第19話 お兄ちゃん、帰ってきて
「次はこれ?」
僕がじっと見ているのに気づいた香澄ちゃんが、どっかと椅子に腰を下ろした。
「別にそんなつもりはないよ」と言う間もなく、すばやく百円玉を投入し、スタートボタンを押す。
久々だけど別に懐かしくもないオープニングの曲が流れ、それとともに画面下に自機が現れた。のっけから敵の猛攻撃が始まる。ブライトさんも大満足の弾幕っぷりだ。
実は、僕がこのゲームを覚えていたのは、あまり面白くなかったからだ。いや、面白くなかったというより、僕には難しくて楽しめなかったというべきだろうか。
レバーを操作してる時としてない時で、なぜか当たり判定の大きさが変わるっていう癖のある仕様で、その場に停まってたら避けられる弾でも、移動中だと食らってしまう。ある意味リアルと言えないこともないけど、すいすいと敵弾をかいくぐるのがツボの弾幕系シューティングとしては、はたしてどうなんだっていう疑問の残る問題作だった。
その当時攻略記事を載せていたゲームマガジンGでは、敵弾が自機付近を通過する瞬間は停まっていないといけないということを指して、「だるまさんが転んだ」みたいだと表現されていたのを覚えてる。
ここに今でも置かれてるってことは、この仕様が好きな人もいるわけだ。同時期に登場したゲームのほとんどが消えてしまったことを考えれば、良くも悪くも個性的なのは、生き残りのために有効だったってことなんだろう。
「……ねぇ、ソーシロは初めてだよね?」
「ううん、前に何度か」
香澄ちゃんの問いに、画面から目を離さずに、僕は答えた。そう言えば、中学生のころ、このゲームもハナオと一緒に遊んだんだっけ。
「な、何度も?」
香澄ちゃんの手元から、「ドカーン」という、一機失った音があがった。エクステンドする前に一機失うなんて、ゲーム神の香澄ちゃんにしては珍しい。
「うん、中学の時に、同級生と」
「ちゅ、中学?」
香澄ちゃんの手元から、再び「ドカーン」という音があがった。エクステンドする前に二機も失うなんて、ゲーム神の香澄ちゃんにはあるまじき事態だ。
「そ、そう、なんだ」
凡ミスしてしまったせいか、やけに香澄ちゃんはうろたえている。
「ど、同級生って、どんな人?」
「ハナオ。じゃなくて、伊藤ってヤツだよ」
「は、はなおさんかぁ。か、可愛い名前だね」
「そうかなぁ? 本人は見たまんまハナオって感じだよ? 見たら笑うから」
目が小っちゃいから、余計に鼻の大きさが際立つ感じだったんだよな。曇天堂の「OKAN」に出てきた「土星さん」にそっくりとも言われてた。
「おとなしそうな人、なのかな? 純和風って感じの」
「ん、んん? まぁ、活発なほうじゃなかったと思うけど。和風、かなぁ?」
かみ合ったと思った会話が、またずれてきたような気がする。
「な、なんだ。ソーシロ、彼女いたんじゃない。……ごめんね、彼女いない歴=年齢プラスアルファとか言って、からかっちゃって」
「え? ちょっと待ってよ、ハナオは男だよ? 鼻が大きいからハナオってあだ名の」
香澄ちゃんの手元から、またしても「ドカーン」という音があがった。辛うじてエクステンドしていたけど、ゲーム神の香澄ちゃんにはありえない事態だ。
「お、男? あ、あの、アッー?」
「え? 今、なんて発音したの?」
「な、なんでもないよぅ……」
ありえない凡ミスをしてしまったせいか、香澄ちゃんは真っ赤な顔をして、消え入りそうな声で言った。
「そ、そっかぁ。は、はなおさんは男で、鼻が大きくて……」
「うん。突っ込むのがうまかったから、僕はボケに回ることが多かったな」
「え? ×け? ソーシロが?」
香澄ちゃんの手元から、四度目の「ドカーン」という音があがった。エンディングまで行けないなんて、ゲーム神の香澄ちゃんには未曾有の事態だ。
「くっ……!」
香澄ちゃんはレバーを握ったまま少し呻き、続いて音がしそうな勢いで僕を仰ぎ見た。その顔は風呂上りみたいな真っ赤で、さらに上下のまぶたから完全に黒目が離れるほど目を見開いて、僕を凝視している。
「うん。そんなに意外かな?」
確かに、香澄ちゃんに会ってからは突っ込みばっかりしてた気がするけど、それは香澄ちゃんが突っ込まれるような言動に及ぶからで、僕は本来ボケなんだ。
「ちょっと待って。……聞いてみなきゃ分かんないもんだね。めまいがしてきたよ」
香澄ちゃんは俯いて、目頭をつまんだ。
「……なにが?」
そんなに深いため息をつかれるようなこと、言ったつもりはまったくないんだけど。
「じゃ、香澄ちゃんは初めてなんだ?」
「え、あ、当たり前じゃない。わかりきったこと聞かないでよ!」
香澄ちゃんはいきなり声を荒らげた。
なるほど、納得だ。さすがのゲーム神香澄ちゃんでも、こんな癖のあるゲームを初プレイでクリアするなんて無理だってことだ。確かに、当たり判定の大きさがコロコロ変わるなんて、何度かやられてみないと絶対に気づくはずがないもんな。
「ごめん。でも、恥ずかしがることなんかないよ。誰だって最初は無理なんだよ」
「はぁ? なにそれ! そりゃ、あたしはエキセントリックでピーキーなゲーオタ女ですけどね、そんな上から目線ってアリ? 初めてで悪い? リアル身長以外で上から目線なのって、ソーシロのくせに生意気じゃない? なによソーシロのくせに、ソーシロのくせに、ソーシロのくせに!」
とうとう香澄ちゃんは、ぼろぼろと涙を流し始めた。
さっきまでの会話のどこに泣く要素があったのか、僕にはまったくわからなかった。初めて見る香澄ちゃんの泣き顔に、うろたえるしかなかった。
周囲には騒ぎを聞きつけて野次馬が集まり、「痴話ゲンカかよ」などと口々に言っているけど、僕にはこれが、痴話ゲンカかどうかはもちろん、香澄ちゃんがどうして怒って、なぜ泣いて、なにゲンカに該当するのかもわからなかった。
「そ、そんなことで泣かないでよ。僕が悪かったのなら謝るから」
「そんなことってなによ!」
香澄ちゃんはさらに激高し、地団太を踏み始めた。
香澄ちゃんにとって人生の一部ともいえるゲームを「そんなこと」と言ったのが気に障ったらしい。確かに僕が軽率だった。
「で、でもさ、僕が何回もプレイして、それでもステージ2が限界だったのに、初めてでステージ4なんて、すごいじゃない。僕よりうまいハナオだって、ステージ3がやっとだったんだ。このゲーム、ほんとに難しいんだから、誇ってもいいと思うよ?」
「……え?」
香澄ちゃんが呆けたように僕を見上げた。鳩が豆鉄砲をくらったような、というのは、こういう顔を指すのだろう。
「いや、だから、このゲーム。……え?」
言葉より雄弁な沈黙。
「……ば、ばかぁ! 誰がゲームの話なんかしてたってのよ!」
「えぇ? なんの話だったの? どこから?」
「あ、あたしはその、……もぅいいよ!」
香澄ちゃんは、椅子が倒れるほど勢いよく席を立つと、床に恨みでもあるかのようにどすどすと踏みしだきながら、出口に向かって歩き出した。
なんだろう。
この、言葉は通じるのに会話が成立しないっていう状況。
言葉を交わすほどに、気持ちがずれていく感じ。
僕と香澄ちゃんの間にはいつもゲームがあった。
僕は香澄ちゃん本人と仲良しになったつもりだったけど、ゲームが間に挟まってなきゃ、成り立たない関係だったんだろうか?
それとも、これが、「オトコとオンナ」ってことなんだろうか?
僕は、倒れた椅子を起こしながら、暗澹たる気持ちになった。
そのとき、僕の携帯電話が、修羅場に似つかわしくない間抜けな着信音を奏で始めた。番号を確認すると僕の家からだった。急いで通話ボタンを押す。
「……私。お兄ちゃん、帰ってきて」
悲しげなるなの声。
「どうした? なにがあった?」
「……お願い」
「わ、わかった。今すぐ帰るから、待ってろ!」
焦っているのと指が太いのとで、そこら辺のボタンを三個くらい同時に押してしまいながら、通話を終えた。そして出口のほうに向き直る。
香澄ちゃんは五メートルくらい離れたところで、半身になって仁王立ちしていた。
さっきのるなとの通話から、すでに事の成り行きを理解しているようで、「あたしを残して帰るつもりか!」と言わんばかりの顔で僕をにらんでいた。
でも、言わざるを得ない。
僕は香澄ちゃんのところに歩み寄った。
「香澄ちゃん。家族になにかあったらしい。悪いけど僕は……」
「いやだ!」
「今度、必ず埋め合わせ……」
「いやだってば! あんたはあたしのナイトでしょ? なんで姫を放って帰るのよ!」
「そんな、時と場合ってもんが……」
「絶対にいや! 家に帰るまでがデートだって、学校で習わなかったの?」
僕がなにか言うたび、香澄ちゃんはおっかぶせてきた。
「じゃ、僕は行く……」
「いやだって言ってるじゃない! あんた、あたしが今日、どんな覚悟でここに来てんのか、わかってんの?」
「覚悟って?」
「い、言えるか、ばかぁ!」
まったく会話にならない。
「聞き分けてよ、香澄ちゃん。今日はなんか変だよ?」
「あたしが変なのは分かってるよ! この一週間、ずっと変になってたよ! だからあんたも変になってるんだろうなって思ってたのに、どうしてあんたは変じゃないの? なんでそんなに普通なのよ!」
身をよじる香澄ちゃんの両肩をつかんで、正面を向かせる。
「聞いて。僕は、香澄ちゃんになにかあったら、ほかにどんなに大事な約束でもすっぽかして駆けつけるから。ね、だから今日は帰らせてよ」
「じゃ、あたしも行く!」
「だめだ!」
僕が初めて出した大声に、香澄ちゃんが「ひくっ」と、ひきつけるような声を出した。
家族以外にるなの正体が知られたら、るなは回収されてしまうから、香澄ちゃんをるなに合わせるわけにはいかない。
だから、この状態で家に連れて行くわけにはいかないじゃないか。
「……それじゃ、帰るから」
僕は香澄ちゃんの横を通り過ぎた。
僕のコートを掴もうとしてしくじり、香澄ちゃんがたたらを踏む。それでも僕は構わず、店の前に停められた自転車の中から自分の自転車を引っ張り出した。
「待ってよ、ソーシロ……」
「ごめんよ、香澄ちゃん」
一言だけ告げて、自転車にまたがった。答えを聞く前に走り出す。
通りの角を曲がるとき、一瞬振り向いた僕が最後に見たのは、歩道上に座り込む香澄ちゃんの姿だった。
香澄ちゃんのような可愛い子が、あんなにまで僕を引きとめようとしてくれたことは、男として誇りに思ってもいいことなのかもしれない。でも、いつも颯爽としていて、カッコいい香澄ちゃんが、僕なんか のために、あんな風になってしまうなんて、ショックなだけだった。
僕はまとわりついてくるなにかから逃げるように、力いっぱいペダルを踏み続けた。