《2.敗北者オーディション》 1st
学ランのポケットに入れていた携帯電話は午後六時ちょうどでピタリと止まったまま。元々時計が備え付けられていないこの部屋では、無機質な携帯電話のデジタル文字以外には時間を示すものなどはない。俺は永遠と続きそうな午後六時ちょうどの中でずっと停滞していた。
しかしルール説明後に宣言したしたとおり、役割を与えるため、パンドラがこの部屋にやって来てからは、それなりに時間が経ったと思う。感覚でしかないが、二十分くらい経ったように感じる。
結局俺に与えられた役割はダミーやワーウルフでなくノーマルだった。落胆や歓喜なんて感情が抱く暇があるわけもなく、拳銃や銃弾など次々と物騒なものを与えられ、無愛想な会釈を残してパンドラとアシスタントらしきメイド服を着た女性は去っていった。
そして今は唯一のマニュアルである簡易ファイルを見ながら、こうしてベッドの上で胡坐をかいて配られた拳銃を試しているわけだ。
弾の込め方やら照準の定め方を確認するだけでも、少しは気持ちが楽になる。まだ人を殺すというビジョンがぼんやりとしか見えていないし、その状況に俺自身が馴染みきれていないのは確かだ。でもなにも準備をしていないと落ち着かないというのは、自分が積極的に生還を目指していると実感できて嬉しい。何もできないまま死んで行くのだけは、なにがなんでも絶対に避けたい。
そんな一人決意表明をしている時だった。再びあのアナウンス音が鳴った。
「プレイヤーの皆様へご連絡いたします。これより『パンドラの箱』を開始させていただきます。つきましては午後六時丁度で停止させていました館内の全ての時計を全て起動させていただきます。お手元に時計をお持ちの方はプレイングの目安としてご利用ください。また初日である本日の夕食の時刻は、明日以降よりも一時間遅らせ、午後八時となっておりますので予めご了承ください」
パンドラの声はそこで途切れた。終わりの四音はない。
だが放送に触発されて、俺の中に込み上げるものがある。それは当初に感じていた非情になれるかという迷いとは正反対で、すぐに殺されないだろうかという不安や焦燥感だ。それと同時に自分の手の中にある凶器が、他人の手の中にもあるという実感が、早い展開についていけずに湧き上がった不安に隠れて、思考からすっぽりと抜け落ちていた恐怖を思い出させる。
沈黙の室内で、戦う前から抜け殻のように佇む俺。香奈との約束が、辛うじて燻っていた生還への意欲を弱い炎に戻してくれるのだが、それも本調子には遠く及ばずに、現実逃避せずにいられるぎりぎりのラインに立たせてくれる程度だった。
ギュッと銃身を握りしめたのとどっちが早かったのだろうか。古い型の電話がけたたましく鳴り響き、さっさと出ろと催促してくる。握りしめた銃を受話器に持ち替えると、聞こえてきたのは、気の抜けた口調の舞さんの声だった。
「あ~、真人君? あたしだけど」
彼女の声を聞いているとあの焦りが馬鹿馬鹿しく感じる。受話器から離して溜息をついたのだが、どうやら聞こえてしまったらしく、舞さんは冗談っぽく怒った。
「あたしからの電話だから不満だったの?」
「いえ、そんなことはないですよ。ただゲームが始まってやっぱり怖いなぁと思ってたところに電話が掛かってきて安心したんですよ」
とっさの言い訳だったが、咎められるようなことはなかった。誤魔化せたというよりさほどその話題に興味がなかったように話題はすんなりとすり替わる。
「うーん、それならいいけど。でね、本題だけど今から談話室に来ない?」
「談話室ですか?」
二人で話すだけならリスクの少ない電話でいいはずだ。なんでわざわざ他人に聞かれる可能性もあり、さらに狙われる可能性さえもある談話室なんだろうか。
「ええ、勝負に勝つには敵を知れってね。藤吉君から誘われたんだけど、どう? 多分、皆参加すると思うよ」
藤吉さんといえば、あの頭のよさそうな眼鏡の人だよなと記憶を辿ってみる。
そんな人の提案ってなにか策でもあるのだろうか。だが俺にはただ危険な場所に出ていくだけでなく、それを敵に伝える行為にすら思えてくる。草食動物が肉食動物に居場所を伝えるなんて、あり得ないだろう。
「皆って……。それ、危なくないですか?」
「ふふふっ、真人君気付いてないの?」
含みを幾重にも重ねた艶やかな含み笑い。本心ではカチンときたが、生還するためならば恥を忍んでなどいられない。他人の知識を吸い取っていかないと勝ち上がれないだろう。
「どういうことですか?」
「つまり大勢の居る前で発砲するのは、デメリットの方が大きすぎるのよ」
誰がノーマルで、誰が狼かを推理する要素すら出揃っていないこのタイミングで、普通の銃弾で抹消を行ってもそれはギャンブルでしかない。加えて大勢の前で発砲とは、他人に自分は制限なく発砲できると知らしめるのと同じ意味だ。と、そこまで考えて、ようやく舞さんの理解に追いついた。
ああ、そうか。このギャンブルを百パーセント成功させるためには、銀の銃弾を使用する必要がある。だが誰がワーウルフかもわからない現状で、銀の銃弾を使用したところで、万が一、後半にワーウルフの正体が分かった時にはもう抹消することができない。言うならば無駄撃ちである。
さらに今すぐに抹消を実行できる立場となると、ルールで制約されているワーウルフを除外した九つの椅子のどれかに当てはまってしまう。その九分の七がノーマルで、残りの二枠がダミーウルフ。リスクを背負ってまでこのタイミングにダミーウルフが抹消行為に奔るはずもなく、そのプレイヤー百パーセントに近い確率でノーマルだと結論付けられる。よって割と早い段階から、全プレイヤーに自分の正体を明かしてしまうこととなる。
加えて捕捉するならば、普通の銃弾で抹消しようとしたところで、そのプレイヤーを除いた九人の内に狼は三人。三分の一で無条件のゲームオーバーになるリスクが伴ってしまう。
「なるほど、そういうことですか」
俺の成長を喜んでなのか、受話器越しに舞さんのせせら笑いが聞こえてくる。
「それでどうするの?」
「そういうことならもちろん参加します。メリットの方が大きいのに参加しないのは勿体ないですからね」
俺の返事を聞いた向こう側の受話器に吐息が当たる音がした。容易に口元を緩める舞さんの顔が想像できる。
「それじゃ談話室で会いましょう。くれぐれも銃は忘れちゃダメよ」
彼女は一言お節介を残して、電話を切った。
舞さんの忠告に従い、拳銃を携帯電話を隠す要領で学ランの内ポケットにしまい、出会い頭を狙われないよう注意しながら、談話室へと向かった。