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第15話 お兄ちゃん、私、こっちで寝たら、だめ?

 その夜。既にパジャマに着替えたるなと一緒に、僕は部屋でテレビを見ていた。

 るなは、僕がお風呂に入っている間にパジャマに着替えるのが日課だ。ちなみに朝は部屋の中で、僕が寝ている間に普段着に着替えているようだけど、幸か不幸か、着替えシーンに出くわしたことはない。

「寒いのって、嫌なものなんだね」

 ずぶぬれになって震えているお笑い芸人の顔を見て、るなが言った。

「お兄ちゃん、あの人、風邪っていうのにならない?」

「風邪にくっつく動詞は『なる』じゃなくて、『ひく』だよ。……なぜかは知らないけど」

「健康な身体から風邪を引くと、熱が出るの? ……ああ、空冷の機械に風を当たらなくしたら、熱が上がりすぎるもんね。そういうことなのかな?」

 そのワンダー過ぎる発想は、まさしく香澄ちゃんと同じにおいがした。

 会ってもいないふたりが同じような性質を発現させるとは、これがいわゆるシンクロニシティ? ウチの母さんも変な人だし、もしかしたら女の子って、元々そういう突拍子もない発想をする素質があるんだろうか?

 テレビドラマで発生する痴話ゲンカでは、多くの場合、男のほうが女の発想の飛躍と限りなくこじつけに近い詮索についていけなくなって、「なんでそうなるんだよ!」などと叫んでいるような気がする。

 それはともかく、僕が答えられたのは、この一言だけだった。

「……どうなんだろう?」

 いつもは気づかないけど、番組とCMの合間でテレビの音が静かになった瞬間なんかに、ベランダを叩く雨音が耳に入ってくる。本来、雨は好きじゃないけど、誰も来ない、どこにも出かけないという前提で、部屋の中で聞く雨音は別だ。

 そういえば、雨を好きじゃなくなったのは、いつごろからだろう。

 僕の部屋のベランダは、窓から二メートルくらい張り出しているが、ひさしは一メートルくらいしかないので、外側の半分には屋根がない。

 雨はその部分に当たってぴしゃぴしゃ音を立てているわけだ。

 実は僕は、小学校の低学年ころ、大雨が降ると、ここにシャンプーと石鹸を持ち込み、というか持ち出して、天然のシャワーで入浴していた。

 言っておくけど、別に貧乏だったわけじゃない。それが楽しかったからだ。

 その後は素っ裸のまま寝転がり、落ちてくる雨粒を下から眺めつつ、避けたり、口にためたり、飲んだり。

 母さんに叱られるか、身体が冷えて気分が悪くなるまで、そんな遊びを続けていた。小心な僕の、唯一の自己主張というか、ガス抜きのようなものだったかもしれない。

「私もしてみたい!」

「女の子はダメ。これは男だけのひそかな楽しみなんだ」

 そう言うと、るなは不満げにそっぽを向き、唇を突き出した。

 伝わりにくいかもしれないけど、この、そっぽを向いた状態を後方四十五度から見たときの、丸い頬のラインから、突き出した唇の先がぷくんと飛び出している姿が、実に可愛いんだ。思わず抱きしめてかいぐりかいぐりしたくなるほどに。

 ニュースがスポーツのコーナーになったので、るなはテレビを消した。それが寝る時間が来たサインでもあったからだ。でも、今日のるなは違っていた。

 テレビを消した後、るなは目を閉じて、雨の音に耳をそばだてた。

「……静かだね、お兄ちゃん」

 るなは、体育座りした膝の上に小さな頭を横たえて、目を閉じている。

「そうだな。雨の音だけだ」

 目を閉じて雨の音を聞いていると、なんとなく、外界から切り離されている気がする。

 今、この瞬間、世界中で雨が降っていて、人々は家の中でくつろぎ、社会の歯車も動きを止め、すべての面倒ごとが棚上げになっている。そんな錯覚。

 外界のわずらわしいことにも無縁で、可愛い妹と他愛のない話を続ける生活。僕は、ずっとこうしていたいなと、目を閉じたるなの顔を見ながら、ぼんやり考えていた。

 その平和を引き裂いたまばゆい光と、けたたましい音。

「なに?! 連邦の新兵器?」

 目を真ん丸くしてるなが叫んだ。連邦ってなんだ、連邦って。

「これは雷というものだよ。自然現象だ」

「これが雷なの?」

 僕の胸にしがみついてきたるなの頭を撫でながら、優しく諭す。その直後、また落雷。

「きゃーーーーーーーーーー!!」

「だだだ大丈夫だって。雷が鳴るってことは、春が近づいてきたってことだから!」

 そんな豆知識、今のるなにはまったく無意味だった。そして落雷。

「きゃーーーーーーーーーー!!」

 さっきまでの静かで幸せな時間はどこに行ってしまったのか。引き続き落雷。

「きゃーーーーーーーーーー!!」

 それにしても、ちょっと反応が過剰過ぎないか?

 胸倉をつかまれた僕は、カツアゲに遭ったひ弱な男子高校生のように、身体をがくがく揺らされながら考えた。 

 るなは電気で動いている。だから、身体に異常な電流が流れるのは危険なことなんだ。るなはそれを、本能で感じたんだろう。

 子供が理由もなく雷を恐れるのとは、わけが違う。

……機械なのに、本能?

 それをおかしな考えだとは思わなかったのは、揺らされ酔いしたせいではないと思う。


 しばらくして雷はおさまり、幸い僕のトレーナーは、再起不能なまでに延びる直前に解放された。そして僕は、晴れてベッドにもぐりこむことができた。

 しかし、るなはコンテナに入るそぶりを見せず、僕のベッドの前でもじもじしている。

「……? どうしたんだ?」

「あの、ね、お兄ちゃん、私、こっちで寝たら、だめ?」

 そんなことを言い出したのは初めてだったので、雷が怖いからだということはすぐに分かった。実際、雷は三十分ほどで鳴り止んだが、今も雨は降り続いており、いつ何時、カミナリ祭りが再開されるやも知れない。

 確かに、雷が鳴ったときはプラグをコンセントから抜いておかないと、電気器具が壊れることがあるって聞いたことがある。コンテナにもプラグはついているから、もしもこの家に落雷したら、クレイドルにつながってるるなも、無事ではすまないだろう。

 だったら、こっちで一緒に眠ったほうが安全だ。

「わかったよ、おいで」

 僕が掛け布団を持ち上げると、るなはいそいそともぐりこんできた。

「えへ」

 柔らかくて暖かい身体がぶつかってきた。

 僕のベッドは元々セミダブルサイズなので、小柄なるながひとり増えたくらいでは、特に窮屈さは感じない。同じ理由で掛け布団も大きいので、まったく問題なしだ。

「……そうだ。ちょっとごめんよ」

 あることを考えた僕は、るなに馬乗りになった。

「えっ……」

 るながびくっとして、身を縮めた。

「あっ……」

 僕は、るなと目が合って初めて、このシチュエーションが危ないことに気づいた。

 意識せずにやったことだけど、怯えた顔の美少女に馬乗りになるって、かなりやばい。しかも夕方、僕はるなに好きだと言って、るなも僕に好きだと言ったばかりだ。

 僕はるなのことが好きだし、るなも僕のことが好きだ。

それを意識したとたん、僕は急にドキドキが激しくなり、身体が熱くなった。 

「ち、違うよ。こうするんだよ」 

 慌てて上を乗り越えて、ベッドから下り、るなを横抱きして奥に移動させ、その横にもぐりこむ。つまり、手前と奥と、場所を入れ替えたってわけだ。

「僕は寝相が悪いから、るながベッドから落ちるかもしれないし」

「……あ、ああ」

 僕の一連の意味不明な行動に表情を硬くしていたるなが、ほっとした顔になった。

 これが香澄ちゃんだったら、「あたしが逃げられないように奥に押し込んだんだね、このエロ男爵め!」とか、「右手が自由になるように場所を入れ替えるなんて、このスケベ大王が!」とか言いそうだ。

 でも、僕と香澄ちゃんがそんな関係になる未来は、あるんだろうか。

「ちょっとごめんね」

 るなの声が、僕を現実に引き戻した。

 なにがごめんなのか見ていると、体側に沿わせていた僕の腕を持ち上げて、肩の高さまで持ってきた。そして、まるで枕を整えるように数回揉むと、小さな頭をことんと載せた。

「こうするんだよ」

 僕の腕に頭を乗せて、にっこり笑う。

 その可愛いしぐさもさることながら、「ちょっとごめんね」と「こうするんだよ」が、さっき僕が使った言葉をもじっているんだってことに気づいたとき、思いっきりるなを抱きしめたいという欲求が、僕のなかで堪えがたく高まった。

 けど、しなかった。

 僕がるなを本気で抱きしめたら、きっと壊してしまうだろうと思ったのも理由だけど、もっと大きな理由は、僕は、親が子供を抱きしめるシーンはテレビで見たことがあるけど、兄が妹を抱きしめるシーンは見たことがなかったからだ。

 ひとりっ子の僕には、それをしていいのかどうかが分からなかった。だから、僕の左腕の付け根に顔をうずめているるなの髪を、撫でることくらいしかできなかった。

 僕が髪を撫でると、るなは目を閉じて、甘えるように僕のトレーナーに顔をこすり付けてきた。においを嗅がれているような気がして、「このトレーナーって、いつ洗濯したものだったっけ?」などと、ちょっと焦りながら灯りを消した。

「おやすみなさい」

 自分の鼻先も見えない暗闇の中から、るなの可愛い声が聞こえた。

「おやすみ」

 暗闇に向かって答えを返す。

 なにも見えないけど、左腕上腕部には確かな重みがあった。それは、僕が始めて感じた「幸せの重み」ってやつだったのかもしれない。

 るなの花のような吐息を感じながら、僕はとても幸せな気分で、すうっと眠りに落ちた。

 次の瞬間、目が覚めた。

 朝だった。カーテンの隙間から、朝日と鳥の鳴き声が漏れ入っている。

 気持ちよく眠ると、ほんの数秒目を閉じていた気がしただけなのに朝になっていることがある。えてしてそんな時は、長く眠った気はしないのに気分爽快だったりするが、今の状況はまさにそれだ。

 僕の腕の上にはまだるながいて、すやすやと寝息を立てている。僕の身体には、そこを中心に脳をじーんとしびれさせる「幸せホルモン」みたいなものが放出されているかのようだった。

 胸に重みを感じて眠ると悪夢を見るって、なにかで読んだことがあるけど、二の腕に重みだと、いい夢が見られるみたいだ。

 考えてみれば。二の腕に重みを感じて眠るシチュエーションが、幸せでないわけがない。

 そのせいか、めちゃくちゃ恥ずかしくて、幸せで、甘酸っぱい夢を見た気がする。

 でも、残念ながら、よく思い出せなかった。


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