第12話 息だ
帰宅途中、ファッションセンターしらぬまの前を通りかかると、初売りだとかで八時開店だった。ついでなので、少し待って入ることにした。
遅くなることを家に電話して、店の前で待つ。
さっきの伊藤とのやり取りなんか、るなの正体に関して、けっこうきわどいものがあったと思うんだけど、すっかり僕は吹っ切れていた。天下御免のお正月なんだから、遠くの親戚が遊びに来ていたって、まったく不自然じゃない。たとえ親戚に会ったとしても、その人が父方なら、母方の遠い親戚の子だと答えればいいんだし、母方ならその逆でいい。
いくらなんでも、ここまで人間っぽいるなに対し「おまえ、ロボットだな?」などと、ピンポイントで指摘するヤツなんかいるはずがない。もしいたとしても、「おまえ、頭は大丈夫か? こんなに人間っぽいロボットなんて、科学的にありえるか? それとも、証拠でもあるのかよ」と、勇気を出して言ってやればいいんだ。
家の中に閉じ込めておく必要なんてなかったのに、正体がばれるのを恐れるあまりに、臆病になりすぎていた。るなにはひどいことをしたな。
まもなく八時になり、しらぬまが開店した。
入店するなりるなは、目を輝かせながら売り場を動き回り、一か所に留まることはほとんどなく、服を片っ端から身体に当ててみたり、試着したりを繰り返した。カタログの写真でしか見たことのなかったものが現実に目の前に現れたことが、信じられないくらいに嬉しいらしい。
その姿を見ているのが楽しかったので、最初は僕も付いて回っていたけど、三十分ほど経ったころに付き合いきれなくなって、残りの時間を入り口近くの自販機周辺で過ごした。
周囲には疲れきったおじさんたちが屍のようになってたむろし、無言のままで共感しあっているようだった。
僕もなんとなくその仲間入り。
これって、甘い幸せの中にピリッと効いたスパイスのようなものなんだな。
結局、一時間ほどしらぬまにいたけど、るなが買ったのは、カボチャみたいな形をした大きな帽子だけだった。
「かぶって帰りますから」
レジ袋を断り、サッカー台に備え付けのハサミで値札を切り取る。
「これってエコなんだよね」
と言いながら、捨てるかと思っていた値札を上着のポケットにしまった。
「それ、どうするんだ?」
「初めてのお買い物の記念にするの。レシートと一緒に」
「……おまえって、可愛いことするなぁ」
僕はるなの頭をかいぐりかいぐりしながら、買い物が長いのと、記念日にこだわるのとは、しっかり女なんだなぁと感心していた。
こんなに喜んでくれるなら、次はウニクレに連れて行ってやろう。
そんなことを思いながらしらぬまを出ると、冷たい空気が一気に襲い掛かってきた。日が昇ってしばらく経つというのに、ほとんど気温は上がっていないようだ。
「うぅ、寒い。るな、早く帰ってテレビ見よう、テレビ。お正月番組が目白押しだぞ」
先に店を出たるなを追いかけ、小走りしながら問いかける。
るなが朝日の中で振り返り、「うん」と答えて微笑んだとき、さっき感じた違和感の正体に気づいて、僕は愕然とした。
息だ。
周囲を見回しても、るなひとりだけが、白い息を吐いていない。るなの息には水分が含まれていないから、白くはならないんだ。
そのことに気づかれたら、るなが人間じゃないことがばれてしまう。
唯一の救いは、マスクをしていることによって、「直接口から白くない息が出ている」という、「決定的な不自然さ」から逃れられている「気がする」ことだ。
それに気づいてから自宅までの数百メートルは、往きの数倍の長さに感じられた。
今までとまったく状況は変わっていないのに、「気づいてしまった」という、ただそれだけのことが行動を縛る。もしも僕らの行動の一部始終を眺めていた人がいたとすれば、逆に感づいてしまうだろうと思えるほどの不自然さだった。
至近距離にいた伊藤にも気付かれることはなかったのだから、気にする必要はない。でも、そう思っていても、今までどおりの行動なんて無理だ。
僕は、はしゃぐるなをなだめながら、できるかぎり目立たぬように、そして不自然にならぬように、ほとんど地雷原を進むような気分で歩を進めた。
るなは僕の態度の変化に戸惑って、「どうしたの?」って聞いてきたけど、僕には言えなかった。「おまえは人間じゃないんだから」なんて、僕には言えなかった。
数分後、僕らは家にたどり着いた。僕は、ついさっきまで考えていた「るなをあちこちに連れて行く計画」が、少なくとも冬の間は実行困難だと知った。でも、春になれば、るなはこの家からいなくなってしまうかもしれない。
僕は、どうすればいいんだろう。
「ね、お兄ちゃん、この帽子九百八十円だって。だから、お母さんにもらったお年玉で、あと九回もこんな楽しいお買い物ができるんだよ。嬉しいな、私」
帽子を両手で掲げて楽しそうに笑うるなを見て、僕は胸がズキンと締め付けられるように痛んだ。しばらく外に出してはやれないなんて、言えなかった。
「でも、ひとりで外に出るんじゃないぞ?」
「うん。分かってる」
素直に笑うるなを見て、再び僕の胸は痛んだ。
その痛みを紛らすように、首を数回横に振って、僕は机の引き出しに入れてあった北海道土産の、面白い変人の缶を取り出した。
もともとはお菓子が入っていた缶だけど、本体と蓋は蝶番でつながっており、留め金も付いているので、中身を食べた後も捨てずに、宝物入れとしてとっておいたのだ。
パチンと留め金をはずし、中の仮免ライダーカードを取り出して、輪ゴムで止める。
「これ、やるから。残ったお小遣いとか入れとけ」
缶を差し出すと、るなは大げさすぎるくらいに喜んだ。
「……そんなに喜ぶことか?」
「うん、嬉しいよ。だって、ここに私のものが増えるっていうことは、私はここに居てもいいってことだもの」
「ああ」
僕は思い当たった。
子供のころ、親戚の家にお泊りしたときのことだ。
最初は楽しかったけど、だんだん「ここには自分のものがなにひとつないんだ」っていう強迫観念みたいなものが襲ってきて、とても心細くなったことを覚えている。
今ではお泊りなんて、怖くてできない。
だから、るなの気持ちはよくわかる。
「そういうの、増えるといいな」
「うん」
缶を抱きしめて、るなが笑った。
るながずっとここにいられて、他人に知られてはいけないなんて制約がなくなれば、どんなにいいだろう。ほんとうに、そうなったらいいなと、僕も思った。
「第四回アルブラⅧどーなるの会議……」
一月中旬のある日の放課後、僕を学食に呼び出し、香澄ちゃんは不機嫌そうに言った。その理由は僕にも分かる。アルブラⅧがまたしても発売延期になったのだ。
「……まぁ? 予想していた事態ではあるし、アルブラなら二回までは普通に許容範囲だよね。世間様はそろそろお怒りモードだろうけど、あたしの限りなく広い心をもってすれば、三回までなら許せるし」
「広い心」を表すように、香澄ちゃんは両手を広げて言った。
「本当に夏に発売されるのかな? 『G』には『致命的な問題が発生した』とか、不吉なこと書かれてあったけど」
Gというのは、僕らが購読しているゲーム雑誌の略称だ。
「いやー、たいした問題じゃなくてもそう書くもんだよ。『たいしたことないけど延期します』じゃ、みんな納得しないでしょ。けど、これで二回目の延期だから、そろそろ本気で出しとかないとまずいよね。仏の顔も三度目の正直って言うし」
「言わないし」
「仏の顔も二度あることは三度あるって言うし」
「言わないし」
「二歩歩くごとにサンドウォームって言うし」
「言うわけないし」
「フランス貴族のサンドウィッチ伯爵って紳士」
「イギリス人だし」
「ソーシロ、つまんないこと言わないの」
「先に言ってきたのはそっちだし」
「……でも、発売日が伸びたせいでプレイできずに死んじゃったりしたら、死んでも死に切れないよね。そのうえ死んだのが発売前日だったりしたら、あたし、絶対に地縛霊になる自信があるわ」
テーブルに突っ伏して、気だるげに言った。
「そんな、縁起でもない」
「あたしがそんなことになったら、まずは製作者を呪い殺すわね。それから、Ⅷをプレイしてる人に憑りついて、エンディングまで不眠不休でプレイさせるの」
「死んじゃうよ、そんなことさせたら」
「だから、あたしを死なせないように注意しなさい。あたしが死ぬと誰かが不幸になるわ。死ななかったらあたしも不幸にならないから助かるし」
ビシっと僕を指差して言う。もう、なにがなんだかだ。
「くれぐれも気をつけなさいね!」
「せいぜい気を付けるよ」
香澄ちゃんが死んじゃったら、少なくとも僕は不幸になるだろうしね。