第37話 悪くないわね
太陽が完全に沈み、夜の帳が下りた。
号泣するカインにどう接したらいいのか、マヤには分からない。
前世地球で彼女は、両親や兄から慰められる側だった。
――彼らの真似をすればいいのでは?
そう思いつつも、マヤは迷う。
自分とカインでは、性別が違うからだ。
慰め方を間違えれば、矜持を傷つけてしまうのではないかと怖くなる。
これまでも褒めたつもりで、カインを落ち込ませてしまったことがあった。
それでもとりあえず抱きしめようかと、カインの肩に手を伸ばした時だ。
「……蛍? いえ、人魂?」
人魂のような光が、ゆらゆらと花畑の上を舞っていた。
【死霊術士】であるマヤの感知能力が、「これは死霊の類ではない」と教えてくれる。
しかし光の尾を長めに引いているところからして、蛍などでもないようだ。
「風に乗って飛ぶ、鎮魂花の花粉だ。……これを君に見せたくて、ここまで連れてきた」
カインは涙を流し続けながらも、掠れ声で説明を始めた。
鎮魂花は体内に魔力を蓄える、不思議な花。
その花粉は、魔力により守られながら飛ぶ。
花粉は夜になると大気中の魔力と反応し、発光する性質があるという。
「俺は鎮魂花の光が好きだ。幻想的で、死者の魂みたいだろ? ここに来ると、死んでいった者達を近くに感じられる。ただの花粉だと、理解してはいるんだけどな」
「旦那様……」
「そうさ、俺は強がっていただけさ。本当はいつだって、両親に会いたかった。あんな変わり果てた姿じゃなくて、本当の両親に」
「あの双頭ゾンビに、ご両親らしき魂は入っておりませんでした。人工的に作り出した、疑似魂魄が入れられていたようです。きっとご両親の魂は、天国から旦那様を見守ってくれています」
「そうだな……。そうだといいな……」
泣き止み、フラリと立ち上がったカイン。
しかしその表情には、生気がない。
カインはマヤに背を向けると、両親の墓とは反対方向へと歩き出した。
ウィンサウンドに、帰るつもりなのだろう。
夜の闇に溶け、消えてなくなってしまいそうな背中だ。
年下の夫を上手く励ます言葉が見つからず、マヤは無力感に苛まれていた。
両親に会いたいという彼の気持ちは、マヤにも痛いほど理解できてしまう。
「そうよ……。私は【死霊術士】。今の私なら……」
カインの後を追い、帰ろうとしていたマヤ。
だが彼女は不意に、花畑の中で立ち止まった。
「マヤ?」
妻が立ち止まったことに気付き、カインも足を止める。
マヤは三つ編みにしていた髪を解き、眼鏡も外してケースにしまった。
紫の双眸を閉じ、精神を集中する。
「まだこの世のどこかに、留まっているならば……。英霊達よ! 我が下へ集え!」
鎮魂花の花畑に、マヤの声が響く。
彼女を中心として、魔力が球状に広がった。
呼び声と魔力は花畑を飛び出して、世界中へと広がってゆく。
隣で見ていたカインには、そう感じられた。
しかし、何も変化は訪れない。
虫の声をBGMに、鎮魂花の花粉が舞っているだけだ。
まるで人魂のように、光の尾を引きながら。
いや――
静かに――だが確実に、変化は起こっていた。
「何だ? マヤの魔力に反応しているのか? 鎮魂花の花粉が、増えたような……。いや、違う! これは!?」
鎮魂花の花粉に混じり、死霊が人魂となって集まってきていた。
人魂達はマヤから魔力を受け取り、おぼろげながら人の形を取り始める。
「お前達は……。シィターケ! エコダリア! コウ=サッカー! ザウェスト!」
死霊は、辺境伯領の戦士達だった。
マヤがザネシアン家に嫁いでくるよりも前に、魔物との戦いで散っていった者達だ。
そして――
「父上! 母上!」
集まってきた英霊達の中には、ザインとフィリアの姿もあった。
『我が息子よ……。たった2年の間に、強くなったみたいだな』
『会いたかったわ。私の可愛いカイン……』
マヤは魔力を多めに、夫妻へと分け与えた。
2人の姿はより鮮明となり、実体化する。
両親は、カインを抱きしめた。
体温は、ないはずだ。
なのにカインは、確かな温もりを感じていた。
『お前には若くして、辺境伯の地位という重い責任を背負わせてしまった。すまない……』
『寂しい思いも、させてしまったわね……。もっとあなたを、抱きしめてあげたかった……』
申し訳なさそうな顔をする、両親。
しかし息子の目に、もう涙はない。
「確かに大変でしたし、父上と母上がいなくなってしまって寂しかった。だけど俺はもう、孤独ではありません。クレイグや使用人のみんな、辺境伯軍の戦士達が、支えてくれています。それに……」
カインは両親の胸から頭を起こし、背後のマヤを振り返った。
「俺の妻、マヤです。彼女がいる」
マヤはちょっと、ドキリとしてしまった。
「離縁したいなら受け入れる」という態度だったカインが、自分を妻として両親に紹介したことに。
しかしドギマギしてしまっては、年上のお姉さんとしてちょっと悔しい。
驚きと緊張を隠しながら、マヤはすまし顔で淑女の礼をとった。
「お初にお目にかかります。ニアポリート侯爵が娘、マヤと申します」
『あらあらあら、まあまあまあ。なんて素敵なお嬢さん。貴女のような方がザネシアン家にきてくれたのなら、安心だわ』
『わかっているよ。マヤ嬢が彷徨っている私達の魂を呼び寄せ、こうしてカインと会話できる力を与えてくれたのだね。……ありがとう』
【死霊術士】だからと忌み嫌われなかったことに、マヤは安心した。
能力上、彼らを支配できる立場ではある。
だが、夫の両親。
しかも初対面だ。
彼女とて、緊張しないわけがない。
「父上と母上は、俺を心配してこの世に留まっておられたのですか?」
『それもある。だが、もうひとつ気がかりだったのが……』
毒竜ラスティネル。
かつて辺境伯領を脅かし、王国全体をも震撼させた悪名高き魔物だ。
自分達を殺した毒竜のことが気がかりで、夫妻は成仏できなかったという。
『結局私達は、ラスティネルを討伐することができなかったわ。大森林の奥深く、瘴気の洞窟に封印しただけ』
ザインは毒竜の吐息から妻やクレイグ達を守り、命を落とした。
フィリアは全生命力を使った結界を張り、命と引き換えにラスティネルを封印した。
毒竜ラスティネルは、死んでいない。
結界の中で、復活の刻を待っているだけだ。
『でもマヤさんがいるなら、大丈夫ね。毒竜なんかより、ずっと強そう』
『うむ。息子が成長した姿も、美人なお嫁さんをもらったのも見れた。もう、安心だな。……腕をつねらないでくれよ、フィリア。幽霊でも、実体持ってるから痛いんだぞ? ……私にとっては、君が最高の女性さ』
ザインとフィリアの魂は、カインに背を向けた。
「父上、母上。逝ってしまわれるのですか?」
『ああ。私達はもう、舞台から降りた人間だ』
『これからは、あなた達の時代よ』
去りゆく両親の背に向かって、手を伸ばそうとしたカイン。
だがその手を、彼は力なく下ろした。
「父上、母上……お元気で」
『はははっ。死んでいるのにお元気でとは、変な話だな。……カイン。お前も達者でな』
『いつでもあなた達を、見守っているわ。……マヤさん。カインのことを、よろしくね』
「はい……」
2人の魂は墓石へとぶつかると、燐光となって空中に散った。
今度こそ、あの世へと旅立ったのだ。
しばらく墓石の前に、佇んでいたカイン。
彼は不意にしゃがみ込むと、鎮魂花を摘み何かを作り始めた。
「『過去のことは振り返るな。前だけ見て進め』という言葉があるだろう? 俺はアレ、嫌いでな」
丁寧に、丁寧に。
カインが心を込めて花を編んでいるのが、マヤにも伝わる。
「人は立ち止まり、過去を振り返らなくてはならない時もあるんだ。過去の思い出から励まされ、先人達の生き方から未来を見つめ直す。そうやってはじめて、前に進む勇気と力をもらえる」
カインの大人びた物言いに、マヤは胸がキュッと締め付けられた。
「生きている人間が故人の墓参りをしたりするのは、未来に進むための儀式なんだろう」
カインが編んでいたのは、花冠だった。
彼は背伸びして、マヤの頭に鎮魂花の花冠を載せる。
「王都では忌み嫌われているそうだが、俺はマヤの力は素晴らしいと思う。死者と向き合い、未来に進む力を与えてくれる」
「旦那様……」
「帰ろう、ウィンサウンド城へ。俺達には明日がある。眠ればまた、朝を迎えられるんだ」
カインはマヤの手を引いて、城へと戻った。
温かい――生きている人間の手だった。
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城に戻り、就寝の準備を整えたマヤ。
もう彼女の部屋は、来客用のものではない。
カインの隣。
辺境伯夫人の部屋だ。
2人の部屋を直接つなぐ扉は、まだ鍵がかけられているが。
ベッドに入る前に、マヤは机の上を見た。
カインが作ってくれた、鎮魂花の花冠が置かれている。
「花も悪くないわね」
窓から差し込む月光を浴びながら、マヤ・ザネシアンはポツリと呟いた。
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