。香澄ちゃんの言うことが、いくら他人には冗談に聞こえようと、本人はいたって本気なんだ。

 香澄ちゃんは冗談を言わない。お母さんが言う理由がない。なら、本当に香澄ちゃんは本当に事故に遭ったってことじゃないか。

「どこの病院ですか? すぐに行きます!」

 病院名を聞くと、僕の家から自転車で十分くらいのところにある病院だということが分かった。椅子の背もたれにかけたままになっていたコートを羽織り、外出するってことをるなに告げようとして振り返る。

 るなが、僕のコートの裾を両手でつかんで、僕を見上げた。そして、

「私も行く」と言った。 

 だめだとは言えなかった。

 僕が「だめだ」と言ったから、香澄ちゃんは事故に遭ったのかもしれない。だから、意地でもこの言葉は使いたくなかった。

「わかった。一分で支度しろ」

 るなは大きく頷くと、初詣のときと同じように、ワンピースの上に最初から着ていた上着を羽織って、マスクをした。違うのは、今日はベレー帽ではなく、初詣の後、しらぬまで買った帽子をかぶっていることだ。

「じゃ、行こうか」

 るなは頷いて、僕の後に従った。

 一人なら自転車でと思ったけど、るなが一緒なので、家から百メートルくらい離れた大通りに出て手を挙げた。タクシーなら初乗りとワンメーターくらいだろう。

 幸いすぐにつかまったので、さっさと乗り込んで行き場所を告げた。

 腿の上で手を組んで、車の揺れに身を任せる。することがなくなると、嫌な想像が自然と頭をもたげてきた。

 まさか、僕が「香澄ちゃんになにかあったら、ほかにどんなに大事な約束でもすっぽかして駆けつける」って言ったから、「なにか」を起こしたんだろうか。

「そんなはずっ……!」

 そんなはずない。香澄ちゃんが、そんなバカなことするはずがない。

 ……いや、バカなことは言うし、しもするけど、こんなことをするはずがない。

「……ごめんなさい。……ごめんなさい」

 るなが切れ切れに呟く声が、僕の意識を現実へと呼び戻した。

「なに言ってるんだ? おまえ」

「……私のせい。香澄さんが事故に遭ったのは、私のせいなんでしょう?」

「どうしてそう思うんだ?」

「だって私が、つまんないことでお兄ちゃんを呼んだから……」

 そう言って僕に向けられたるなの顔は、くしゃっと潰れたような、歪んだような。能面の「こべしみ」のような奇妙な顔だった。

「どうしてなんだろう。私、お兄ちゃんが外で香澄さんと遊んでるって思ったら、なぜだかわかんないけど、なんとかしなきゃって気持ちになったの。でも、お兄ちゃんと香澄さんが会うのを止めさせるっていう選択肢しか残らなくて。何度リロードしても結果が変わらなくて。こんなことしても、誰のためにもならないのに。だめだって分かってるのに、止められなくて」

 そこまで言うと、るなはこつんと、前のシートの背もたれに頭をぶつけた。

「なんでかなぁ。私、壊れちゃったのかなぁ。こんなこと、今までなかったのに……」

 言いながら、どんどん変な顔になっていく。

「るな、おまえ……」

 るなは、香澄ちゃんに嫉妬したんだと気づいたとき、僕は言葉を失った。

 るなは、自分の中に芽生えた、初めてのネガティブな感情に戸惑っているんだ。

「私、私はなぜ……」

「いいんだ。香澄ちゃんの事故とおまえは関係ない。おまえのせいじゃないんだ……!」

 僕はそのとき、初めてるなを抱きしめた。

 その身体を壊さないように優しく。

その心が崩れ落ちないように強く。


 病院に着いて、受付で手術室の場所を聞く。

 手術室の前には、四十歳くらいの女の人が一人、顔を伏せてベンチに腰掛けていた。

 僕たちに気づくと立ち上がり、軽く頭を下げた。

「香澄ちゃんの、お母さんですか?」

 と聞いてみたものの、実際には聞く必要はなかった。

 声がそっくりなだけあって、まっすぐこちらに向けた顔は、廊下の薄暗い明かりでもはっきり分かるほど、香澄ちゃんに似ていたからだ。

「はい。……そーしろさんですね。イメージ通りでした」

「イメージ?」

「香澄からは、身体の大きい人だって聞いていましたから」

 僕のことをお母さんに言ってあったんだ。

 そう思うと、場違いなのはわかっているのに、顔が赤くなっていくのが分かった。

「そちらは、妹さん?」

「あ、ええ、そうです」

 るなが無言で頭を下げた。

 香澄ちゃんには僕が一人っ子だという話をしていたかどうか、記憶にない。していたとしたら、香澄ちゃんが後で今日のことをお母さんから伝え聞いたときに不都合が起きそうだけど、ここで「違う」なんて答えるのは、別の意味でいろいろと不都合だ。

「そ、それより、香澄ちゃんの容態はどうなんです? ……手術は?」

「まだ手術は続いています。ここに来たときは、意識不明の、重態だったそうです」

 軽い感じで口から出た言葉は、雷のように僕の脳天を打った。

『意識不明の重態』

 その言葉は、テレビやインターネットのニュースでよく目にした。

 でも、この状態に陥った人は、ほぼ目覚めることはなく、第二報、第三報で、ステイタスは「死亡」という言葉に置き換えられる。

 今まで僕は、その文字列の変化に対し、「ああ、あの人死んじゃったのか」くらいの、わずかな感傷以上のものを覚えることはなかった。

 でも、自分が当事者になってみると、なんて絶望的な言葉なんだろう。

 助かった例はいくつもあるのかもしれない。

 もしかしたら、助かることのほうが多いのに、そちらは報道されず、より刺激的な「死亡」の例だけが報じられているのかもしれない。

 でも、実際にどうなのかなんて、僕にはわからない。

 香澄ちゃんが、僕の前から居なくなる?

 そんなこと、考えられない。考えたくない。

 まるで高いところに上がったときのように足がガクガク震え、まるで見えない誰かに膝カックンをされたみたいに、僕はその場に膝をついた。

「香澄ちゃん……」

 やっぱり、僕のせいなんだろうか。

「警察の人から聞いたんですが、香澄をはねた運転手が言うには、赤信号なのにふらふらと車道に出てきたらしくて……」

 僕の耳に「ジーン」というセミの鳴き声のようなものが聞こえ始め、それが耳鳴りなんだと意識したとたん、頭の中全体に広がり、それ以外の音をどこかに追いやった。

「救急車を呼んでくれた人も、横断歩道の前で立っていたら、後ろからあの子が自分の脇をすり抜けて車道に出たと言っていたそうです」

 耳鳴りの向こうから聞こえてくる香澄ちゃんのお母さんの言葉は、チューニングがうまくいかないラジオを聴いているみたいに、現実感がなかった。

「そーしろさん、なにがあったんですか?」

 緊張の糸が切れたのか、お母さんは僕のコートをつかんで泣きだした。

「あの子が自殺なんて……!」

『自殺』

 その言葉は、やすやすと耳鳴りの瀑布を貫き、したたかに鼓膜を打った。

「香澄ちゃんが、自殺なんかするはずない!」

 お母さんが、しゃくりあげるのを忘れたように、僕を見上げて瞠目した。

「……あ、ごめんなさい。大声を出しちゃって……」

 ばつが悪くなった僕は、視線をあちこちに泳がせながら謝罪した。そしてお母さんの隣に腰を下ろし、頭を抱えた。

「そんなはずないよ。そんなはずない」 

 自殺だなんて思いたくなかった。

 責任逃れをしたかったからじゃない。

 るなに罪悪感を感じさせたくなかったからでもない。

 ただ、香澄ちゃんがそんなに弱い人だとは思いたくなかったからだ。

 僕は、るなの正体を明かさないように今日起こったことを説明するには、どう話せばいいのか悩んでいたが、幸いお母さんは、それ以上問い詰めようとはしなかった。

「それでね……」

 動顛気味だった母さんは、多少落ち着いたらしく、いきさつを語り始めた。

 香澄ちゃんは、救急車に乗せられたときにはまだうっすら意識があって、僕の名前を呼んでいたらしい。

 救急車の乗務員は、患者の容態や発言について詳しくメモを取るらしく、僕の名前もそのメモに書きとめた。でも、「ソーシロ」を「そうしろ」と聞き間違えてしまい、「この子は、なにをしろと言っているんだろう?」と思っていたため、香澄ちゃんのお母さんに伝わるのが遅れた。

 お母さんは、警官から手渡された香澄ちゃんの携帯に、僕からの着信があるのを見つけて、「なにかしろ」というのが「ソーシロ」のことだと気づいて、僕に連絡した。

 だから、僕が呼ばれるのが遅かったのだそうだ。

 香澄ちゃんのお父さんが海外赴任していて、すぐには戻れないことを何度も繰り返し交えながら、お母さんがぽつりぽつりと語った話を総合するとこんな感じだった。

 僕はそれを、るなの背中を撫でながら聞いていた。

 るなは病院に着いてから、一言もしゃべっていない。俯いたままだ。責任を感じて落ち込んでいるんだろうってことは、聞かなくても分かる。

 だから僕は、その手に、大丈夫だ、自分を責めるなという気持ちをこめて、るなの小さな背中を撫で続けた。

 こんな辛いことがあったら、るなの自殺回路とかいうやつが働いて、電源を落としてしまうんじゃないかと、僕は気が気じゃなかった。香澄ちゃんが意識不明で、このうえるなまでいなくなったりしたら、僕はいったいどうすればいいんだ

『連れてくるんじゃなかった……』


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