第5話 迷う!
ここからが問題であった。行けども行けども天楼に辿り着けないのである。
現在モリカ一行がいるのは裏通りのパン屋。太陽に照らされた表の通りと違い、奥に位置する裏通りは向き合う建物の屋根やテントが陰となって雨天時のように薄暗い。そんな景色の片隅にあったパン屋へ聞き込みを行っていた。
「天楼なら伍の表通りの裏通りを突き当たって右に行った辺りじゃなかったかな~」
小麦粉の煙を先端だけちねったような毛髪を頭の両側に生やす、店長のパンおじさんが間延びした声でモリカに答える。
「伍!? 伍のどの裏通りですか!?」
「え~、ううん、二十二ぐらい?」
「どっちから数えて二十二ですか!?」
「いや待ってよ。プールの辺りだったかなぁ…?」
これと似たようなやりとりを既に片手で足りないくらいは繰り返していた。
直前に尋ねた占いの館では『目的の物は拾の表通り三十六の裏通りをやや右方向に進んだ先の突き当たりを上下しながら進んだ先の銅像の近くのパン屋の先の右の左の上の下のおやじの脇の下のすね毛の向こうの隅の方にあるだろう』と告げられ、ここに至る。ただしここに来る為にも既に何軒も店を訪ねていた。
何故そうも目的地へ辿り着けないのか。その原因は何といっても第一に街の造りの難解さに他ならないとモリカは感じていた。そこへ更に二つの要因が関わってくる。
まず、道と店を後から後から無計画に増築したような造りのために、真っ直ぐ一本道という物が殆ど存在しない。故に表通りのことを階層毎に伍の表通りだの拾の表通りだのとは言うが、基本とされるその道さえ建造物の都合で上がったり下がったり、合間に風車やらメリーゴーランドやらがあったりで、歩いている内に階層を失念させられる。
よしんば表通りを引き当て、更に目当ての裏通りを引き当てる快進撃を引き起こしたとしても、次に広がるのは表以上に複雑回路と化した裏通りダンジョンである。
次に、地図が存在しない。あったとしても、大都会の駅構内図を前に脳に宇宙が誕生した地方在住者状態になるのは想像に容易いが、そもそも存在しないのも痛手であった。
最後に、単純に住民も街の構造を把握していないらしかった。
幸いなのは表通りの階層は互いに直通の道があることと、裏通りの入り口は規則正しく並んでいることである。
「あ、分かったぞぉ!」
パンおじさん曰く『弐拾陸の表通り五十五の裏通りの下の方の――』。そこを目指してモリカ達は街を歩いていた。
「あ、すみません」
「あら。こちらこそごめんなさいね」
人の多さに避け切れなかったマダムとぶつかるモリカ。彼女は王道ファンタジーの田舎町にいそうな牧歌的な衣装を身に纏っていた。謝罪の言葉を告げ、腕に提げたパンやミルクを入れた籠を揺らしながら雑踏に紛れていく。
「モリカも虹の後ろを歩いてはどう? 歩きやすいわよ」
さくらの言葉に彼女を見ると、虹の背に庇われて人混みの被害をあまり受けずに済んでいた。
「手も繋がせていただきたいのですが」
「一人前のレディはエスコート以外で手を繋いだりしないわ」
つんと澄ましたさくらの物言いに虹は微笑ましげに失礼を詫びる。この人混みではエスコートは難しいだろう。けれど確かに虹の後ろは歩きやすそうで、守られているさくらが少し羨ましくなる。街中で立ち止まるわたし達を道行く人達が不思議そうに見ていた。
「人混みの掻き分けなら適任がいるですの!」
遠くから聞き覚えのある声が迫って来る。振り向こうかと思ったモリカだったが、逡巡の末、やめた。
「灯台にもなるですのー!」
あざとい声と一瞬で擦れ違い、遠ざかっていく。転落防止用の壁のてっぺんを走る巨体の小脇にまろい尻が見えた。
「どうぞ、モリカ」
虹の優しい促しに甘えて彼の背に隠れる。こんなに紳士的な待遇をされたことがあっただろうか。いやない。初めての体験に少し胸が弾むモリカ。しかし。
「今は拾肆です。あと十二階ですよ。頑張りましょうね」
「もう少しね」
タフな異界人達に我に返るのであった。
「あの、ごめんね。もう少し行ったら、すこーしだけ休憩したいな……」
早く解決してあげたい思いはあるが、彼等に真正面から付き合うと殺される。そう確信したモリカは正直に休憩を申し出た。
「そうですね……。結構歩きましたし、この辺で少し休みましょうか。店も沢山あることですしね。さくら、構いませんか?」
「もちろんよ。無理はしないで、モリカ」
さくらのいじらしい返答に胸が締め付けられるモリカ。そう、さくらは気こそ強いが他者を気遣い優先する優しい子なのであると一人噛み締める。勿論彼女のはっきりした物言いも魅力の内である。
幸い快諾してくれた二人に甘え、人の少なそうな裏通りの適当な店へ入る。レトロモダンなしっとりとした雰囲気の喫茶店。そのソファ席にさくらと並んで座り、対面に虹が腰掛ける。
高い天井に照明は少ないが、代わりに一席毎に背後の窪みへランプが置かれ空間を温かく照らしていた。また、ステンドグラスの窓には鮮やかな色使いで植物が描かれている。どことなく似たような色味の調度品が多い中で、その絵が内観を引き締めていた。
「お決まりになりましたらお呼びください」
エイリアンとしか表現の仕様がないウェイターがサービスの水を置くと、数多の触手を行儀良く揃え恭しく頭を下げ去っていく。
「お好きな物をどうぞ」
金がないモリカは虹のさり気ない気遣いに感激する。彼が渡してくれたメニューを開き、まずはさくらに見せた。すると彼女はメニューをモリカとの間に持ってきたので半分持つ。幼くして既に備わっている思いやりにモリカは胸がきゅんと締め付けられた。
「なになに。あんぱん、胡桃パン、デニッシュ、サンド……」
ここもパンに侵されていた。