第7話 辺境伯は、ヤバい奴に目をつけられた
マヤがかき回していた液体は、蒸発してなくなっていた。
代わりにキラキラとした紫色の粉末が、釜の底に残っている。
マヤは粉末を匙ですくい、薬包紙の上へと乗せた。
「この粉は、【ゾンビパウダー】といいます。飲んだ者は、不老不死となる……」
マヤの解説に、ニアポリート侯爵はゴクリと唾を飲み込んだ。
娘と同じ紫色の瞳が、欲望に輝く。
「まあその代わり、不死者の体になってしまうのですけど」
「ひいっ! なんとおぞましい! なぜ、そのようなものを作った!?」
マヤが【ゾンビパウダー】の開発・製造に手を出した理由は、自分自身を不死者化するためである。
死人を不死者として甦らせることができるマヤだが、自分を不死者化することはできない。
死んだ瞬間に意識がなくなり、死霊術を行使できなくなる。
そこで、生きたまま不死者になれる薬が必要になったのだ。
魂さえ呼び寄せることができれば、地球で事故死した家族をこの世界で甦らせられる。
しかしあの世や地球から魂を呼び寄せる術が、まだ存在しないのだ。
研究を始めてはいるものの、完成には軽く数百年はかかりそうだった。
マヤが目的を遂げるためには、捨てるしかない。
人としての生と、死を。
「お父様は、不老不死に興味がおありでしょう? ほら、お口をアーンしてください」
マヤは薬包紙ごと、【ゾンビパウダー】をニアポリート侯爵の口元に近づけた。
怪力を誇るレイチェルに、侯爵は羽交い締めにされている。
身動きが取れない。
「や……やめてくれぇ……。不死者になるのは、嫌だぁ……」
涙と鼻水を流しながら懇願する、ニアポリート侯爵。
父の情けない姿を見て、マヤは色々と萎えてしまった。
地球の父とは、違い過ぎると。
神崎真夜の父親は、航空自衛隊のエースパイロットだった。
最新鋭戦闘機F‐35ライトニングⅡを駆り、航空祭で自由に大空を舞うその姿。
幼き日の真夜は、憧れたものだ。
地上に降りてきた時の優しい笑顔も、真夜を撫でてくれた大きな手も、全てが懐かしい。
目の前にいる自分勝手で情けない男が、同じ「父親」だという事実にひどくガッカリする。
「……もう、いいわ。お父様を不死者にしたところで、使い道がないし。【ゾンビパウダー】の実験は、他の者で行いましょう」
マヤの言葉を受けて、レイチェルが拘束を解く。
自由になった侯爵は、地下牢の床に尻餅をついた。
しばらく立てそうにない。
「しかし、誰を実験台にしたものか……。そうだわ」
マヤの脳裏に、素晴らしいアイディアが浮かんだ。
夫となった、カイン・ザネシアン辺境伯を実験台にしてはどうだろうか。
辺境伯は常日頃から、人前では鎧で全身を隠しているという。
ならば不死者化して雰囲気が変わっても、しばらく周囲から気付かれないに違いない。
それに辺境伯は、乱暴者との噂。
むりやり不死者にしたところで、マヤの心は痛まない。
「レイチェル、旅支度をしなさい。目的地は、ザネシアン辺境伯領」
「意外ですね。素直に嫁入りなさるのですか?」
「そうよ。地下牢での引き籠もり生活も、飽きてきたし。辺境の大森林って、ドラゴンも出るのでしょう? 私、ドラゴンゾンビをペットにしてみたいわ」
マヤはパチンと、指を打ち鳴らした。
すると地下牢内に置かれていた家具や魔導具が、次々と消えてゆく。
何が起こっているのか分からず、ニアポリート侯爵はキョロキョロと周囲を見渡すばかりだった。
全ての家具を収納し終えたマヤは、地下牢の外へ向かい颯爽と歩きだそうとする。
しかしその肩を、レイチェルがむんずと掴んだ。
「お待ちください、お嬢様。まさかその恰好のまま、嫁入りするおつもりではないでしょうね?」
「……? 別に、構わないでしょう?」
「構います。せめて、髪は梳かしてください。眼鏡もオシャレなものに変えてください。怪しさ大爆発のローブではなく、ドレスを着てください」
「『せめて』とか言いながら、3つも要求したわね。めんどくさいわ。ザネシアン辺境伯に好かれようとは、思っていないし」
「好かれなくても結構ですが、お嬢様がクソダサ女だと思われるのは我慢なりません。メイドの矜持にかけて、キッチリ仕上げさせていただきます」
「クソダサ女……。メイドの矜持って……。レイチェル。貴女生前の本職は工作員で、メイドはオマケみたいなもんでしょう?」
「問答無用です。さあ、お召し替えを。……ゼロサレッキ、お嬢様のドレスを出しなさい」
誰もいない空間に、レイチェルは呼び掛けた。
すると次の瞬間には、ハンガーラックと共に数着のドレスが出現する。
「そこの下郎。いつまでここにいる気だ? お嬢様が着替えるのだ。さっさと去ね」
レイチェルに凄まれ、ニアポリート侯爵は慌てて地下牢を出ていった。
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1時間後。
時刻はすでに夕暮れ。
旅支度を終えたマヤとレイチェルは、侯爵家タウンハウスの玄関前に立っていた。
これからザネシアン辺境伯領まで旅をするというのに、2人とも手ぶらだ。
レイチェルは、相変わらずのメイド服。
マヤの恰好は、一応少しマシになっていた。
髪型は地味な三つ編みのままであるものの、レイチェルが梳いて編み直してくれている。
眼鏡はデザイン性を重視した、オシャレなものに変えられていた。
そして服装。
華美な装飾はされていないが、セミフォーマルな黒色のドレスへと着替えている。
道行く人々の目を引くほどではないが、清潔感は充分。
そんなコーディネイトだった。
本当はレイチェルがもっと派手に着飾らせようとしたが、マヤが「めんどくさい」と嫌がったのだ。
「さて。この家とも、お別れね。……さよなら、ニアポリート侯爵家」
「別れの挨拶がわりに、焼き払いますか? 娘が嫁ぐのに、送りの馬車も用意していない貴族家など……」
「その件なら、そんなに怒っていないわよ。侯爵家が用意できるオンボロより、私の馬車を使った方がずっと快適でしょう?」
マヤ達が侯爵家タウンハウスに背を向け、王都郊外に向かって歩き出そうとした時だった。
嘲るような女の声が、浴びせられたのだ。
「いい気味なのですぅ! マヤ・ニアポリートぉ!」




