第10話 あんた、海老責め転がしぷりぷり巻きの刑だからね
その数時間後、僕は再び、さっきと同じ神社にいた。それも、るなと一緒にだ。
もう一度ここに来たのは、るなが初詣をしてみたいと言い出したからだけど、初詣のダブルヘッダーなんて初めてだ。
そこまでの経緯については、多少説明しなくてはならないだろう。
香澄ちゃんと別れて家に戻ったのは午前三時前だったけど、まだみんな起きていて、揃って居間でテレビを見ていた。その気持ちは僕にも分かる。寝てしまうと祭りが終わってしまうような気がして、なかなか寝付かれないんだよね。
「お帰り。なにをお願いしたんだ?」
「そういうの、他の人に話したら願いが叶わなくなるって言わない?」
父さんの問いに、母さんが横槍を入れた。
「なに言ってんの、あざみさん。他の人に話さなくちゃ意味ないじゃない」
「なんでよ、コーシロ?」
「いい? 願いを他人に話すと、その人がどんな願い事を持っているのかを周囲の人たちが知るでしょ? そしたら周囲の人は、意識的にか無意識にかは別にして、その人に好意的な人は願いが叶う方向に行動するし、逆に悪意のある人は叶わない方向に行動する。図らずして、無記名の多数決が行われるわけだね。日ごろからいい行いをしていると願いが叶うって言われるのは、そういうことだよ。願いを聞くのは神様じゃなくて、周囲の人なんだ」
初詣から帰ってきたばかりの息子の前で、神様に祈ってもご利益はないなんてこと、言わないでほしいな。こっちだってガチで信じてるわけじゃないけど、……なんだかなぁ。
「呪いのわら人形だって同じ原理だよ。被呪者の名前が入った呪いのアイテムを、人目に付きそうな場所に人知れず設置するからこそ、それを見つけた被呪者に『誰か分からない相手に殺したいほど恨まれている』という事実が伝わり、そのストレスが被呪者を殺すんだ」
「うわ、なんか悔しい。正月早々コーシロに言いくるめられちゃったわ」
「そりゃあ僕は先生だからね。言いくるめるのは得意さ」
今度は、正月早々殺すとか呪いとか。最高に縁起の悪い一年のスタートだね。
「お兄ちゃん!」
「わ、びっくりした!」
るなが、思いつめたような顔をして僕のコートの袖を引っ張っていた。
「……ど、どうした?」
「私も、初詣に行きたい!」
「えぇ?」
「神様にお願いすると、願いが叶うんでしょ?」
「えぇぇ?」
おいおい、さっきの「なんだかよくわかんないけど、祈願成就のシステムにはカラクリがある」って話を聞いてなかったのか?
「……だめ?」
るなが表に出たいなんて言うのは初めてだから、そうしてあげたいけど……。
でも……。
「別に、バカ正直に『妹です』なんて言う必要ないんじゃないの?」
膠着状態を破ったのは母さんだった。
「え……?」
「お正月だから遊びに来てる親戚の子です、とか。年下の親戚の子が、あんたのことを『お兄ちゃん』って呼んでたって、なんの不思議もないでしょ?」
「あ……!」
「まったく、あんたらふたりはよく似てるわ。純度百パーセントのバカを盛りつけた正直者から、正直を抜いたくらいのバカ正直さだね」
まったくその通りだった。目からウロコが落ちた。
僕の親戚関係について、完璧に把握している人なんて近所にはいないんだから、誰かに聞かれても適当に答えとけばよかったんだ。
今まで僕が悩んでいたことはなんだったんだろう。
「じゃ、ふたりにお年玉」
母さんがふたつのポチ袋を差し出した。
「え? 私にも?」
るなが目を丸くした。
「だってあんた、ウチの子でしょ? はい」
「あ、ありがとう。……嬉しい」
るなはポチ袋を胸に抱いて、目を細めて俯いた。
「よかったな、るな」
ここまではちょっといい話だったんだけど、問題はポチ袋の中身。
「……あのさ、僕が五千円で、るなが一万円って、なにかの間違いなんじゃない? 僕のほうがお兄ちゃんなんだけど?」
「だって、るなは家の手伝いしてるもの。差をつけて当たり前でしょ?」
電気代は僕が払ってるんだけど、と思ったが、それを口に出すわけにもいかない。
「あんたには小遣いもやってんだから、細かいことをゴチャゴチャ言うんじゃないわよ」
「はい、わかりました」
それ以外に、僕は答える言葉を持たなかった。
「るなも、総司郎が『俺のと交換しろ』なんて脅迫してきても、聞くんじゃないよ?」
「う、うん」
そう答えつつるなは、ちらっと僕のほうを伺った。
「そんなこと言わないよ!」
「もし言ったら、あんた、海老責め転がしぷりぷり巻きの刑だからね?」
どんなのか想像できないけど、コミカルな中にも不安をかきたてる名称の刑罰だ。
「……コホン。じゃ、これもね」
今度は父さんが、るなの手のひらに十円硬貨を何枚か置いた。なぜだか妙な汗を流している。ちょっと顔色も悪い。
「……四十円?」
「これは始終縁っていうシャレで、我が家の賽銭は四十円って決まってるんだよ」
「ふぅん、そうなんだ?」
よく分からないといった感じで、るなは小首をかしげた。
僕たちは、一眠りした後、夜明け間近の六時過ぎに家を出た。
この辺りでは珍しく、小雪がちらついて、すでにいくらか積もっていた。
るなは初めて見る本物の雪にはしゃいでいたけど、るなに傷が付いたら、僕みたいにモロデイン軟膏を塗っときゃ治るってわけじゃないので、滑って転んだりしないかと、僕は気が気じゃなかった。
しかし、初めて外に出る日が、めったに降らない雪だなんて、ラッキーなんだかアンラッキーなんだか。
僕としては、どうせ降るなら、香澄ちゃんといるときに降ってほしかったけどな。
るなは、いつものワンピースの上に、家に来た時に着ていた上着を羽織った。さらに父さんのベレー帽を頭に乗せ、仕上げに大きな使い捨てマスクをしているから、風邪の予防に余念がない少年少女合唱団の団員、という感じになっている。
一見、温かそうにも見えるから、冬の装いとして不自然ではなく、色もデザインも、なんとなくしっくりきている。こういう着こなしも考えてこの服を選んだのかと、少し感心した。さすが女の子だな。
「あれ……?」
はしゃぐるなを見ていて、妙な違和感を覚えた。なんだろう?
僕が考え込んでいると、るなが走りよって来て、さっきのポチ袋を差し出した。
「お兄ちゃん、……これ」
「これが、どうかしたのか?」
「あの、この服を買ったお金」
思わずため息。
「……あのな、るな、あれはおまえにプレゼントしたものなんだ。だから、お返しなんかしなくていい。百歩譲って、品物で返すのならまだしも、お金で返すなんて論外だ。それは失礼なことなんだぞ。覚えておけ?」
「……ごめんなさい」
るなはポチ袋を握り締めると、もともと小さな身体を、もっと小さくしてうなだれた。
「知らなかっただけなんだから、気にすることないさ。おまえが優しい子だってのは分かってるから、気持ちだけもらっとく。……それに、ほんとにもらったら、僕は海老責め転がしぷりぷり巻きの刑を食らっちゃうしな」
僕はるなの頭の上にぽすっと手を置くと、帽子ごとぐりぐりと撫でた。
「私、告げ口なんてしないもん!」
「冗談だよ。冗談」
「冗談……」
るなは眉毛を「八」の字にして僕を上目遣いで見ていたが、僕が笑ったら、ためらいながらも笑顔になった。シャレや冗談を理解するにはまだ早かったみたいだ。
足跡でまだらになった新雪を踏みしめながら、鳥居をくぐる。
「ね、日に二回も同じ神社に来て大丈夫? 罰は当たらない? 変に思われない?」
心配そうにるなが僕を見上げる。
「大丈夫だよ。心配ない」
実は、同じ神社というのがミソなんだ。
僕はかなり目立つだろうから、記憶にも残りやすいだろう。だから別の神社に行くと、神社のはしごをしているヤツが「あ、あいつ、別の神社では別の子と来てたぞ」なんて思うかもしれない。もしもそいつが、香澄ちゃんの知り合いだったとしたら、こりゃえらいことだ。
でも、同じ神社に何度も来るヤツなんて、そうはいないだろう。それに、五時間も経ってりゃ、参拝者も巫女さんも、全部入れ替わってるはずだ。
……なんて、こんなこと思いつく自分がちょっとイヤだ。神様に対しても、女の子に対しても、とても不誠実な感じがする。いろんな方面にごめんなさいって心境。
手水場が近づいてきたので、僕はるなに話しかけた。
「るな、参拝の仕方は……」
「わかってる。ネットで調べたから。まず、手を洗うんだよね?」
「正解。おまえはいい子だなぁ」
頭をなでると、るなはにっこり笑った。まったく、もしもるなに爪の垢があるのなら、香澄ちゃんに飲ませてやってほしいもんだね。
「あ、口をすすぐのは……」
やめとけ、と言おうとしたが、るなはすでにひしゃくの水を手のひらに受け、それに口をつけていた。
「大丈夫か?」
「ただの水なら大丈夫だよ。ジュースとか、食べ物はダメだけど」
「そうか、よかった」
と答えたものの、るなが口に入れられるのは、なんの味もしない水だけということに、僕は切なくなった。父さんはああ言ったし、僕もいったんは納得した。「味」という概念そのものがないのだとしても、なにも食べられないのは、やっぱり可愛そうだ。
僕はるなと暮らせて楽しいけど、人間らしく暮らすことができない機械に人間の心を持たせるなんて、ほんとはとても残酷なことなんじゃないだろうか。