3rd
「なるほど、事故死ですか」
事故死に限ったことではないが、回避できない死というものは必ずしも存在する。心臓や呼吸器などの疾患、手術中の医療ミスや殺人といった人為的なもの。それら藤吉さんの頭から珍しくも抜け落ちていたらしい。そういえばあの関という男も刃物がなんとか、と言っていたような気がする。
もしかすると俺は少々藤吉さんを過大評価しているのかもしれない。
「そういうこった。ああ、ちなみにこのちっこい姉ちゃんも、チャリで家に帰る途中に信号無視のワゴン車が突っ込んできたらしいぜ」
男の紫のスーツの陰に隠れていた小柄な女性が会釈をする。硬い笑み。人見知りだろうか。
ルール説明の時、手を挙げて「参加しなくていいのか」とパンドラに聞いていた女性がこの人である。その返答を聞いて、ネガティブな感情を堪え切れずにいた姿が印象的だが……。名前は確か、工藤さんだったか。
身長は百五十センチくらいでかなりやせ型。失礼だとは思うが、客観的に見て、女性らしい胸の膨らみはほとんどない。見た目には俺と同じ高校生といってもおかしくはないだろう。
俺個人としては純粋に可愛らしい人だとは思うが、肩よりも長く伸びた黒髪は毛先がパサついており、肌も雀斑が目立っている。服装も全体的には黒っぽいものが多く、万人が先行して抱く印象は、地味で統一されそうだ。総括すると、見た目にも内面にもこのゲームに向いていない人種の一つだろう。
「つまり僕の推理は不完全だと」
本人は澄ました顔で言っているつもりだっただろうが、眉間に寄る皺は見逃すはずもないほどハッキリとしていた。
性悪な優越感に浸りながら、極道風の男は俺の隣に座ろうとテーブルとソファーの間に踏み込んだ。
「まあ、そういうこった。それから別に強制しないが、あんまりそんなところまで深入りしない方がよさそうだぜ。こんなデカイことを起こすような連中が、隠しカメラを用意してねえわけがないしな」
俺が中央に座っていた体を奥へと一つずらすと、男は「おう、ありがとな」と小さく礼を言いながら、軽く右手を挙げた。
「…………」
完全なる論理の破綻。頭を垂れて、目を瞑る藤吉さんは少し不憫だが、どのみち俺が指摘していても同じことになっていたかもしれない。とりあえず俺に変わって悪者となってくれたこのオッサンに一応の感謝を心の中でした。
しかしあれだけ自信満々だった彼の体が小さく見えるのは、少し心が痛む。とりあえずさっきの話は、白紙ということでいいのだろうか?
黙り込んだまま、構想を巡らせているであろう藤吉さんは、席を全く動こうとはしない。
紫のスーツの隣に座るか、殺気を立てながら物思いにふける青年の隣に座るか、工藤さんは選択に迷い視線を右往左往させる。運悪く、紫のオッサンはそれに気づき、またしても右手を挙げた。
「姉ちゃん、こっちへ来な」
にやりと笑う強面の男に手招きされ、気の強くない彼女が断れるはずもない。
「は、はい……」
戸惑いながら男の隣に座る彼女は、すっと俯く。俺が彼女と同じ立場なら、先輩から逃げる要領で何かしらの口実をつけて、他の誰かがこのオッサンの隣に座るまで、席を外しているだろうが、素直な彼女はそこまで頭が回らないようだ。小さな体をいっそう小さくして、大人しく佇んでいた。
「なあ、兄ちゃん、なんか飲みたくねえか?」
この部屋には四人しかいない。発言主と「兄ちゃん」という日本語独特の三人称表現に当てはまらない女性を除外すると、俺か藤吉さんの二人しかいない。だが殺気を立てる青年に容易に話しかける真似は、いくら極道風の男であろうとできないであろう。確実に俺を指し示すものだ。そして飲みたいと言おうが言うまいが結果として、パシリとして扱われるのは、経験上、目に見えている。
オッサンは部屋にあったのと同じ古い型の電話を指差した。もう断れる雰囲気ではないようだ。
「おっちゃんは何が飲みたいのさ?」
ネガティブな気持ちを隠しながら、俺は立ち上がった。話の流れではあるものの、人並みに親切にしておけば、今後の進展を円滑にするかもしれないという打算も含まれている。
黒い家具で揃えられた部屋で紫のスーツのオッサンと並んで座るなんて任侠映画の事務所のセットなのかと錯覚を起こしそうなシュチエーションだ。尤も本当に殺し合いをする時点で、本物のヤクザの事務所よりも危険極まりないことは確か。
だが殺し合いになるのだろうか? それは好意など微塵も持っていない隣のオッサンにさえ、銃口を向けて引き金を引く自信すらないような俺に人を殺せるだろうかという疑問でもあり、このゲームが何かのお遊びで破綻してほしいとの願いでもある。
今、俺がこうやって見ず知らずのオッサンのために動いているその原動力は、親切で覆い隠した下心なのか、それとも実際に起こるかどうかもわからない抹消を見越しての罪滅ぼしのつもりなのかも定かではない。だが一つ言えることは、俺はどこまでも不順で、つくづく自分の気の小さい人間だと言うことだ。
「おおう、気が利くねえ。ウイスキーを頼む。それから俺の名前は木田だ、木田雄大。なんとでも呼んでくれ」
面倒くさく、フレンドリーなオッサンだ。これほど馴れ馴れしいと本当に引き金を引く時に躊躇しそうで怖い。
しかし見てくれや言動はともかく、木田雄大というオッサンは藤吉さんを言い負かすほどに頭が回る人間だ。ルール説明の時の余裕といい、マークしておいて損はないだろう。かといって親交を深めようなんて気は、これっぽちもない。
利用できるなら利用する。これがどす黒い自分への開き直りだった。
「はいはい。それで奥のお姉さんは?」
心地の悪さから、木田の言葉を適当に流して、会話の矛先を奥の工藤さんへと変えた。
彼女は自分が当てられることなんて、まったく想像していなかったらしく、また困ったように視線を右往左往させていた。
「えっと、私ですか? 私はそうですねぇ……なにかジュースでもお願いします」
年下であろう俺相手に、ぺこりと頭を下げた彼女には好感が持てる。だが気の弱さを前面に押し出した口調や振る舞いは、彼女の弱さを露呈しているような気がした。もちろん推察でしかないが、彼女は脱落する、そう断言できるような気がした。ただし『俺の目に映る彼女が全て演技ではなかった場合』と付け加えておく。
*
やがてパンドラのアシスタントらしきメイド服の女性が、カートに乗せた飲み物を運んで来た時には、関を除いた九人全員が談話室へと集まってきていた。
木田のオッサンに隣の座席を追い出された俺は、隣の二人掛けのソファーで同い年くらいの女の子と肩を並べて座って。舞さんや工藤さんを始めとした参加メンバー中の女性陣は皆、容姿端麗だ。よくもまあここまで集めたものだと逆に感心した。
一方の木田のオッサンはというと、俺の座っていた場所に舞さんを座らせて、両手に花状態で一人でやたらと盛り上がっている。ここでアルコールなど与えようものなら、木田のオッサンを挟む工藤さんと舞さんの二人が被るであろう被害が相当なものであると予測された。
「飲み方はどうなさいます?」
「ああ、ロックで頼む」
木田の注文通り、慣れた手付きでメイドさんはバカラのロックグラスに、アイスボールとウイスキーを注ぐ。黄金色の液体で満ちたグラスが目の前に置かれると、メイドさんに一瞥したオッサンは大きな一口を流し込んだ。
プハーと気持ちのいいくらいの大きな息を吐き出したところで、ボトルを木田の前へ置いたメイドさんは、その隣に瓶のコーラと小さなグラスを並べる。
仕事を終えたメイドさんが談話室を退場するのと同時に、俺と木田の間に座る舞さんはぐるりと見回す。
全員が思い思いの感情を持っているこの空間は、談話室という名前からは程遠いピリピリとした空気が漂っている。誰もテーブルに設置されたトランプやチェスに触れようとすらしない。小さく自らに頷いた舞さんは、口を開けて息を吸い込む。
「それじゃあそろそろ始めましょうか」
電話で連絡を回していた舞さんがそう言ったのだ。この様子だと、たぶん関は来ないんだろう。
彼女の掛け声と共に、このゲームの大きな意味を持つ自己紹介が始まった。