第16話 筋肉とは愛のゆりかご!
「何故諍うのですか。私と話をしましょう。拳ではなく、心と心をぶつけ合ってこそ春信のような未来が貴方達を迎えることでしょう」
「ゴラァ……?」
「思想のぶつかり合い。それは創造主様のお与えになった試練。貴方達は今、その時に迎えようとしているのです。これはつまり、高みへ行く時がきたということ!」
「テメェエ!!」
拳をかわされた上に色々言われている衝撃から、いち早く気を取り戻した男が蹴りを繰り出す。それを受け止めたのはシュンプーのただ一本の腕。ぴくりとも動かない様は静寂を思わせるが、張り詰めた筋肉の下に浮き上がるのは熱い血の流れ。
続いて繰り出された別の男の拳も、もう一本の腕が受け止めた。大の男の手であるが包み込むシュンプーの手に比べれば子供のように感じられる。
「あンだ~!?」
背後から、シュンプーの両手が塞がった隙を狙ったように更なる男が張り手を飛ばそうとする。それをシュンプーは脚を離し、同じ手の平を反対側より飛ばすことで迎えた。俗に言うハイタッチである。
「な、に……!?」
初めて男達から確かな知能を感じる言葉が飛び出した。
「テメェェエエ!!」
ついに最後の男がシュンプーにシンプルに殴り掛かる。それを受けたのは、シュンプーの鍛え抜かれた、そうまるでちぎりパンが如く、それは見事なシックスパックであった。
そこからはもうシュンプーの独断場だった。
「分からない子にはお説教の時間です! 愛で満ちた私の筋肉、とくと堪能なさい!!」
一応残っていた下半身の修道着がバツン! と弾け散る。モリカ達の前に、惜しげもなくその全貌を晒された極限まで磨かれし肉体美。――否、筋肉に終わりなし! 彼ならば、更なる高みを目指し今も磨き続けていることだろうとモリカは考えた。
春風ピンクの褌を風に靡かせ、彼は走る。その愛の器で迷える者達を、目一杯抱き締める為に。
「鍛錬とは! 己との対話! 筋肉とは! 飽くなき問いへのこたえ!!」
迷える子羊のような顔になったモリカは誰かに行間を読んで欲しかった。
「嗚呼……鍛錬とはただひたすらに己と向き合い続けること。それは孤独との戦い。そこに意味はあるのか。何故こうも己は頑張るのか。しかし、幾多の自問自答を乗り越えた者だけに筋肉はこたえてくれる。筋肉は他者を制圧する為のものに非ず。筋肉とは! 全てを守る為のもの!」
いつの間にか隣に来ていた創世教の信徒が熱い解説を述べてくれた。
「ふぅンぬ!!」
「ひぎぃ……ッ」
弾丸かと思う勢いで走ってきたシュンプーの両脇に抱き締められた男達が、潰れた蛙のようなという表現通りの声を出す。声だけ聞くと紛らわしいが、別に締められている様子はない。あくまで愛によって抱き締められているだけである。
「テメェエエエエ!!」
「筋肉とは! 全てを包み込む為のもの!」
懲りずに再び殴り掛かってきた男がはち切れそうな太ももに抱き締められた。
「ン舐めてンじゃ――!!」
最後の一人がその拳に闘志を込めて殴り掛かる。シュンプー達に譲れないものがあるように、彼等にもきっとあるのだ。貫きたい、想いが。
シュンプーはそれを打ち払うのでも、まして薙ぎ倒すのでもない。けれど受けとめるには手も足も塞がった。ならば――胸がある。
「筋肉とはすなわち! 愛のゆりかご!!」
全ての生命を内包する惑星が如く、その胸が広く大きく見えた。己と他者と、あらゆる万物と向き合い続けた者だけが辿り着く境地。シュンプーの揺籠が拳ごと男を――否、この場に存在する全てごと、否! 宇宙全土、宇宙の果ての虚無さえひっくるめて、全てを、全てを抱き締めた。
「ばぶぅ……」
偉大。あまりに偉大な愛に抱かれた者から、一体どんな言葉が生み出せるというのか。この愛の前では如何なる存在も等しく矮小。春雨より柔らかに、惜しみなく降り注ぐ慈愛を享受した先――回帰。
「嗚呼、良い子。良い子ですね……」
雄大な大胸筋に抱かれて男は産まれたての赤子のように泣きじゃくっていた。聴衆も泣いていた。モリカも泣いていた。
かくして、裏表通りの諍いは穏便な解決へと至り、モリカも無事に教団体験を終えたのである。
涙と嗚咽をこぼし続けていたモリカは知らない。この出来事が本人も意識せぬまま深く深く脳裏に刻まれたことで、街の至るところでマッチョが大量生産されていたなど。知る由もない。
白々しく遅れてきた謎マスコットへの怒りは、もはや今のモリカには湧いてこなかった。愚かにもそれを気味悪がった謎マスコットへ彼女は夢見心地で呟いたのである。
筋肉とは愛のゆりかご……と。