第01話 二人前の男
登場するゲーム機やゲームで分かると思いますが、これは15~20年前に書いたものです。今回なろうに投稿するにあたり、最低限修正しましたが、99%当時のままです。
お読みになる場合は、その辺りに留意してお願いします。
全部で26話、約14万字程度です。
その時香澄ちゃんは、目前の対手に肉薄していた。
『倒しにかかっているな』
明らかにそう見て取れる、今までと打って変わった本気モードの動き。
ズバ! ドシュ! ガッ……!
だがしかし、対手の死角から、しかもこれ以上はないというタイミングで繰り出した「黒の刃」は、惜しくも一番強力な三段目を止められてしまった。
対手の、皮膚を鋼のごとく硬化させて攻撃を防ぐ「金剛」が間に合ったのだ。
キィンン!
金属同士がぶつかり合うような音と火花を発して、香澄ちゃんの刀がはじかれた。
「くっ!」
短く呻いて、のけぞる香澄ちゃん。
対手もなかなかの達人らしい。今度は香澄ちゃんが窮地に陥る番だ。見ているだけの僕には、なにもできないのがもどかしい。
対手は短くダッシュして間合いを詰めてきた。多段ヒット技の「強力殺」を根元から叩き込むつもりに違いない。対手は肉体を武器にして戦うタイプのキャラだから丸腰だけど、至近距離での技はゲームバランスを崩しかねないほど強力なものがそろっている。
『あ、ヤバいな。いくら香澄ちゃんでも、硬直中はどうにも……』
他人のプレイなら、いくらでも冷静に見ていられて、先読みもできるのに、自分がプレイするとすぐにとっちらかってしまう。僕にはゲームの才能がないんだろうか?
『……ん?』
その時僕は見た。方向レバーにかぶせるように置かれた香澄ちゃんの左手と、ボタンに乗せられた右手が、ダブルピースを出しているのを。
『なに? なにをする気?』
対手は大きく振りかぶると、硬直したままの香澄ちゃんの頭部めがけて、棍棒のように太い腕を打ち下ろしてきた。その刹那、
「ハイっ!」
掛け声と同時に、香澄ちゃんの右手がどこかのボタンを叩き、跳ね返るように高く差し上げられた。そして、上げられた拳に引っ張られるかのように、香澄ちゃん自身もドリル回転しながら椅子から立ち上がり、ちょうど登竜拳みたいなポーズでジャンプ。
深緑色の制服スカートと、軽くウエーブのかかった柔らかそうなこげ茶色の髪が、遠心力でふわりと広がった。
地面から五十センチほど跳んだ香澄ちゃんは、ゆっくりと一回転半して椅子の座面に降り立つ……と思った瞬間、しゅばっと足を開いて、左右端の金属部分に着地した。後ろで見ていた僕と向き合い、視線の高さがちょうど同じくらいになった。
「ね、大丈夫だったでしょ?」
再び、今度は僕に向かってダブルピースを出す香澄ちゃん。元々猫のような目を、猫のように細くして、満面の笑顔だ。
「大丈夫って……」
大丈夫と言われても、画面の前には香澄ちゃんが立ちはだかっているので、勝負の行方がどうなったのか分からない。僕は香澄ちゃんの肩越しに画面を覗き込んだ。
そして驚いた。
なにが起こったのか分からないけど、致命の一撃を繰り出していたのは香澄ちゃんのキャラだった。対手は胴をひと薙ぎされて、断末魔の叫びをあげている。
「ええ? なんなのそれ?」
僕だってこのゲーム、「ニンジャ・ストライカー」はよくプレイする。だから、あの体勢で出せる技なんかないこともよく知っている。まるで手品のトリックかなにかで、香澄ちゃんが立ちはだかって視線を遮っている間に、筐体ごとすり替えられたかのようだ。
「なにしやがったんだゴルァ!」
僕が抱いた疑問は、対手の操り人も同様に感じていたらしい。あまり品の良くない顔が、怒りのステイタスを帯びて筐体の向こうから現れた。
香澄ちゃんは軽く髪をかきあげたあと、椅子から降りて男に向き直ると、
「知らなかったの? ふふん。じゃ教えてあげるけど、浮かされてる時とか、技を躱わされて硬直してる時とか、のけぞってる時とか。ほんの少しだけ、たぶん2フレームくらいだと思うんだけど、大斬りボタンが有効になるタイミングがあるんだよ」
と、衝撃の情報を口にした。もちろん僕も初耳だ。
「な、なんでそんなこと知ってんだよ! 攻略本やネットにだって、そんなこと……!」
「そりゃそうだよ。自分で発見したんだから」
得意げに腕組みをして、胸を張る。
「……お前が?」
「そ。観察と研究、そしてちょっとのお金とあふれる才能だね。腕を磨きなさいな、セーネン?」
「な……ナメんなゴルァ!」
明らかに年下の女から、変な発音で「青年」と呼ばれた男は、いきり立って殴りかかってきた。
『ああ、まただ』
僕はうんざりしながらも、香澄ちゃんの肩越しに腕を突き出し、男のパンチを受け止めた。男の拳は、僕の手のひらにすっぽり包まれた。
「なんだ、てめ、この、放しやがれ!」
男は逃れようとしてもがき、あろうことか蹴りを繰り出してきた。
でも、このままだと蹴りが当たってしまうというのに、香澄ちゃんは腕組みをしたまま突っ立っている。この人に限って、危険が迫っていることに気づかないとか、身がすくんで動けないなんてわけがないから、信頼されてるってことなんだろうなぁ。
「ごめん!」
僕は香澄ちゃんの脇から足を出して、男の蹴り足を上にはじき、同時に、摑んでいた手を放した。上半身には後ろ向きに、下半身には前向きに力を加えられた男は、派手にバック転してしりもちをついた。
「……いい加減にしとこうよ?」
と、低い声で僕。
「すっ、すみませんでしたぁっ!」
「え?」
僕は香澄ちゃんに言ったつもりだったのに、自分に対しての言葉と勘違いした男が、びくんと跳ねるようにしゃっちょこばって正座した。なんて素早い変わり身なんだろう。
「ぷ。……ソーシロ、許してあげたら?」
香澄ちゃんが噴出しながら僕を促した。許すもなにも、僕は怒ってなんかいないのに。
「あ、うん。どうぞ」
僕が出口のほうに手を差し伸べると、男はこけつまろびつしながら、あたふたと店から走り出て行った。それを確認した後で、僕はもう一度、こんどはちゃんと香澄ちゃんに向かって、
「いい加減にしとこうよね。あんなに挑発することないでしょ?」
と言った。だけど香澄ちゃんは悪びれもせず、
「見込みがありそうなヤツだったからね」と答えた。
「見込み?」
「カムバックサーモンだよ。大きくなって帰ってこいってヤツ」
そこまで言うと、香澄ちゃんはぐぐっと顔を寄せてきて、後を続けた。
「ね、あの攻撃を三段目で止めたのはなかなかだったと思わない? あたしも『よくやった!』って言ってやろうかと思ったけど、褒めてちゃ伸びないと思ったから、喉まで出かけたのをグッと堪えたよ。ああいうヤツはね、屈辱を与えてやると、おもしろいくらい強くなって帰ってくるんだよ!」
なんという上から目線! なんという驕り者!
「……もしあいつが、褒めて伸びるタイプだったら?」
「見た? こっちにソーシロが付いてること知っててゴルァとか言ってくる鼻っ柱の強さ。あたしはヘコまされて伸びるタイプと踏んだね!」
なるほど、観察と研究ってのは、対戦相手に対してもあてはまるわけね。
「で、帰ってきたそいつを頂くわけ。こう、クマさんみたいにバシャとね!」
言いながら香澄ちゃんは、鮭を獲るクマのマネをした。
「あたしに勝つために相手が費やした金と時間と労力、それが無意味だったことを思い知らせる。このあたしの一撃で。まるでシャケに、おまえの長い旅路も、こってり蓄えた脂も、美味しくいただかれるためのものだったと知らしめるかのように! ああ、シビれる酔いしれるゥ。クマさん大満足だよ!」
困った女だ。
「……それでリアルファイトになってちゃ、しょうがないじゃない」
「そん時のために、あんたがいるんでしょうが。信じてるよ、ソーシロ?」
香澄ちゃんはファイティングポーズをとると、僕の腹をぽすっと叩いた。
困った女だ。でも、可愛いからもっと困るんだ。
お昼になったので、僕たちはファストフードの店に入った。
「ぷ。くく。くく」
席に着いてから、香澄ちゃんはのべつ半笑いだ。初めて見たわけでもないのに、僕が、背中を丸めて大きな手で小さなチーズバーガーを食べているのが面白いらしい。
「あーおかしい。『グローブしてハンバーガー食い競争』とかあったら、ソーシロが優勝間違いなしだろうね!」
「これはグローブじゃないよ。僕の生身の手」
片手を前に出すと、目を糸のように細くして、香澄ちゃんが自分の手を重ねてきた。
ちょっと焦る。
確かに、香澄ちゃんがグローブをするとしたら、僕の手くらいの大きさになるのかもしれない。どうでもいいんだけど。
「そこはボディペインティングでなんとか」
僕の指を、人差し指でなぞりながら。
「だいたい、そんなニッチな競技、どこで開催してるの」
「ああ、ダメだ! ソーシロって、めちゃくちゃ小食だもんね」
質問には答えず、僕のトレーのチーズバーガー、ポテト、ドリンクのSサイズを指さして、香澄ちゃんが言った。ちなみに、香澄ちゃんのトレーには、テリヤキバーカー、シーフードバーガー、アップルパイ、ポテト、ドリンクのLサイズが置かれている。
小柄な香澄ちゃんのほうがたくさん食べるので、ファミレスなんかに行くと、必ず逆に料理を置かれる。
「よく身体がもつなぁ、そんなナリして。エネルギー保存の法則とか、知ってる? 物理法則ナメんじゃないわよ?」
「別になめてなんかいないけどね」
そんなナリ、の意味を説明するには、まず、僕の自己紹介をしておかなくてはならないだろう。僕の名前は江川崎総司郎といい、ほしかげ高校の一年生だ。家族は僕と両親の三人家族。
教師や友達の中には、僕を『二人前の男』と呼ぶ者もいるんだけど、何が二人前かというと、まず、苗字と名前が「江川」と「川崎」、「総司」と「司郎」で二人前ずつ。そして、身長百九十五センチ、体重百三十キロで、体格も二人前だってことらしい。
ちなみに、気の大きさと食事量は半人前なので、バランスが取れていないこともない。
「僕は吸収効率がいいんですよ」
「だよねー、人間にしとくの惜しいよね」
「は?」
なんでそうなるんだ?
「だってそうじゃない? ソーシロがもし種牛だったら、ソーシロの子供たちは少ない餌で大きく育つ血統ってことになるでしょ? ソーシロの子供たちがどんどこ増えたら、世界の食糧不足を救っちゃうかもしれないじゃない。すごいなぁ、ソーシロ」
この発想のワンダーぶりには、たびたび呆れさせられる。
彼女は佐田香澄。僕と同じほしかげ高校だけど、ひとつ年上の二年生だ。彼女といっても、三人称単数で用いられる「彼女」ってことで、僕の「彼女」ってことではない。
少なくとも今は、たぶん。
「……香澄ちゃんは僕の子供を食べるつもり?」
「ん。そりゃまぁ、ソーシロが牛なら、食べるよ。もったいないしね。……でも、食べながら泣くと思う」
テリヤキバーガーを両手で捧げ持つようにして口に運びながら、しんみりとした口調で香澄ちゃんは言った。テリヤキの材料に感情移入してしまったらしい。
「言っておくけど、それの材料と僕との間には、なんの関係もないからね?」
「……はぇ?」
顔を上げた香澄ちゃんの眼はうるんでいた。……なにそれ?
焦りながらトレーの上の未使用のナプキンを差し出すと、「あんがと」と答えて両目をちょんちょんと押さえ、最後に大きな音を出して鼻をかんだ。
「ところで、僕が牛なのに、香澄ちゃんは人間のままなわけ?」
「あたし? あはは、あたしは牛の才能ないし」
さっきまでウルウルしてたのに、ケロっとした顔で答えた。
「僕だってそんな才能いらないよ」
可愛いけど、変な女だ。
午後は別のゲーセンを二軒はしごして、僕らは互いの家への分かれ道までやってきた。
「じゃあまた明日!」
香澄ちゃんがぶんぶん手を振る。
そこそこ重い疲労感を覚えながら、僕は手を振りかえした。
「むーちょ!」
なんと、香澄ちゃんは投げキッスを送ってきた。
「む、むーちょ……?」
辺りを気にしながら、小さいモーションで返す。満足したのか、香澄ちゃんはにっこり笑って背を向けた。
「ふぅ」
自宅に向かって歩き始めて、思わずため息。
決して嫌じゃないし、とても楽しいんだけど、香澄ちゃんと遊ぶと、精神的、肉体的にとても疲れる。ひとりカラオケを振り付きで二時間やったときの、「やってやったぜ!」っていう疲れにも似ている。
いや、祭りの後のけだるさのほうがしっくり来るか。
「…………」
僕はふと、投げキッスを送ってきた香澄ちゃんの姿を思い出した。
続いて、DVDを逆再生するように、いろんな香澄ちゃんの顔を思い出した。
僕にとって香澄ちゃんはなんだろう。手をつないだことくらいはあるけど、それ以上のことはしてない。今のところ、そんなにしたいとも思わない。
……なんてウソだ。隙あらば色々したいって思ってる。
そんなの、男子高校生ならあたりまえだ。
パンをくわえて家から駆け出した女子高生が、街角でいけすかない他校の制服を着た男子生徒とぶつかって、その後教室で、転校生として紹介されたそいつと再会するのと同じ確率くらいそうなんだ。
要するに百パーセントそうなんだ。
香澄ちゃんは年上だけど、別に僕は気にしない。恐らく、知らない人が見たら、僕のほうが年上に見えるんじゃないだろうか。
僕の彼女だって言っても、問題ナシなんじゃないか。
たぶん。
おそらく。
もしかしたら。
「うーん」
思わず頭をかきむしる。
若きソーシロの悩みってやつか。こりゃ、恋愛がらみで自殺するやつも出るわけだな。