第23話 乗り込む!
「やっと着いた……」
おそらくだが、街の階段を駆け上がった方が早かった。
しかしだらだらと駅弁を食べながら車窓の景色を楽しんだので体力と精神力はかなり温存出来た。どうしても垣間見えるむちむちはモリカの精神を削りはしたが、その犠牲のおかげで裏表通りまではまだその手が伸びていない事も分かった。
そして今、彼女達の前に立ちはだかるのは砦に囲われた未踏の地。たった一つの入り口は看板と一体化する門、荒野の街風。すっかり晴れた空。乾いた風と共に、何処からともなく情熱の中に浪漫と哀愁を秘めたギターとサックスのハーモニーが聴こえてくる気がした。
筋肉地区。
ついに本陣に辿り着いたモリカ一行であった。
「みんな、覚悟はいい…?」
頷き合う三人と一匹。門番はいない。モリカは生唾を飲み、先陣を切る虹に続いてついに彼の地へ足を踏み入れた。
「こ、これは……!?」
パンドラの箱かと思われた地。その実態を目の当たりにして、モリカは目を剥いた。
「らっしゃ~い!!」
たくさんの野太い声が一行を出迎える。無骨で簡素ながら冒険心をくすぐるテントが所狭しと立ち並び、それぞれが思い思いの露店を開いていた。
ある店では網にソーセージの香ばしい脂を滴らせ、ある店では可愛い焼き菓子が並び、またある店では敷物に骨董品を広げ、はたまた別の店では武具が陳列されている。簡素なテントばかりではない。中には金糸のフリンジで装飾された紫布の、天から吊り下げたような形状の物もある。妖しげな雰囲気が漂い異彩を放っていた。
特にモリカの目を引いたのは鮮やかな果物が盛られた店である。客の注文を受けて店主は選んだ果物をジューサーに押し込み、搾りたての新鮮なジュースが出来上がった。そこに炭酸水を注ぎ、更にその場でカットした果物数種とハーブをさして完成である。
「マルシェだ!!」
賑々しい市場。客こそ店主同様のむちむちしかいないが、成り立っている。
「良い匂いがいっぱいする…!」
モリカは涎が垂れそうだった。昼食がまだなのである。
「お嬢ちゃん、腹が減っては……」
彼女の一番近くのテント、海鮮を盛り合わせた経木皿を掲げて店主がニヤリとほくそ笑んだ。鉄板の熱気に紛れて香る、香草とガーリックのソースがよく絡んだタコやら貝やら。隅にはライムが添えられている。
モリカの口内はこりこりとした弾力ある歯応えに香草の爽やかさ、ガツンとくるガーリックの香ばしさ、それをくどく感じさせないライムの酸味と、ありもしない味わいを錯覚する。まるで晴れ渡る青海。気付いた時にはシーフードと例のフレッシュジュースを握り締めていた。
「モリカ! 食べたら行くわよ!」
さくらが必死に訴えている。その通りだと、急いで口に運ぶモリカ。ジュースもあと残りわずかというところで、別テントからお声が掛かった。
「お嬢ちゃん、デザートは……」
そう言い掛けたむちむちの持つカップには、惜しみなく押し込められた寒天混じりのアイス。その上を飾るのは花やアニマルを模った白玉団子に栗や最中。
「あんみつ風だぁ…!」
数々の誘惑を前にモリカの知能は著しく下がっていく。
「それを食べたら今度こそ行くですの!」
フルーツ飴をかっ喰らう謎マスコットがモリカを諌める。さくらに露店で購入した絹のリボンを与える虹も頷いた。
「う、うん。ごめん。早く食べるから」
可愛いアニマル白玉をとくに楽しむことなく口へ放り込むモリカ。最後に残しておいた最中をバリバリ噛み砕くと、異国情緒溢れる衣装屋が目に飛び込んできた。
「わ! ファンタジー衣装だぁ! ……は…っ、違う。大将首を取りに行かなきゃ!」
「お嬢ちゃん、珍しい織物は……」
「わー! なんかよく分かんない模様の織物だー! ……はッ!?」
吸い付くように衣装屋のもとへ張り付いたモリカは我に返る。ふらりと立ち上がり、この地区の恐ろしさによろめいた。慌てて支えてくれた虹に寄り掛かり、戦々恐々と周囲に視線を巡らせる。
「なんて場所なの。誘惑と欲望の地、筋肉地区!! クッ……!!」
「モリカ!?」
崩れ落ちるモリカを虹とさくらが案じてくれる。虹の腕のおかげで何とか膝は突かずに立て直せた。けれど早くもモリカは満身創痍。支えあってこそ何とか立っていると、誰の目にも明らかだった。
「しっかりするですの! まだ戦いは始まったばかりですの!」
「グゥッ!!」
「奴等の実力、これ程とは。敵ながら見事です! 何という脅威――!」
いつも冷静な虹も、流石の劣勢に一筋の汗を流す。
そんな二人を背に守るように、マルシェの前へさくらが力強く立ち塞がった。
「ここはわたしが死守する。だから、みんなは先へ進んで!」
「さくら!!」
モリカ達の悲痛な声を受けても、小さな背は退こうとしない。虹はきっとその身を庇ってやりたいだろうに、手を離せばモリカが崩れ落ちるためか歯痒そうに見つめるだけ。
モリカの内を悔しさと情けなさが満たす。己が発端だというのに、足手纏いにしかなっていない。
動け、足。震えよ止まれ。
たった独りで立とうとするさくらに向かい、弱々しくも一歩を踏み出した。その時だった。天を裂くような溌剌たる声が、駿風が如く駆け抜けて、モリカの心の陰を力強く祓い除けてしまう。
「敵の策に呑まれるな!」
テイエンラン、そして。
「雪解けはもはや目前! 次に我等の心を撫でるのは甘い春風でしょう!」
シュンプー参戦であった!
「しかし!! その甘さの中に淡い冬の名残りを潜ませるおセンチな」
「ここはおれ達に任せておけ。誘惑には耐性があるからな!」
「テイエン、シュンプー!」
思わぬ援軍にモリカ達の表情は明るくなる。彼女達の決起を何処からか聞きつけたか、或いは彼等も独自に立ち上がった結果、合流に至ったのか。
いずれにせよあまりにも心強い味方の登場であった。
「モリカ、ここはありがたく先を急がせてもらうですの」
「う、で、でも…っ」
「見るですの!」
ピュノの指す先、筋肉地区の入り口に向かって両手をメガホン代わりに声を張り上げる二人の姿があった。
「おーい、入って良いぞー!」
「皆さん! 出番ですよ!」
その掛け声の直後、門の向こうがやたらと騒がしくなる。騒めきはその規模を急激に増し、地鳴りのような轟きとなって押し寄せ、門から大量の人材が流れ込んで来た。
種族不問ながら特徴的な着物と修道着。そう、天楼ファミリーと教団ブラザーズである。
噎せ返りそうな人の数に圧倒されるモリカ。しかしむちむち達の声に引けを取らない味方達の騒ぎぶり、まことに素晴らしいと感嘆する。空気に呑まれては本来の実力は出せない。けれどこちらのペースに持ち込むことが叶えば、実力以上の力を発揮することも不可能ではないだろう。
「モリカ! 安心して先に行ってくれ。街の未来は任せたぜ!」
「モリカ殿。これぞ試練の時です。向かう先に祝福のあらんことを」
見知った赤髪の少年と、ちぎりパンを撫でていた青年がモリカを激励し、人混みに消えていく。
次々と露店の攻略に向かう味方達にモリカは心底感謝した。ここにきて彼等がこんなにも頼もしき存在になろうとは、夢にも思わなかったのだ。
「ピュノ殿のおっしゃる通りです、モリカ。敵のこの戦力、私達だけではあまりに寡兵。ここは彼等に任せ先へ進みましょう」
「わたしもそれが最善だと思うわ。行こう、モリカ」
「……うん、そうだね!」
ピュノ、虹、さくら。そしてたくさんの仲間達の言葉を受けてモリカは今度こそ己一人で地に立つ。難しい激戦地を買って出てくれた者達に報いるためにも、モリカはこの街へ混沌を返さなければならない。強くそう思った。
前だけを見据えて、混戦状態の中を走る。その心はただ一心にハウリング青年へと差し向けて、周囲の喧騒など今のモリカには届かない。
区切るように狭くなる道。現れた第二の門。その足元に骨の仮面を被る小さな置物。市場の終わりは最早目前であった。
「何という、醜態。これぞ理性なき劣等種の心髄か。いかに高等なる我々が如く振る舞おうとも、その本質は変わらぬというのか。争うというのか。であれば、やはり支配への導きこそ我が使命と――」
ただ前だけを見据えて、何も聞かず、モリカは門を走り抜けた。そして一行は市場を後にする。