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第13話 タンスの角に足の小指をぶつけてしまったわ

 一月下旬のある日、僕が学校から帰ると、部屋には誰もいなかった。

 夕食の準備が始まる前のこの時間、僕の部屋では、いつもならるながテレビを見たり、本を読んだりしているのに、今日はどうしたことだろう。

「るな?」

 呼びかけても返事はない。コンテナをノックしても、やはり返事はなかった。

 まさか表に出たなんて事はないだろうなと、あらゆる可能性について思いをめぐらせながら、何気なくコンテナの扉を開いて、僕は驚いた。

 慌てて閉じて、善後策を考えた。

 ひとくちに「驚いた」と言っても、「おっとびっくり」から「ぎゃあああああ!」まで様々なレベルがあるけど、その時の「驚いた」は、限りなく「ぎゃあああああ!」に近いものだった。

 また、同じレベルの驚きでも、突然両親から出生の秘密を告げられるような「静の驚き」と、夜の河川敷で首のない男に追いかけられるような「動の驚き」があるけど、今回の場合はもちろん後者だ。

 さらに、動の驚きにも、突然歩道に乗り上げた車が目の前を横切って壁に激突し、爆発炎上するような「110番的驚き」と、公共交通機関に乗り合わせた顔色の悪い男にいきなり吐血を頭からぶっかけられ、後でそいつがヤバい熱病患者だと聞かされたというような「119番的驚き」に分けられるが、これも後者に該当するだろうことは論を待たないところだ。

 さらに細分化すると、……って、そんなこと考えてる場合か! 

 あまりの驚きのために、思わず現実逃避してしまったようだ。

 僕はポケットに引っかけたり落としたりしながら、素早くっぽく携帯を取り出した。

 僕の携帯は、機能より操作のしやすさで選んだため、シニア向けの機種だ。だからボタンが大きい。それでも何度もボタンを押し間違えたり、二個同時に押してしまったりしながら、なんとか発信にこぎつけた。

 数回の呼び出し音のあとに、「ボツッ」という、相手が電話に出た音。

「あ、住良木さん、実は……!」

「あいたたたたた! 痛いわね。慌てて電話に出ようとしたから、タンスの角に足の小指をぶつけてしまったわ。あなたのせいよ、どうしていただけるの?!」

 電話に出るなり住良木は、ものすごい剣幕で怒りだした。

 固定電話ならわかるけど、携帯に出ようとして、足の小指をタンスの角にぶつけたっていうのはおかしな話だ。でも、僕は素直に詫びた。

「あ、ごめんなさい。実は……」

「もう、電話に出る気分じゃなくなったわ。ピーと鳴ったら用件を手短に言ってちょうだい。……ピー」

「…………」

 留守番電話かよ!

 紛らわしいことしてんじゃねぇよ!

 と、携帯を投げ捨てたくなったが、それを捨てるなんてとんでもない。そんなことをしたら僕が一方的に損だ。

「えー、すみません、住良木さん、江川崎です。るなが変なんです。なんか、とってもイヤなことになってるんです。すぐに来てほしいんです!」

 冷静に用件を申し述べようと努めたが、どうしてもテンションを保つことができず、最後の辺りは叫ぶような声になってしまった。そのせいで要領を得ない感じになったが、緊急性は伝わっただろう。そう判断した僕は電話を切った。

 いつかは分からないけれど、たぶん、そのうち住良木一味が来てくれるだろう。

ていうか、来てくれなきゃ困る。

SOSを発信しながら、いつ来るとも知れぬ助けを待ちながら、島影さえ見えぬ大海を小舟で漂うような不安な状態。住良木が来るまで、僕は何をすればいいのだろう。

 状況が好転していることを祈りつつ、恐る恐る、もう一度コンテナを開く。だが、残念ながらさっきと変わっていなかった。

 そこには、身体じゅうをミミズのようなものに覆われたるなの姿があった。

 ミミズと言っても植木鉢をほっくり返したときにまろび出てくるようなかわいげのあるヤツじゃなく、よく雨上がりの公園で干からびている、青黒くて表面がCDみたいに七色にテカって、太さがシャーペンほどもあり、長さはリコーダーほどもある厳ついヤツだ。

 僕はこいつが苦手だ。て言うか嫌いだ。はっきり言うと怖いんだ。

 昔読んだ漫画に、ミミズに黒砂糖をかけて、染み出したエキスを飲む、という世にもおぞましいシーンがあったんだけど、それがトラウマになっているんだと思う。

 世の中には、犬が大嫌いで、仔犬にすり寄られただけで悲鳴を上げて逃げる人が存在する。それに比べれば、僕のミミズ嫌いは至極普通と言えるだろう。

「片仮名のマの下に男と書いて勇~、勇は勇気の勇~」

 即興で作った変な歌を口ずさみながら、勇気を出してミミズに触れてみる。

 「パン」と、指先から火花が飛び、足の先から頭のてっぺんまで重い衝撃が突き抜けた。1メートルくらいの高さから飛び降り、膝を曲げずにかかとで着地した時のような、ズシンとくる衝撃だ。

「いってぇ……」

 手は、ヘアブラシで思いっきりぶっ叩かれたみたいにジンジンしている。これは手出しをせずに、おとなしく助けを待つべきだろう。

 僕がそう判断したのには、ミミズが電気仕掛けだということが確認できたせいもあるけど、るなの様子がさほど切羽詰まっていなかったことも理由になる。頭から煙が出ているとかだったら、ちょっとくらいは無理するところだけど、赤い顔をして、呼吸が荒くなっている程度で、深刻な事態に陥っているようには見えなかった。

 それにしても、目を閉じて眉間にしわを入れたその顔は、そんな風に感じるのは不謹慎だと思うけど、とてもセクシーで、とてもドキドキした。

 とても可愛くて、きれいで、吐息は花のようなにおいがした。

 いつまでも見ていたい。そう思った。

 いつまでも。

 いつまでも。


「ウオッホン!」

 芝居がかった大きな咳払いが、僕を現実に引き戻した。

振り返ると、住良木が腰に手を当てて立っていた。

「あ、住良木さん」

「あ、じゃございませんわ。いかがなさいましたの?」

 心なしか、いつもより早口だ。

「これ見てください、なんか変なんですよ」

 ちらとコンテナの中を覗いて一言。

「これがなにか?」

 険のある顔に、棘のある言葉。

「なにかって、とんでもないことになってるじゃないですか。呼吸も荒いし」

「呼吸が荒くなっているのは、ワームによって体表面からの放熱が阻害されているため、呼吸による冷却の比率が高くなったからですわ。この子たちの呼吸は、体内の冷却のためですから」

「……ワーム?」

「これはフレキシブルチューブの先端に検電器や工具、マニピュレータを取り付けたもので、るなちゃんの点検をしてくれます。正式には『メンテナンス・ワーム』といいますが、我々は単にワームと呼んでいます。いつもはこの台座部分に収納されており、必要に応じて点検整備、小型の部品の交換を行うのです」

 一段高くなっているところに片足を上げ、ドンドンと踏みしだく。

「では、これは……?」

「き・わ・め・て、普通の状態です。デフォルトでは週に一回実施されることになっていますので、毎週一回は、江川崎様の見ていない間に、このような状態になっていたということです」

 なんてこった。ミミズ嫌いの僕の部屋の一角で、毎週ミミズ祭りが繰り広げられていたとは。知らぬが仏とはこのことだ。

「……ヤなもの見ちゃったなぁ」

「女の子の部屋を勝手に覗くからですわ」

 普通の女の子はいきなり部屋の扉を開いたからといってミミズまみれにはなっていないだろうし、そもそも僕はノックしたから「勝手に」じゃないし。

 などと、反論しても仕方がない。

 そのとき、「ピー」という電子音が鳴り響いた。コンテナからだ。

「ワームが収納されるようです。扉を閉めてください」

「あ、はい」

 僕は言われたとおりに扉を閉めた。

「全自動洗濯機のふたが開いていると、脱水に移らないのと同じですわ」

 例によって例のごとく、住良木の問わず語り。なんとなく分かったような、分からないような。例えとして妥当なんだろうか?

 コンテナはしばらくゴトゴト振動していたが、ワームとやらの収納が終わったらしく、動きを止めた。

 間あって扉が開き、いつも通りのるなが現れた。

「あ、主任さん、こんにちは」

 住良木がいることに気づき、ぺこりと頭を下げる。

「こんにちは、るなちゃん」

「今日はなにかあったんですか?」

「ふふ、なんでもないのよ。妹思いの粗忽者が、ちょっと電話をかけ間違えただけなの」

「そうなんですか?」

 よくわからないといった態で、口元に笑みを残しながら首をかしげる。

「……あの、もしかして、怒ってます?」

「どうして私が怒っていると思うのですか?」

 明らかに怒ってるじゃないか。

「あら、るなちゃん、可愛い服を着ているわね?」

「はい。お兄ちゃんが、買ってくれたんです」

 照れながら、ワンピースの裾をつまみ上げた。

「ふぅん」

 住良木は、こちらに視線を向けると、なにか含みのある目つきで僕を上から下まで眺めまわした。そして視線をるなに戻すと、

「でもね、気をつけなさい。一般的に、男が女に服を贈るのは、その服を脱がしたいっていう下心があるからなのよ」

 と、とんでもないことを言い出した。

「え……」

るなが、目を丸くして僕を見た。赤くなった顔に、戸惑いの色を重ね塗りして。

「す、住良木さん、なにを言い出すんですか!」

「一般的に、と申しましたが、江川崎様はこの中に含まれるのでしょうか?」

「あの、本当に怒ってませんか?」

「私が怒るようなことを、なにかなさったのですか?」

 再びるなに視線を戻す住良木。

「そういう時はね、脱がしやすい服にすることが多いから、覚えておきなさい? あら、この服ワンピースねー。脱がしやすそうだことー」

「あ……」

 るなが、再び僕を見た。戸惑いの上に、疑惑の色を重ね塗りして。

「ちょちょちょ、ちょっとちょっと住良木さん! るなも! だいたい、その服を選んだのはおまえだろう?」

 るなの顔からこわばりが取れ、「あ、そうだった」と言わんばかりの表情になった。

「焦ると余計に怪しく見えますわよ?」

「絶対に怒ってますよね、住良木さん?」

「怒ってなどいないと申し上げていますのに、心外ですわ」

「ほんとですか?」

 白々しいにもほどがある。

「そうですね、私が怒るとしたら、例えば、研究が山場を迎えたところだったのに、くっだらない理由で呼び出されたりすると、いくら温厚な私でも怒るかもしれませんわ。た・と・え・ば、の話ですけれど」

 ちっとも例えばの話じゃない気がするのは僕だけじゃないよね?

「……さて、私はそろそろお暇いたします」

「どうもすみません。なんか、焦っちゃって」

「いえいえ、怒ってなどいませんわ。今日は、るなちゃんにご忠告差し上げることができただけでも、来た甲斐がありましたもの」

 やっぱり怒ってんじゃないか。

 でも、るなを部屋に残して階段を下りる途中で、住良木は真顔になると、

「来た甲斐があったというのは本当です。あの子は、るなちゃんは……」

 と、気になることを言い出した。

「るなが、どうかしましたか?」

「……いえ、なんでも。くれぐれもお気をつけて、大事に育ててあげてください」

「ああ、はい」

 言われるまでもないと思ったが、素直に返事をした。いつもと違って歯切れの悪い住良木の様子が気になった。


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