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第16話 タイミングの問題、だよね……

今回から物話が動き始めます。

 二月下旬のある日。その日の僕は、なぜだかとても眠かった。

 放課後、香澄ちゃんからの呼び出しがないと、いつもなら寂しい気分になるんだけど、ないことが幸いと思えるほどに眠かった。

 眠気にしびれたようになった身体を引きずり、帰宅後すぐに、制服も脱がずにベッドに倒れこんだ。るなの姿が見えないことを不思議に思う余裕すらなかった。

 どれくらい眠ったか分からない。

 かすかな息遣いを感じた。

 脳が徐々に覚醒モードに入る。

ノイズのようなこれは、話し声? 

「んん……」

 意味のないうめきを漏らしながら身を起こそうとしたとき、いきなり何者かにのしかかられた。何者かが腰の上に馬乗りになって、僕が起き上がれないようにしている。

 顔、特に目は両手でふさがれ、自分が目を開けているかどうかも分からない。

とっさに、目に当てられた手を引きはがそうとした。

「目を開けちゃだめ」

 脳髄がとろけてしまいそうな声が、耳元ではじけた。その声は不安とか恐怖とかいった抵抗に必要なエネルギーを、ことごとく僕の体から奪い去った。

 普通の夜襲なら片手で口をふさぎ、もう片手で武器を突きつけるだろう。両手で目をふさいだってことは、少なくとも相手の姿を見てしまわない限り、危害を加えるつもりはないってことだ。そんな考えもちらりと脳裏をよぎったので、僕は体の力を抜いた。

 そして考えた。この声は……。

「香澄ちゃん?」

「そうだよ。だから、ちょっと目を閉じててね、ソーシロ」

 背筋をぞくぞくが走り抜けた。もちろん、気持ちのいいほうのぞくぞくだ。

 前から好きなタイプの声だとは思ってたけど、この距離で、このシチュエーションで、このトーンで発せられると破壊力が違う。ただでさえ痛い鉄山靠をカウンターで食らったみたいなもんだ。

 手は拘束されていないので動く。でも、実際には動かすことはできなかった。なぜなら、僕の指先に、襞状になった布が触れていたからだ。

 目をふさいだ手を引きはがそうとして挙げた手を、ベッドの上に戻したとき、「それ」に触れた。それがなにかということに気づいて、僕は動けなくなった。

 襞状になった布。それは香澄ちゃんの制服のスカートに違いなかった。

 なんてこった。香澄ちゃんは、スカートのままで僕の上にまたがっているのだ。それも腰の上に。

 つまり、今このとき、僕の余りしところと香澄ちゃんの欠けたるところは、多くて四枚、少なければ三枚の布を隔てて密着しているってことになる。

 その事実が、僕に身じろぎすら許さなかった。

 だって、動いたら気持ちよくなっちゃうじゃないか。

 布四枚なんて、厚さにして一センチもないだろう。

 やばい。香澄ちゃんがのっかっているあたりが、程よい重さと温かさのせいでじんじんしてきた。炭素は熱と圧力でダイヤモンドに変化するというけれど、僕の体の一部も、熱と圧力プラスアルファのせいで硬度を増していった。このままでは僕の股間に装備されたダイヤの剣が布の三枚や四枚など造作もなく切り裂き、香澄ちゃんの隠された財宝にかいしんのいちげきを……って、何を考えてるんだ僕は!

「わ、わかった。わかったよ。だから……」

「おっけー、ソーシロ。できれば耳も塞いでくれてると、ありがたいな」

 その声とともに、僕の上に載っていた重みと温もりが、すっと消えた。

「え……? 耳?」

 素直に耳を塞ぎ、地獄の釜の音を聞きながら、僕は考えた。

 耳ってなんだろう?

 答え、頭部の両側についている、主に音声情報の取得に使用する感覚器官です。

 ……なんて、ひとりでボケてる場合じゃない。

 どうして耳を塞がなくちゃならないのかってこと。

 誰かに「耳を塞げ」って言うとしたら、聞かれたくない音を立てるときに決まってる。

 で、女の子が聞かれたくない音って言えば、なにか。ないしょの電話をしているとか、おなかが鳴ったとか、オナラが出たとか、トイレの音とか……。

 トイレ……?

 トイレ!?

 トイレはまずい!!

「香澄ちゃん、そのトイレみたいなのはどう見てもトイレだけどほんとはトイレじゃなくて!」

 歌舞伎役者が見栄を切るようなポーズで、思い切りベッドの上に立ち上った。

「……え?」

 そのとき僕が見たものは、テレビの前にあぐらをかいて、パワスタ2のゲーム画面を凝視する香澄ちゃんの姿だった。

「えぇ?」

 想像の範疇にない状況。

「なんで?」

 つぶやきつつゲーム画面に視線を移す。

 画面にはスネールが映っていた。スネールといえばエネルギア・リキッドの主人公だ。だからこのゲームは、エネルギア・リキッドってことになるけど、それはクリアしているはずの僕にも見たことがない画面だった。ちなみに、スネールっていうのは、敵地に潜入する際、いつも段ボール箱をかぶっているために付けられたコードネームだそうだ。

 スネールと誰かが会話している。どうも大型ヘリの内部らしい。部屋の壁が円いので、なんとなくそう思った。いつも通り無表情のスネールに対し、話し相手は険しい顔をしている。周囲には武器を携えた迷彩服姿の男が数人。作戦会議中だろうか。

 突然始まる銃撃戦。攻撃は外からじゃない。その部屋の内部にもともといた者同士で撃ち合いを始めたのだ。

 負傷しながらも、その場の全員を倒すスネール。

 ほっと息をついたとき、コクピットのハッチが開く。

スネールが視線を向けると、パイロットが開いたハッチから身を乗り出していた。パイロットはスネールに気づくと、手に持った起爆スイッチを示して、ニヤリと口角を釣り上げた。

 足を引きずりながらコクピットに急ぐスネール。しかし、すんでのところでパイロットは空中に身を躍らせてしまった。

 みるみる小さくなるパイロットの姿。

 だが、正確無比なスネールの射撃が命中。

 しかし、パイロットは絶命する寸前に、最期の力で起爆スイッチを押した。

 かくして、地上数百メートルで大型ヘリは爆散。スネールは生死不明となった。

 さみしげな音楽が流れだし、画面下からはスタッフロール。

「……それは?」

「エネルギア・リキッドの、エクストリームモードのエンディングだよ。みんな、スネールが強すぎるのが怖くなっちゃったんだね。で、敵に回る前に抹殺されたわけさ」

 あっさり答える香澄ちゃん。

「な、なんてものを見せてくれてるんだよ! 楽しみがなくなっちゃったじゃないか!」

「だから、寝てるうちにクリアして、ひとりで見ようと思ったのに。起きちゃうソーシロが悪い! あたしは目を閉じてなさい、できれば耳もって言ったし!」

「なんで僕の家でやってんのさ!」

「いーじゃない、あたしの家遠いんだもの。ちょっとくらいお休みさせてよ!」

「やってるソフトが問題なんだよ!」

「昨日ネットでエクストリームモードがあるって知って、居ても立っても居られなかったの! だって、あたしのパワスタ2、いま故障してるし、このソフトも速攻クリアして、もう売っちゃったんだもの。ここでやるしかないじゃない! ……だいたい、なんであんた、真っ赤な顔してんの? そんなに腹立ったわけ?」

 とっさに自分の顔に手を当てると、すごく熱くなっていた。

「ち、違うよ! これは香澄ちゃんが……!」

「あたしが、なにさ?」

「その、スカートなんかで、僕の上に乗っかるから、だよ」

 気まずくて、頭をかきながら視線をそらせた。少し思いを吐き出したおかげで頭が冷えた気がしたけど、香澄ちゃんの次の言葉で、再び頭に血が上った。

「……そんな理由で?」

「そんなって。充分な理由だよ!」

 言い返すために、僕は大きく息を吸い込んだ。

「だいたい香澄ちゃんは無神経なんだよ! 自分のことを二言目には可愛い可愛いって言ってるくせに、本当にそうなんだって自覚してないんじゃないの? あのね、香澄ちゃんみたいな可愛い子に、あんな、腰の上にまたがられて、目隠しされて、耳元で囁かれたら、顔くらい赤くなって当たり前なんだよ。僕だって男なんだ。好きな子とあんなふうに下半身が密着して、その間には布っ切れが三枚だか四枚だかしかなくて。そんなんじゃ興奮しないほうがおかしいよ。男なら誰だって興奮するよ! もうドッキドキだよ!!」

 言いたかったことを列挙しただけで、うまくまとめられない。

 というか、僕はなにを言ったんだろう? 同じことを何度も言った気もするし、言わなきゃ良かったことを言った気もする。

 香澄ちゃんは、目をまん丸くすると、無言のまま赤くなった。香澄ちゃんのこんな顔、初めて見たぞ?

「……い、いきなり可愛いとか、好きだとか言わないでよ。それじゃ、ゲージも溜まってないのに超必殺技出すみたいなもんだよ。いきなり天和しちゃう麻雀ゲームみたいなもんだよ。ズルいよ。予測も防御も抵抗も迎撃も反撃もできないじゃない!」

 可愛いとか、好きとか言っちゃったんだ、と汗顔の至りだったけど、

「香澄ちゃんに見えてなかっただけで、僕の中じゃ去年の春、初めてゲーセンに誘われた時からゲージは溜まり続けだったよ。今じゃレベル3のスーパーコンボが五連発で出せるくらい溜まって溜まって溜まりまくってるよ!」

 と、勢いに任せて僕は反論した。

 去年の四月、ほしかげの入学式の日、式を終えたばかりの僕の前に、香澄ちゃんは颯爽と現れた。そして、僕を指さして、「あんたのような男子を待っていた!」と言った。

 僕みたいな、見かけ以外はごく普通の男子高校生に訪れた、ゲームや漫画やアニメやラノベのような突然のボーイミーツガールに頭は混乱した。僕が目を白黒させていると、香澄ちゃんは素早く僕の後ろに回りこみ、ひかがみに強烈な蹴りを食らわせた。

 そして、僕を強制的にひざまずかせると、肩に手を置き、

「名も知らぬでっかい一年生よ、佐田香澄の名において、汝にナイトの称号を与える!」

 と、強制的にナイトの称号を授けてくれた。

 なんのナイトかと聞くと、「あたしには敵が多い」とか、「あたしの背中はあんたにあずける」とか、「念願の護衛を手に入れたぞ」とか、わけのわからないことばかり。

挙句の果てには、

「姫と呼んでほしいとこだけど、さすがにそれは痛いよね。だから香澄ちゃんでいいよ」

 などと電波なことを言いだした。

 他人に見下ろされることなどまずない僕を強引にひざまずかせ、満面の笑顔で「ナイトになれ」と言った女の子に、僕は魅せられた。一目惚れだったと言ってもいい。

 男は元来惚れっぽい生き物だから、「一目惚れ」にたいした意味はないかも知れない。

 でも、僕は彼女に従おうと思った。期待に応えたいと思った。僕のコンプレックスだった見てくれの悪さを気に入ってくれたこの人の力になりたいと思った。

『僕のコンプレックスが、この人の役に立つ』

 きっと、サンタクロースに見出された赤鼻のトナカイも、こんな気持ちだったんだろう。

「今日はこれで終わりだよね? じゃ、さっそく行こっか?」

 香澄ちゃんはどこかを指差した。

 彼女いない歴イコール年齢の僕にとって、女の子に話しかけられ、蹴りを入れられ、誘われ、あまつさえ身体に触れられるという経験は初めてのものだった。

 たとえこの後美人局にひっかかり、持ち金全額没収されたとしても。

 胡散臭い絵画を買わされて、多額のローンを組まされたとしても。

 マルチ商法の説明会場に連れて行かれて、怪しげな健康食品を買わされたとしても、わが人生に悔いなしと思えるほど、センセーショナルな出来事だった。

 鬼が出るか蛇が出るかと覚悟していたけど、僕が連れて行かれたのは、ごく普通のゲーセンだった。

正確に言うと、ゲーセン自体は普通だった。でも、僕をそこにいざなった本人が普通じゃなかったのだ。

 実際、香澄ちゃんには敵が多かった。

 時折、というか、彼女の性格と舌禍のせいで、けっこうな頻度でいざこざがリアルファイトに発展し、そのたびに僕は面倒事に巻き込まれることになった。

 でも、それが楽しかった。バーチャル世界では無敵の香澄ちゃんも、リアル世界ではちょっと気が強くて、ちょっと口が悪くて、ちょっと偏った性格の、ただの女の子に過ぎない。誰かに守ってもらわないと、実力が出し切れない。まさに僕は、魔法使いが呪文を詠唱しているあいだ、無防備な彼女を護るナイトなのだった。

 それから僕は、良くいえばナイト、悪くいえば下僕。そして実質的には香澄ちゃん専用モビルフォースって感じの存在になった。


 僕が出会いから現在までの回想をしているあいだ、香澄ちゃんは口を尖らせたり、への字にしたり。眉間にしわを入れたり伸ばしたり、指を額に当てたり、顎に当てたり、数を数えるようなしぐさをしたり。様々な変顔をしながら、なにかを考えているようだった。

 そして長考の末、香澄ちゃんは、まるでまりも羊羹に針を刺したときに中身が出てくるのと同じくらいの勢いと唐突さで手のひらをこちらに向けて突き出すと、

「やっぱりだめ!」

 と、一言だけ口にした。顔が真っ赤になっている。

「え?」

 何がダメなのかわからないまま僕。

「残念だけど、今日は一枚多いんだ」

「一枚?」

 ますますなんだかわからない。

「そ。あんたさっき、三枚だか四枚だかって言ってたでしょ? それに、今日はもう一枚プラスなのさ。……女の子的な理由でね」

「……そうなんだ?」

 やっぱり、なんのことかわからなかった。

「うん。そうなんだ。……ごめんね」

 この謝罪は、ゲームのエンディングを見せたことに対してだろうか。やっと意味がわかる話になったので、僕は安心した。

「ううん。気にしてないよ。誰も悪くない。ただ、タイミングが悪かっただけなんだよ」

「そ、そうだよね。タイミングの問題、だよね……」

 またも赤い顔をして黙り込む香澄ちゃん。しばしの後、今度はさっきの長考とはまったく違った、静かな声で切り出した。

「……来週の日曜日さ、また、付き合ってくれる?」

「今週じゃなくて、来週?」

「うん。今日は金曜日だから、まだだめ。だから来週。……いい?」

 なにがダメなのかわからないけれど、断る理由はない。

「いいよ。別に予定はないから」

「よかった」

 頬を赤らめながら答える香澄ちゃん。なんだろう。さっきの口げんかの後から、無性に香澄ちゃんが可愛く見えている。いつもよりずっと。

「あ、あたし帰るね」

 慌てたように立ち上がり、スカートをあちこち撫でてしわを伸ばす。

「送らなくていいからね。そのままそのまま。緊急の場合を除いて、五分間そこから動いちゃだめだよ。ソーシロ、ステイ!」

 言って、目の前に手のひらを突き出した。

 僕は犬ですか。

「じゃ、待ち合わせ場所なんかはまた携帯か学校で……」

「ううん。恥ずかしいから今決めとこ。来週の日曜日、ガセに十時。いい?」

「え? あ、うん」

 恥ずかしいというのが意味不明だったけど、僕は同意した。

「じゃね」

 小さく手を振りながら、香澄ちゃんは部屋を出て行った。

僕は、時計で確認しながらバカ正直に五分間そこで正座した後、立ち上がって窓を開いた。もしかしたら香澄ちゃんが家の前で立っているかも、なんて思ったんだけど、もちろん誰もいなかった。

「やっぱり女の子って、よくわかんないな」

 日も暮れかかった空に向かって、僕は呟いた。

 この不可思議なる生き物を理解するために、男は詩人になったり哲学者になったりピエロになったりするわけで、男の人生における面倒ごとの大半は、この生き物のために起こっていると言っても過言じゃない。

 しかし男は、面倒ごと込みで、この生物が大好きなんだ。不可解だねぇ。

 ……なんて、たかが高校一年生のガキに理解できりゃ世話ないよなぁ。


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