第8話 【聖女】と聖水
声をかけてきた女に、マヤは見覚えがあった。
服装は、神聖教会の神官服。
柔らかそうな金色の髪。
クリクリとした青い瞳。
庇護欲を掻き立てる、可憐で愛くるしい容姿だ。
しかしその顔には、いやらしい笑みが浮かんでいる。
キアラ・ブリスコー。
男爵令嬢にして、【聖女】の【天職】持ち。
そして乙女ゲーム、「セイント☆貴族学園」の主人公でもある。
ゲームをプレイした神崎真夜にとっては、見慣れた顔だった。
転生してくる直前にも、破滅ルートのマヤ・ニアポリートが処刑される夢の中で見ている。
しかし――
「貴女は……どちら様ですか?」
マヤはすっとぼけてみせた。
この世界線におけるマヤ・ニアポリートとキアラ・ブリスコーは、初対面のはずだからだ。
「うふふふ……。初対面だけど、キアラはあなたのことをよ~く知っているのですぅ。悪役令嬢、マヤ・ニアポリートさぁん? よくもゲーム内では、徹底的な嫌がらせをしてくれましたねぇ」
マヤはすぐに理解した。
キアラ・ブリスコーも、日本からの転生者だと。
だが、すっとぼけは継続だ。
「人違いでは?」
「人違いなわけが……あらぁ? あなたゲーム内とは、ずいぶん印象が違いますねぇ。眼鏡はかけていなかったし、もっと妖しい雰囲気の美女だったのにぃ」
「ゲーム? 何のことでございましょう?」
「あなたはぁ、危険なのですぅ。なぜかギルバート様の婚約者じゃなくなっててぇ、学園にも来てなかったみたいですけどぉ。ゲームの強制力みたいなのが働いてぇ、私の邪魔をするかもしれないじゃないですかぁ」
「仰る意味が、よく分かりませんが……。貴女が私を、危険視しているのは分かりました。辺境伯との縁談も、貴女の差し金ですね? 聞いたことがありますよ。第1王子ギルバート殿下の婚約者になった、キアラ・ブリスコー男爵令嬢の噂は」
「そうよぉ。ギルバート様はもう好感度MAXでぇ、キアラの言いなりなのですぅ。悪役令嬢であるあなたが王都に居たら、気が休まらないんですものぉ。田舎で化け物辺境伯の、慰み物になるがいいですぅ」
「甘いな」と、マヤは思った。
そんなにマヤを危険視するなら、辺境への追放などではなく暗殺しにくるべきだろう。
こうやって、マヤの前に現れるのも軽率だ。
殺されるかもしれないとは、考えないのだろうか。
「そうそう。急いだ方が、よろしいですよぉ? あなたは明日、辺境伯邸を訪れると連絡が行っているはずですからぁ。何日も遅れると、化け物辺境伯の逆鱗に触れますかもねぇ。ここから辺境伯領までは、馬車で5日もかかりますけどぉ」
勝ち誇ったように笑うキアラ。
そんな様子を見て、レイチェルはマヤに耳打ちした。
「……殺しますか?」
「……いえ。せっかく出向いてきてくれたのだから、ちょっと遊んであげましょう」
マヤは魔力を高めていった。
その影響を受け、周囲の空気が鉛のように重くなる。
魔法仕掛けの街灯も、チカチカと明滅を始めた。
大地が不気味な鳴動を始め、通行人達が戸惑い足を止める。
「な……なによぉ。魔力で威圧しようとしても、無駄よぉ。死霊術なんて、【聖女】が使う神聖魔法の前では無力なんですからぁ」
セリフから察するに、この世界線でもキアラ・ブリスコーは【聖女】の【天職】を発現させているのだろう。
【死霊術士】では、【聖女】に太刀打ちできない。
キアラはそう考えているはずだ。
マヤは唇の端を吊り上げ、妖艶な笑みを浮かべた。
「ショータイムよ。みんな、出てきなさい」
マヤの周囲に、空間の穴が開く。
そこからぞろぞろと、這い出してきた者達は――
「ひいいいっ! 何なのですぅ!? この不死者の大群はぁ!」
腐食した体を引きずり、のそのそと歩き回るゾンビ。
完全に白骨化した、骸骨兵。
さらに実体を持たない幽霊達が、上空を飛び回りはじめた。
合わせてその数は、千を超える。
突然現れた不死者の大群に、王都の住民達も悲鳴を上げ始めた。
不死者達はゆっくりと包囲網を狭め、キアラへとにじり寄っていく。
「ゲームでは、ゾンビを1匹操るくらいしかできなかったくせにぃ……。来るなぁ! 来るなぁ! 【ターンアンデッド】ぉ!」
キアラは必死の形相で、不死者を土に還す神聖魔法を放った。
しかしキラキラとした光が舞い散るばかりで、不死者達は土に還ったりしない。
ゾンビがポリポリと頬を掻いたり、骸骨兵が「さっぱりですね」と言いたげにお手上げポーズを取るばかり。
【聖女】が不死者達を撃退してくれると期待していた王都住民達も、ヒソヒソと囁き合い始めた。
キアラの力を、疑っているようだ。
「ど……どうして神聖魔法が、効かないのですかぁ!?」
「術者の力量差ですね」
マヤは平然と言い放った。
不死者が神聖魔法に弱いのは、厳然たる事実。
しかし弱点属性を突けても、レベル差が数百倍もあれば話は別である。
マヤから絶えず供給される強大な闇属性魔力が、キアラの貧弱な神聖魔法を圧倒してしまうのだ。
「こ……こんなの、あり得ないのですぅ! ……へ?」
肩に何かが乗っかる感触を受け、キアラは背後を振り返った。
すると目の前には、どアップになった骸骨兵の顔。
キアラの肩に手をかけ、もう一方の手で陽気にサムズアップをしている。
骸骨兵の暗く窪んだ眼窩を見つめたまま、【聖女】キアラは恐怖のあまり失神した。
ついでに失禁もして、股間から聖水を垂れ流した。