2nd
「しかし都城さんに関さんまで抹消されたか……」
神妙な面持ち……とはとても言えないほど爽やかな表情で、藤吉さんが呟いた。哀愁こそ漂うが、悲観している様子はない。逆に遠くを見つめるように感慨深げな表情をしたかと思うと、すぐに嘲笑するように鼻を鳴らすくらいだ。あまりの非情さに背筋がゾッとするほどだ。
しかし藤吉さんが音を以て感情を表現する度に、動作を起こすものがいる。
――――片岡鳴海。不可解なほど、彼女は落ち着きがなかった。
動きを止めたり、音源を注視したり。食事中からそわそわしていたが、ここまでモーションが大きいと目立つんじゃないだろうか。そんな風に俺が危惧したときだ。
ガッと椅子の脚が床に擦れる音。隣を見ると俯いた鳴海が立ちあがっているじゃないか。
これはいくらなんでも、目立つなんてもんじゃない。あからさますぎて、「ちゅうもーく!」と、自らアピールしているのではないか。自然と勘繰ってしまうほど、今の鳴海は違和感でしかない。これを無意識にやっているなら、これまでの鳴海への評価を大幅に下方修正せざるを得ない。あまりにも迂闊すぎる。
例えるなら、地雷原をスキップしているような迂闊さとでも言うのか……。
しかし今さら注目させる理由はないだろう。少なくとも俺の頭には、全く以て理解できない。
そして挙げ句には「戻ります」とだけ、暗いトーンで発し、そそくさと戻っていってしまった。
一瞬にして、部屋全体の空気が変わった。重々しく、とてもじゃないが気さくに話せるようなものではない。
室内は一層の沈黙に包まれる。だがそんなことはどうでもよかった。
今はそれよりも鳴海の行動全てが、信じられなかった。舞さんの推理では、木田のオッサンを抹消したは鳴海だったはず。だが今朝の食事の時は落ち着き払っていた鳴海も、今は明らかに様相が違う。都城さんの抹消を目の当たりにし、更にはその手で関を抹消した今さっきでは明らかに動揺していたとしか思えない行動の数々。
先ほどの抹消と昨晩の抹消に何らかの差が存在するのか?
そうでもなければ、この矛盾は説明しきれない。しかし考えがないわけではない。考えられる仮説が二つ。
一つは単純に、俺と舞さんの推理ミス。昨日の抹消に関わっていないなら、今の感情的な振る舞いも不思議ではない。木田のオッサンの抹消には関わっていなかったから、親身に感じることがなかった。関と都城さんは目前の出来事であり、関に限っては直接手を下した。それだけのことだ。
もう一つは今の仮説に見せかけたフェイク――つまりは演技だ。しかしこの推理には重大な欠陥が存在する。昨晩と先ほどの二回の抹消の犯人を鳴海だと推理した人間、要約すれば俺以外のプレイヤーには、意味をなさず、むしろ先ほどの抹消に関わっていたことを知られるリスクの方が大きい。
仮に別の理由でアピールしていたとしても、全員が集結しているこの場で、ここまで目立つ格好で行う必要があるのだろうか……。
なんだろう、この違和感は。俺の足りない頭じゃ捉え切れない“何か”があるはずなのに、わからないもどかしさ。自分への苛立ちが募る一方だった。
「まあまあ。気をとりなおしましょうよ」
冷静を通りすぎて冷酷にすら思えるのは、なにも藤吉さんだけではない。ルール説明会から目をつけていた、もう一人の要注意人物が、表立って動き始めた。
「せっかく平等に賭けるものがあるんですから、全員でゲームでもやりませんか?」
話を切り出したのは小宮山さんだった。やや前のめりになっているのは、話を思惑どおりに進めたいとの思いの表れか。
平等に賭けるものとは、たった今、全員に均等に二十枚ずつ配られたチップのことだろう。自分の生還に拘わりかねないというのに、ギャンブルに話を進めようとしている現状を鑑みると、十中八九イカサマが絡んでくるだろう。
だが、そんな大きく広げた大蛇の口に飛び込むような真似なんてするはずもない。
しかしそれで終わらせるのも惜しい話である。おそらくチップを配布してから入札するまでに時間があるのは、チップの移動を想定してのことだろう。
それならば勝てるゲーム、つまりイカサマの余地のないゲームを提案すればいい。そう思い、思考を始めた時だった。
「それじゃあポーカーなんて、どう?」
こともあろうに舞さんが真っ先に話に飛び付いたのだ。急の出来事に、理解が上手くできない。
だが小宮山さんにとって、この提案は有難いものだろうと言うのはわかる。
「いいっすね、ポーカー。皆でやりましょうよ!」
イカサマといえばポーカー。少なくとも俺には、そのイメージが確固としている。シャッフルするふりをして、持ち札を操作すれば勝つなんて雑作もない。
好転する現状に小宮山さんは声を弾ませた。
しかしこれには便乗した方がいいのか? 舞さんが賛同しているんだから、確実に勝算はあるはずだ。問題は同盟を結んだ俺にも勝算があるのかだけど……。
「薫ちゃんもやろうよ」
薫ちゃんとは、宇野薫のことだ。軽いトーンで舞さんが語りかける。
俺の目の前に現れたときもそうだったが、この声が妙に楽しげに聞こえてきてしまう。思えば、あれほど意識していたはずなのに、いつの間にか俺の警戒心も解かれていた。
及川舞、恐るべしとでも言うべきか。
「あたしはやめとくよぉ。さすがに命懸けでギャンブルできないもん」
まさしく正論だ。
それでも退いてしまう場面ではないのは、舞さんも理解している。もう八方美人を決め込む必要はない。これからは心情なんて、気にしないで相手を深淵へと突き落としてでも、生還を直視する時間だ。一歩も退く気はない。
「えー、薫ちゃん、感じ悪いよ!」
冷静沈着な彼女を知っている俺には、胡散臭さが一際に感じられる。それでも宇野さんは、徐々に引き込まれていく。
「皆で参加すれば大丈夫だって。ほら、皆もやるでしょ?」
憎めない雰囲気というのか、クラスに一人はいそうなキャラクター設定だ。
鳴海はいないが、この部屋には六人もいる。このキャラクターで警戒心を解き、さらに集団心理と確率論をちらつかせれば、宇野さんの懐疑心を抑え込めば、参加させられるかもしれない。もちろん全員が参加すると仮定した場合だが。
「そ、そりゃ、皆がっていうんなら、あたしも参加してもいいけどぉ」
ギラリと舞さんの目の色が変わる。上空から無防備な野うさぎを見つけた猛禽の如く。あとはどう降下して、どうアプローチするかだ。
こうなると舞さんのパートナーである俺にお呼びが掛かるのは必然である。
「ねえ、優里ちゃんはポーカーやるよね?」
全員となれば、まずは気の弱い人間から切り崩すのが鉄則だ。砦となる誰かがいることが、前提ならば参加すると言ってくれる可能性は極めて高いからだ。つまり先にその約束を取り付けてしまえば、残りの返答次第と言える。その残りも、舞さんとグルの俺と、察しのいい藤吉さんだから、すでに決定済みと言えるかもしれない。
無論、この顔触れを見たときに、最も気の弱い人間といえば、工藤優里が筆頭となる。
「えっ? えーと、わたしは……」
「皆でやれば大丈夫だって!」
勢いはまるでこっくりさんや肝試しだ。気の弱い人間はここで押し切るのがセオリー。周囲の雰囲気に敏感で、仲間外れを避けようと流されてしまうのは、共通事項である。嫌だと言い切れずに、気付けばいつも外寄りながら輪の中に居場所を確保しようとするのが常であろう。
「皆で、ですよね……?」
「うん!」
子どものような明瞭な返事。清々しいくらいの笑顔だ。
工藤さんのこの発言により、落とさなければならない砦は、ただ一人となった。その当人はというと、女性陣への舞さんの激しい勧誘の一部始終を見守り、目を細めていた。その眼差しからは鋭利さの欠片も感じられない。うまく自身を偽り、この場の空気に馴染んでいる。そんな風に思えた。
今も落ち着いた様子ながら、にこやかな笑みを浮かべている。しかしなにか嫌な印象を受ける。手玉に取られる他のプレイヤーの幸薄さを嘲笑っているのか、強引で姦しい女を演じる舞さんが可笑しいのか。そういうネガティブな感想が自然に浮かぶ。
「真人くんもやるでしょ? 藤吉くんも――――」
他のプレイヤーに知られないための形式的な確認。舞さんが参加するのに俺が辞退する必要性はない。そんなこと、二人の間ではわかりきったことだ。
「俺もまあ、皆が参加するならってことで……どうでしょう?」
この『ライフ・トレード』というイベントの性質上、他人に正体を知られるのがかなり少数に限定されるというのは、俺でも理解できる。工藤さんか宇野さんのどちらかを突き落とせば、俺が落とされることはないだろう。何故なら全員が狙うのは弱りきった小動物のように、致命的な反撃をされるリスクが零に近いプレイヤー。ライフ・トレードに於いて最強のプレイングとは、ライオンやチーターのように多大な労力を費やして自ら狩りをするのではなく、少ない労力で他人の成果を掠め取るハイエナのようなプレイング。意地汚いと揶揄されようが、勝たなければ生還できないのだから。
勝って生還したやつが、一番偉いのだから。
「それじゃ、藤吉くん。あなたはどうなの?」
食い入るように全員の視線が藤吉さんに注がれる。皆、ゲームに参加させられるのかが気にならないはずがない。唯一小宮山だけさんが、別の感情――明らかに負の感情を込めて、睨み付けていたようだが……。
「僕も“皆が参加するならやりますよ”って言えばいいんですか?」
藤吉さんはお気楽そうに笑った。だが目の奥には冷たさが宿ったまま。
それを見ていると、もしかしたら大変なことになるかもしれないと不安になっていく。
勝てば生還に近づき、負ければ即脱落。文字通り、命懸けのポーカーがスケジュールに加わった。