信長様、夕ご飯を食べつつ作戦会議
パワーランチのようなもの。
「じーつに、くだらんな。祟りを恐れるなんぞ」
上等な漆塗りの盃でお酒を飲みながら、信長様は言った。目は全然酔っていなくて、きらきらと理性的な光を放っている。
「では、捨て置きますか。伏見稲荷のお告げとやらは」
夜風丸殿がそばに控えながら言った。そばで太刀を構えて護衛するのが小姓の役目で、お酌をするのがわたしたち厨番の侍女の役目だ。ちなみに毒味役もするので、信長様が今召し上がっている川魚の塩焼きや栗ご飯や青菜の味噌汁、柿はお先にちょっとずついただいた。
「夜風丸よ、せっかちに話を呑みこむでないぞ」
「と、言いますと……恐れず対処するのですか」
「うははは。聡い、聡い」
笑いながら信長様は盃をわたしに差しだす。一杯飲み干してから続きを話してくれるようだ。
「今宵の酒、甘露であるぞ。美月」
「他の厨番の者たちにも伝えておきます」
良い酒屋を見つけて酒を届けさせるのも、厨番の仕事だ。交渉に当たっている男衆は喜ぶだろう。
「お前たちは真面目だのう。酒の味も良いが、面白い話ができそうだという意味だ。酒が甘露というのは」
「あら」
わたしは楽しくなってきた。何か仕掛けるのだ、この人は。
「伏見稲荷の神職どもの狙いは分かるか? 夜風丸よ」
「恐れながら信長様、金と力かと」
迷う様子もなく夜風丸が言った。
ふふふ、と笑いを漏らしてしまう。やっぱり信長様は、お告げなんて信じていない。でっち上げだという前提で考えている。夜風丸も、そんな信長様の薫陶を受けつつある。
この時代の大きな神社やお寺は、金融で儲ける、僧兵みたいな武力集団を抱える、暴力事件を頻繁に起こす……という、まことにやっかいな連中なのだ。
だからこそ近い将来、信長様による比叡山の焼き討ちが起こるのだけれど。
「で、あるよなあ。美月よ。どういうからくりか、整理してもらえるか?」
「はい。まず、祟りが起きると喧伝すれば、やはり伏見稲荷の神力は恐ろしいとみんなに思い込ませることができます」
「うむ。で?」
「恐れた人々の中には、伏見稲荷への寄進をする者もいるでしょう。武将でも商人でも、お公家様でも。ひょっとしたら、当代の将軍様も」
「それは困るのう」
大げさに眉をハの字にして、信長様は言った。
「わしが大事に、大事に京へお連れ申し上げた当代の将軍、義昭様。そのお方が、伏見稲荷に負けたみたいではないか?」
「そうなるといけません、信長様の面目が」
夜風丸は後を続けるのを控えた。表情が険しい。
「おうよ。義昭様を戴いて入洛した、わしの面目が立たぬ」
信長様は味噌汁を飲み干した。普通の定食っぽいご飯を食べながらお酒を飲んでるのがちょっと不思議な光景だ。前世の記憶から、素敵な酒のアテを探し出して差し上げたくなる。
「美月よ。どうするのが良かろうな?」
「あら、あら。ただの厨番には荷が重すぎます。信長様の考えていらっしゃることをお教えくださいませ」
前世のわたしは、こんな風に権力を持った男性を手伝う仕事をしていたのかもしれない。出過ぎず、相手に花を持たせる物言いがするする出てきてしまった。
「……義昭様については、使いを出してある。『伏見稲荷の神職どもに惑わされてはなりません』と」
さすが。押さえるべき点を押さえてる。
率直な褒め言葉は僭越なので、わたしは静かにうなずく。
「何より肝要かと存じます」
「肝要とは、おなごだてらに難しい言葉を使うのう。茶をくれ、喉が渇いた」
「はい、ただいま」
ほうじ茶の入った漆塗りの瓶子を取って、信長様の差しだす飯碗に注ぐ。まだ栗ご飯が残っているので、お茶漬け――京都で言う「ぶぶ漬け」になる。せっかくの秋の味覚にお茶をかけちゃっていいのかな、とは思うのだが、これはこれで香ばしくて美味しいかもしれない。
「美月や小姓たちの話を総合すれば、巷の連中は『非業の死を遂げた先の将軍・足利義輝が祟る』と思っておる。しかし、宴をもよおせば祟りは止む、ということになっておるようだ。伏見の神職どもによれば」
「信長様。恐れながら、わたしの考えを申し上げてもよいでしょうか」
「言うてみよ。食いながら聞く」
信長様は勢いよく栗のぶぶ漬けをかきこみはじめた。
「あっ、ゆっくりお食べください。胃の腑がおどろいてしまいます」
「ぬう、厨番なのか医師なのか分からんな、美月は」
そう言って、信長様は食べる速度を落としてくれた。
「伏見の神職たちはお告げの内容を『宴をもよおせ』としました。金と力だけを欲しているなら、『寄進せよ』で構わないはずです」
「うむ。……ところで、ゆっくり食べておるぞ」
「ありがとう存じます。大変結構です」
ちゃんと褒めておこう。小学生男子をしつけているような気分だ。
「なぜ『宴をもよおせ』としたのか……。その一つは、説得力を持たせるためと考えられます。伏見稲荷は豊穣の神ですから」
「うむ。秋は豊穣に感謝する新嘗祭の時期。さらに説得力が増す。他には」
「伏見稲荷の神職が、美味しいものを食べたがっている。それがもう一つの理由でしょう。伏見稲荷のお告げに従って宴をもよおす者は、伏見稲荷も呼ばねば非礼となりましょう」
神のお告げに従って、霊を慰めるために宴をもよおす。そのお告げをくださった神を仲間はずれにしては、結局また伏見稲荷が不吉なお告げをする――もとい、伏見稲荷の神職たちが不吉なお告げをでっち上げるだろう。
「で、あろうなあ。さて、美月よ」
栗ご飯のぶぶ漬けを食べ終えて、信長様は脇息にもたれた。
「伏見稲荷の神職と巫女、そして護衛しておる神人どもにまで宴の酒や食い物を分けては、我が織田家の財政は非常に厳しゅうなる」
「ごもっともにございます。あくまで、伏見稲荷にのみ捧げるということで、何人分、と数える必要はございませんね」
「うむ。美月よ。今宵の酌にお主を呼んだのは他でもない。先の将軍・義輝様の霊をなぐさめるという名目に合致し、伏見稲荷の神職どもがそこそこ納得する料理は、どのようなものであろう?」
どうやら信長様は、わたしの体力だけでなく発想も頼りにしてくれているようだ。なぜかは分からないけれど。
「そこそこ、でよろしいのですか?」
「大いに満足させては、味をしめよるからな。料理だけに」
あっはっは、と三人そろって笑ってしまった。我ながら緊迫感がない。
「おほん。恐れながら、義輝様のお人柄をしのばせるような料理がよろしかろうと存じます」
「なるほど、この夜風丸もそう思います」
夜風丸が援護してくれる。
「義輝様の、お人柄な……。お会いしたことはあるのだが、お人柄までは。さてどうしたものかのう」
夕ご飯をすっかり食べきった信長様は、気だるげに頬杖をつく。早く器を水でふやかして洗わないと、と厨番的な心配をした瞬間、ふすまが開いた。
「信長様。失礼いたします」
顔を覗かせたのは、夜風丸よりも少しだけ小柄な美少年だった。この人の名前を、わたしは前世から知っている。織田信長に最後まで付き従ったと伝わる小姓、森乱丸だ。
森乱丸を書けて嬉しい。