夜中の廃村で出会った小さな女の子
谷を吹き下ろす風は山の上ではまだ冬であることを感じさせたが、あと数日で春分の日となる陽光はもう温かかった。
あとひと月もすれば、針葉樹の人工林を除けば枯れ木ばかりのこの谷川沿いも鮮やかな青葉が光っていることだろう。
そしてゴールデンウィークを過ぎる頃になれば、山は濃い緑に包まれ、鳥はさえずり、谷川にはカジカの鳴き声が聞かれるはずだ。
しかし今は、冬の名残で静かな谷だった。
そんな谷底の舗装されていない林道を歩く人影が、ひとつ。
30リットルサイズのザックを背負った彼の名は、茂という。
遠く離れた都会・・・と言ってもいち県庁所在都市ではあるが、そこの大学の大学院1年生の彼は、この1年ほど林道歩きにハマっていた。
研究室の煩雑な人間関係・・・無茶振りする教授、後輩への指導そっちのけで自分の研究に没頭する先輩院生、目先の就活や恋活やゲームにばかり目が向いてろくに研究に取り組まない学部生・・・それらの狭間で右往左往するのに嫌気が差して、彼は休みの度に林道を目指した。
林道歩きに必要な装備や心構えなどは、体育会ワンゲル部出身の後輩から伝授してもらった。
ザックも彼が使い古していたものを、たった1回の飲み代と引き換えに譲ってもらったものだった。
ザックの中には1.5人用テント一式とシュラフがメインとサブのふたつ、その他には食料や着替えなどこまごまとした装備が詰め込まれていた。
しかし火器の類はない・・・本当はコンロで湯を沸かして調理をしたりコーヒーを淹れたりもしてみたかったのだが、資金面の困難と歩荷ゆえの軽量化のためにまだ購入していなかった。
それにしても早春の林道は静かだ。
谷底の岩を噛みながら流れ下る水の音以外は、まだ小鳥の声さえ耳に入ってこない。
冬の間は休止していた林道歩きの再開にあたり、彼は数ある林道の中から今回のルートを選んだ。
そのルートは、いちばん人里から離れて山の懐深く分け入って行けるような感覚が得られ、彼の一番のお気に入りだった。
時折オフロードバイクが後方から、あるいは前方から現れる。
自然の中では明らかに異質なエンジン音だが、孤独な茂にとっては住み慣れた街の文明とはまだ切り離されていない証のような気がして少しホッとする。
今は人影もほとんどないが彼が歩くその谷はかつて、林業で栄えていた。
もっと谷を遡っていった先には営林署の出張所が置かれ、最盛期には数百人の人口があったという。
しかし森林資源の枯渇に加え林道の整備によりそこに人を住まわせる意味が失われ、出張所が麓の事務所に統合されるに伴い放棄されたのが1980年ころ。
それから40年近くが経過し、森林作業員はみんな麓からトラックやバンで通ってくる。
この地に伝わる平家の落人伝説が示すように、明治以前にもそれなりに山に生きる人々がいたようだ。
しかし1900年前後に国策により営林署の手が入り、ジェノサイドのように木を伐り尽くしてその後には杉の人工林が残され、そして誰もいなくなってしまった谷。
営林署の最盛期には谷のどん詰まりまでトロッコの軌道が敷かれ、木材を積んだトロッコが谷を連なって下っていったという。
茂が歩く林道も、元はトロッコの軌道敷だったのを拡幅したものらしい。
歩く途中で、化学メーカー専用の水路式水力発電所が現れた。
1960年代に建設された、鉄筋コンクリート造りの無機質な建築物。
同じ会社の水力発電所でも、もっと麓の山里にあるのはいかにも戦前の造りらしいレンガ壁と瓦屋根で洋館のように瀟洒かつ優美な建築なのに。
しかし愚痴を言いたくてもひとり・・・ちょうどそこで午になり、昼食を取ることにした。
昼食と言っても、カンパンにチーズ、極太魚肉ソーセージだけの、災害時の非常食のようなメニュー。
火器が無いし重量や保存性の面から、これは仕方がない・・・いやむしろそれを楽しめなければ、泊りがけの林道歩きなんてとうに投げ出していた。
もそもそと乾いた口の中に、粉末を溶かしたスポーツドリンクを流し込む。
椅子代わりの岩に腰掛ける茂の耳に四角い建屋の中の巨大な発電機の唸りしか聞こえない時間が続き、長居は無用とばかりに彼は再び上流に向けて歩みを進めた。
途中で小休止・中休止・大休止を挟みながら、夕方前には集落跡に着いた。
林道はさらに先へ続き、またこの辺りでひときわ高い山稜への登山口でもある広い河原。
見上げれば三方を阻む山の狭間の春の空は明るいが、その河原には早くも翳と冷たい空気が沈殿しつつあった。
それにしても、誰もいない。
大学の書庫にあった1980年より少し前の国土地理院地形図には、集落を示す黒くて四角い斑点が川沿いに連なり、その中に営林署・学校・郵便局・神社・墓地などの地図記号があった河原だ。
しかし放棄された現在の集落跡には建物の土台と小学校のプールしか残っておらず、ただ神社だけが赤い橋を渡った向こうに残されているだけ。
その神社の境内にはこんこんと湧く泉があり、その水がすこぶる美味い。
季節が早いためか、他にテントを張る登山者やライダーもおらず、遠慮なく一等地にテントを張った。
明るいうちに、辺りの小道を歩いて回る。
建物の土台はどれも同じような石積みかコンクリートで、どれが事務所でどれが社宅でどれが郵便局だったのか判然としないうえに草木に埋もれている。
小学校は集落が放棄されるほんの数年前の1975年頃に給食室も備えた鉄筋コンクリート造りのものに建て替えられたらしいのだが、それが営林署の撤退を決めた政治的な判断がいかに急なものだったかを物語っていた。
そして校舎も倉庫に転用されたが数年前に撤去されたそうで、今は資材置き場となっている校庭の隅の『閉校の碑』と二宮金次郎の像だけがぽつねんと佇むだけとなっている。
学校裏の急な小径を上ると、そこは墓地の跡だった。
住民のほとんどを占めた営林署職員とその家族たちはみんな麓にルーツを持っていただろうから、ここに墓を建てていたのは壇ノ浦から落ち延びてきた先祖を持つ元からの住人たちだろう。
しかしその人たちも、営林署が一時的にもたらした近代的な生活を日常的に営むにはそこはあまりに山奥すぎて不便で、営林署とともに山を下っていったのだろうか。
墓じまいはとうの昔に済んだのか、もう誰にも顧みられなくなった墓石の数々が風化し続けていた。
廃村を一周りしてテントに戻る頃にはだいぶ薄暗くなっていた。
100均で買った単3電池1本でLEDを光らせる豆ランタンをテントの天井にぶら下げ、夕食。
チキンラーメンをバリバリに砕いて水で戻したものを主食とし、魚肉ソーセージのおかず、そしてフルーツ缶のデザート。
そんな下界では食えたものではないメニューでも、一日歩き通した体には何より美味い。
食後は食器を水で濯ぎ、その水を飲み干してから、ペーパーで拭き取る。
・・・ワンゲル出身の後輩に教わった、自然に環境負荷を極力与えない食器洗いのワザ。
山の中でする大小便の方がよほど環境負荷が高いような気がして、その疑問を後輩にぶつけたことがある。
答えは、それは仕方がない、鹿や猪や狸だって山の中で便をするがラーメンの汁は流さない・・・という人を喰ったものだったが、まぁ自己満足かもしれないが教えを守る。
ドコモですら電波の届かない山奥だからスマホは役に立たず、電源は切ったまま。
だから防水のためにビニールで包んであった文庫本を開き、遠いせせらぎの音をBGMに読み進める。
天井の豆ランタンは100均のものにしては優秀で、文庫本を読むくらいはなんとかできる。
しかしミックスナッツをつまみに小瓶のブラックニッカを泉の水で割ったのをちびちびやりながら活字を追ううちに、昼間の疲れがどっと襲ってきたのでシュラフに入る。
先に用便しにテントの外に出た時にだいぶ外は冷え込んでいたから、シュラフは二重にした。
元からこんな時のためとは言え、予備を持ってきてよかったと思う。
月はないが星月夜、せせらぎの音に混じって星ぼしの音さえ聞こえてきそうな夜だった。
たちまち茂は深い眠りの底に沈んでいった・・・。
・・・何時頃だろう。
落ち葉を踏みしめながらテントの周りをうろうろ歩く足音を聞いた。
初めは誰か他に登山者かライダーが近くにテントを張ったのかと思ったが、それにしてはいつまでもテントの周りを歩き続けている。
ひょっとしたら強盗の類ではないかと悪い方へ考えてしまい、ゾッと冷や汗を感じた。
数分か、10分か、どれだけの時間が経過したのが分からなかったが、足音は時折止まりながらテントの外をぐるぐる回っていた。
茂は意を決してテントのファスナーを開けて、足音の方向にヘッドランプの光を向ける。
彼は声を出しそうなほどに驚いた。
6歳か7歳の女の子が、泣きべそをかきながら光源を見つめるように立ちすくんでいた。
「・・・君は?」
女の子の瞳からは滝のように涙が溢れ、零れて落ちた。
夜更けの山奥には似つかわしくない、藤色の細かい花模様のワンピース、足もとは赤いエナメルの靴、白いハイソックス。
「・・・お父さんとお母さんがお迎えに来るって言ったのに、まだ来ない」
そう言ったきり、両手を目に当てて嗚咽を漏らした。
迷子か? 茂は思ったが、ひょっとして遺棄かもしれないと想像し、背筋が凍る思いがした。
いずれにせよ、保護しなければならない。
一番いいのは麓の里かさもなくば電話の電波の届くところまで連れて行くことだが、夜中の谷川沿いの山道を何時間もかけて行くのはどう考えても危険を伴う。
夜が明けるまでテントで寝かせてから、行動することにした。
朝になればライダーのバイクと出会うだろうし、そうなれば申し訳ないが里まで走ってもらって警察に連絡するようお願いすることだってできる。
とにかく、しんしんと冷え込んでくる外で薄着でいる女の子をテントの中に入れて温かくしてやることにした。
彼が着ていたフリースを女の子に着せて、その上から極限まで圧縮したユニクロのダウンベストをリュックから取り出して着せて、使い捨てカイロを持たせてメインのシュラフの中に入れてやった。
女の子は、カイロを不思議そうに見ながら手の上で弄んだ。
(今どきの小さい子はカイロなんて知らないのかな・・・)茂はカイロを振ったり揉んだりして見せて、女の子に返した。
「・・・温かい」
ようやく涙が止まり、落ち着いたようで笑みさえこぼした。
親からはぐれて長いこと森の中にいて腹が減っているかもしれないと思い、非常食として持ってきたチョコレートを出して、赤い包装紙ごと女の子に渡した。
「わぁ、ガーナチョコレート・・・わたし、これ大好き。でもお友達のエリちゃんは明治のミルクチョコレートが好きなんだって。私、ミルクチョコレートも好きなんだけど、ほんとは」
その女の子の表情には、聡明さや利発さと言ったものが確かににじみ出ていた。
両の瞳も、なんの混じりけもなく澄んでいた。
本当はどうしてはぐれたのか聞きたかったが、チョコレートを美味しそうにかじる女の子を見ていると後ででもいいやと思い、聞かなかった。
女の子はさらにどうでもいい話を続けた。
「私のお母さんね、ドーナツをよく作ってくれるの。美味しいのよ。でも、大阪のおじさんの家の近くにね、アメリカのドーナツ屋さんができて、こないだみんなで遊びにいったときに食べたけど、それはもっと美味しいの。お母さんには内緒だけど・・・」
ミスドかクリスピーか知らないが、しかしそんな話をする女の子は少なくともこの世の人間らしいとわかり、茂は安心した。
ひょっとしたら幻か化け物の類ではないかという可能性も、どこかに捨てきれずにいたからだ。
そして、母親のドーナツや親戚の家に遊びに行った話を嬉しそうにする女の子は、決して遺棄されたのではなさそうだ、とも。
・・・とすると、両親は今ごろ必死になって女の子を探しているのではないか。
危険な夜中の林道を、車を走らせているのかもしれない。
警察や消防が捜索隊を出している可能性だってある。
茂はザックから反射タスキと油性マジックを取り出し、タスキに『女の子を保護しています 神社そばのテントの中です』と太々と書いた。
そして女の子に「すぐ戻るから」と安心させるように告げて、外に出た。
赤い橋を渡って林道に出て、そこに立っている杭にタスキを引っ掛けた。
両親か、捜索隊がもし通ったら、気付いてくれますようにと祈りながら。
テントに戻ると、女の子はシュラフごと丸まって寝ていた。
思わずそっとその髪を撫で、小さい児特有の匂いが満ちたテントの中で薄いサブのシュラフに潜り込み、女の子に寄り添うように寝た・・・。
・・・またどれくらい時間が経過しただろう。
遠くから、ピョーッと長い汽笛が聞こえたような気がして、茂は目を覚ました、
女の子も目を覚ましたようで、モゾモゾと起き上がる気配がした。
また汽笛のような音が、今度はより近く聞こえた。
それまでこの山奥では聞いたことのない音だった。
こんな山奥で、何の音だろう・・・? もしかしたら捜索隊が笛で呼んでいる・・・?
「お父さんとお母さんがお迎えに来た!」
女の子は叫んだ。
茂は慌てて豆ランタンを点ける。
真っ暗な外に飛び出そうとする女の子を制し、まずは彼がヘッドランプを点けて先に出た。
木立の向こうの対岸に、明るい光が見えた。
(やっぱり捜索隊だ!)
ふたりは用心しながら石段を下り、細い道を抜けた。
その間にも笛の音とともに光は近づき、橋のところで停まったらしい。
しかし・・・捜索隊にしては、異様な気がした。
その光はLEDの無機質な白色でもなく、ハロゲン球の黄色みを帯びた色でもなかった。
五色の光がオーロラのように輝き、周囲の山を照らし、川面を無数の光の粒子で輝かせていた。
橋の袂で、茂は足を止めた・・・足が言うことを聞かずに動かなくなったのだ。
そしてはっと息を呑んだ。
小さな蒸気機関車に牽かれたちっぽけな数両の客車からなる列車が、五色の光をまとって橋の向こうの林道に停まっていたのだ。
(なんだこれは・・・なんだこれは・・・なんだこれは・・・)
あまりのことに、叫びだしそうになるが声にならない。
女の子は列車のそばまで走ってから振り返り、何事か叫んだ・・・おそらくは「ありがとう」と言ったのだろうが、ちょうど機関車が金色の蒸気をシューッと動輪の辺りから吐き出したので、その音で聞き取れなかった。
客車からは両親らしい男女が下りてきて、女の子と抱き合い、そして客車のステップを上って戻っていった。
入れ替わりのように列車の方からダブルの制服に制帽の車掌らしい男性が下りてきて、茂が杭に引っ掛けておいた反射タスキを外して手に取ると、橋を渡ってきた。
「目印をしてくれて、ありがとう。これがなければ、おそらく通り過ぎていたでしょう」
そう言ってタスキを茂に手渡すと、制帽を取って頭を下げてまた列車の方へ戻っていった。
そして車掌が客車のステップを上り手笛を吹いて手動のドアをバタンと閉めると、機関車は金色の蒸気を天に向けて吹き上げながら長い汽笛を鳴らし、動き出した。
(あ・・・あ・・・あ・・・待ってくれ!)
しかしそれでも足は動かず、客車の窓の向こうの乗客の中に女の子と両親が談笑するのを見つけ、それを見送るしかできなかった。
五色の光の粒を銀河のように後ろに散らしながら、列車は速度を上げて空高く駆け登っていった・・・。
・・・気がつくと、茂はテントの中で二重にしたシュラフにくるまっていた。
フリースの上にダウンジャケットも着てさらにカイロまで抱いていたからか、寝汗をかきながらの目覚めだった。
(昨夜のことは夢だったのだろうか・・・?)
手には反射タスキを握りしめていたが、書いてあったはずの文字がない。
枕元にはガーナチョコレートの包装紙だけが落ちていたが、寝ぼけて自分が食べたものかも分からない。
リッツクラッカーとチーズの朝食を取ってからテントを畳み、ザックをパッキングしてから廃村を発つことにした。
しかしその前に・・・気になったので小学校跡裏の墓地へ、もう一度足を運んだ。
朝もやの中の小径を上り、墓地に着いた。
風化し、あるいは苔むした墓石が並んでいる。
ひとつひとつ、ゆっくりと見て回る。
そしてようやく墓地の奥で、小さな墓石を見つけた。
やはり風化しよく読めないが、正面に女児らしい名前、そして側面に『昭和四十七年三月十七日歿 七才』とあった。
一瞬、背筋を電気が通るような心地。
ひょっとしたら・・・いやひょっとしなくても、あの女の子の墓なのかもしれない。
どのような経緯によるものかは分からないが、あの子はこの地で短い生涯を終え、そのたましいは生まれ育ったこの地が廃村となった後も留まり続けていたとも考えられる。
昨夜のことが幻でなく本当のことであれば、茂はあの女の子のたましいを両親のたましいの元へ送り届ける手助けをできたことになるのだろうか。
・・・彼はただ、小さな女の子のたましいに向かって、手を合わせた。
朝日が、目の前にそびえる山の頂に映え始めた。
茂はザックを背負い、薄暗い谷底を歩きだした。
(了)
作中に出てきた「大阪のおじさんの家の近くにできたアメリカのドーナツ屋さん」・・・ミスタードーナツ一号店の箕面ショップ(1971年4月オープン)という設定。