2nd
あのマニュアルファイルを参照とすると、建物内の廊下はアルファベットのTを二つ横につなげた構造になっている。ローマ数字の二の底辺を取り除いたと言い換えてもいいだろう。縦棒に当たる部分に参加者の部屋があり、上辺を左に行けば天獄の間、右に行けば名もない談話室という造りだ。それ以外にはトイレこそあるが部屋らしい部屋はない。
一足早めに到着した談話室には、まだ藤吉さんしかいない。彼は三人掛けの黒いソファーにどっかりと座り込み、腕を組んで、目を瞑って物思いにふけっている様子だった。落ち着いたグレーの絨毯に、黒で統一された本棚やソファーなどの調度品が上品な印象を俺に植え付ける。向かい合った三人掛けのソファーの間には、ガラステーブルがあり、その隣には二人掛け用の黒のソファーとガラステーブルが同様に配置されている。大きい方のテーブルにだけ、チェス盤とトランプが置かれており、洒落っ気の利いた雰囲気が逆に俺の中に訳のわからないむず痒さを生む。
たぶんその原因はおそらく、これから殺し合いをする相手と馴れ合いをさせようとする矛盾そのものだろう。
立ち尽くす俺にようやく気づいた藤吉さんは、組んでいた腕を解き、笑みを作った。
「やあ、君が大槻君だっけか?」
おそらくマニュアルファイルの最後のプロフィールを見たんだろう。あのファイルにはなんでも書いてあるから、このゲームには欠かせないツールの一つに成りえる。写真なんて載っていなかったが、掲載されていた年齢を見てそう判断したんだろう。十代の男性は俺一人だけだったし、学ランまで着ているんだから学生かどうか間違えようがない。
「はい。藤吉さんでしたよね?」
「まあ、自己紹介は全員が揃ってから始めようか。とりあえず座って待ってなよ」
小さく頷き、促されるがまま藤吉さんのテーブルの向かいに腰かけた。
横目で入口を見た限りは、まだ誰も来そうな気配はない。安全なのはわかっているが、しばらくはこの人と二人きりかと若干の不安を感じた。
「まだ誰も来そうにないね」
「はぁ……そうですね」
素っ気ない俺の返事に気を利かせてか、藤吉さんは切り口を変えた。
「それじゃあ一つ、クイズを出そうか」
「クイズですか?」
「クイズだ」
なにか自分で言った言葉が壺に入ったのか、藤吉さんは笑い始めた。これから殺し合いするような殺伐とした雰囲気は一切なく、ただ弟と会話を楽しむような、楽しそうな笑み――
「先ず聞くが、君はこの建物内の構造を把握しているかい?」
「ええ、一応はファイルで確認はしましたけど……」
「それならなら、十分だよ。では問題だ。これから僕たちはこの館で三日間を共にし、生死を争う。それなのに食事を用意する調理場は愚か、三日分の食品を保存する倉庫がなど一切存在しない。さて、これは何故でしょう?」
言われてみると、確かに妙な話だ。食事をする時間は設定されているのに、用意する場所も保存する場所もこの建物内に存在しない。
「はっきりとはわかりませんけど、仮説は立てられますよね」
俺の言葉に藤吉さんは前のめりになった。
「まず一つ目の仮説ですが、死ぬはずだった俺たちをここへ呼び寄せたっていうパンドラの発言が真実だとすれば、彼女は超能力や魔法みたいな力があるってことになりますよね。その力を利用すれば、調理場や食材がなくても用意はできるということになるんじゃないでしょうか」
感心したように「ほう」と息を吐いた藤吉さんは、軽く鼻を鳴らした。
「面白い仮説だね。でもあくまでも仮説どまりかな」
「不思議な力を証明すれば、現実味を帯びるわけですけど、それは大変ですからね。だから二つ目の仮説の方が、俺は現実味があると思ってるんですよ」
「ああ、多分僕がクイズの答えとして求めていたのは、そっちだろうね」
「聞かせてもらおうか」といわんばかりに藤吉さんは膝の上に肘をつき、手を組み交わした。眼鏡で緩和されていた眼光が、一瞬にして鋭さを増す。
言い知れぬプレッシャーの中で、俺は二つ目の仮説を披露する。
「二つ目の仮説は、参加者の誰にも見えない場所に外部と通じる通路が存在するのではないか、というものです。それならば倉庫も調理場も必要ありませんからね。ただ冷静に考えて、ここまで手の込んだ準備をするパンドラやその仲間が、簡単に見つかる範囲にそんなものを置いているはずはないんでしょうけど――――」
「参加者の中に主催者陣営が紛れ込んでいるなら……。だろ?」
そのとおりだ。まだ探してはいないが、おそらくは全員が自由に行き来できる範囲にそんな通路が存在する可能性なんてないに等しい。つまり出入りを制限された場所にある可能背が極めて高い。そして構造上、この館内にある出入りを制限できる場所とは、プレイヤー全員に与えられた個室だ。参加者の中に主催者陣営が紛れ込んでいるならば隠蔽も容易。パーソナルエリアだけに他者の介入が入りづらいし、正に最高の隠し場所というわけだ。
「はい、そうです」
「ふう」
藤吉さんは力を抜いて、ソファーの背もたれに体重を預けた。そして愉悦を盛大に含んだ微笑ののちに、また口を開いた。
「どうやら君は僕と同じ推理をしているようだね。それなら話が早い、二人でその出口というやつを見つけてみないか?」
「『二人で』ですか?」
「ああ、誰が主催者陣営かがわからない現状で大勢を誘うのは危険だ。もしもこんな目論見を知ったとすれば、主催者側は僕らをただじゃおかないだろうからね」
「だけど、第一の仮説の元になったような不可解な点はどうなるんですか?」
「そんなもの、初歩的なトリックさ。まず最初にこの場所へ連れてこられたのも催眠スプレーでも吹きかけて意識がなくなったところを、拉致すれば簡単なことさ。あの関って男のグラスを割ったのも、関が主催者側とグルだったとすれば辻褄は合う。正直僕の推理では主催者とのパイプを持っている人物は関だと思っている。あれだけ常識に欠けた行動を起こすのも、着眼点を非常識だというスポットへと逸らすための演出だと思えばなんらおかしくはないだろ?」
トリック? 確かに普通に連れてこられただけなら、藤吉さんの推理に矛盾なんてこれっぽっちも存在しないだろう。だけども俺は電車に轢かれる直前に、この世界へ連れてこられた。藤吉さんの推理なら俺が誰かに助けられたということになり、尚且つ俺がそれを覚えていないということを踏まえると、俺にスプレーを吹きかけ、意識を失うまでの僅かな時間を待ったうえで助けたということになる。俺の記憶ではもうほんの数秒で轢かれるところにまで電車は迫ってきていたし、快速電車の制動距離を常識的に考えても不可能に等しい。
皮肉にも俺自身の経験が、藤吉さんの推理が間違っていることの証明だった。だが今、それを伝えたところで、俺が主催者陣営の回し者だと疑われたりはしないだろうか?
一理の不安。数秒考えてから、やはり伝えるべきだと結論付けた。
「お言葉を返すようですが――――」
「兄ちゃんら、一つ言わせてもらうが俺らは死ぬ直前に連れてこられたんだぜ。あの銀髪の穣ちゃんが言ってたのが、マジなら兄ちゃんらも死に際にこっちへ来たんだろ?」
割り込んできたのは、あの極道風の男だった。少し天頂部が薄くなっている白髪交じりの角刈り。ぱさついた唇と鼻の横のイボのような大きな黒子が威圧感を生みだし、栄養ドリンクの瓶のように茶色いサングラスが厳つさを、さらに際立たせる。
しかしこの会話に割り込んでこれるというのは、それなりに前半から聞き耳をそばだてていたということになる。これでは藤吉さんの計画は、半分以上破綻へ傾いたと言えよう。
だが当の藤吉さんは、聞かれてはいけない会話を聞かれたはずなのに、寸分も焦りを見せない。それどころか言葉の意図を当て考え込んだかと思えば、刹那の判断で言葉を返した。