《6.偽りのナイト》 1st
「それでは皆さん、昼食をお楽しみください」
三人も欠けてしまったというのに、用意された十脚の椅子。それがなんとなくこのゲームの無残さを表わしているような気がした。
何事もなかったようなパンドラの事務的な口調が、この期に及んで胸につかえる。
昨日の木田のオッサンに続いて、都城さんも関も抹消された。総勢七名による風通しのいい食卓だった。
昨晩の夕食と同じく、パンドラは食後に抹消された二人について話し始めるだろう。それまで各々が昨日と同じように振る舞い、何事もなかったように偽り続けるのだろう。
もうこの世界には、木田のオッサンも、都城さんも、関もいないと言うのに――繰り返し、心の中で山彦のように木霊する空虚感と孤独感が、尚更俺を独りぼっちにする。
俺を辛うじて冷静に、そしてこの世界に留まらせる理由は一つ。隣に向けると不安を溢れさせた鳴海の兎のように目を真っ赤に充血させ、虚ろな宙に視線を漂わせていた。
緊迫した場面で、俊足のランナーを一塁に置いたピッチャーは、必ずといっていいほど焦っている。投手が相手にするのは、打者と走者。数からして投手が不利に思えてくるのが心理だろう。逆に対する打者は、そんな弱気な投手を見て、余裕を抱く――今のこのピッチャーからなら打てる、と。
今の俺は自分でもわかるほど落ち着いている。抹消を直に目にして、不安に駆られていたさっきまでの自分とは明らかに違う。それは弱気な鳴海の姿を、マウンド上でうろたえるピッチャーと重ねているのだろうか。
やがてメイドさんによって、席についている全員の前に昼食が配膳される。メニューはチキンカレーだ。学食に置いてあるような安っぽいものではない。どちらかというとテレビで見た専門店に置いてありそうな、スパイスを利かした黄色っぽい色をしている。
口に合わなくはないが、やや水気に乏しい食感が今の俺には美味しく感じられない。
元々食欲もないに等しいが、濃密な午前を過ごしたのだから、食べないと午後からのエネルギーがなくなってしまうだろう。他のプレイヤー以上に自分を偽り、昨日同様に食を楽しむ自分を演じて、スプーンでがつがつとカレーを平らげた。
それで空腹が満たされても、心は満たされない。
誰一人として形として心が見えることはない。それゆえに必死に偽ろうと意識している自分が、この食の席に於いて浮いているようで、孤立していると思える現実が怖くてたまらない。
ノーマルであることを必死で隠している。それがバレてしまえば、力のない俺は一瞬にして消されてしまうだろう。
光の粒となって消えていった都城さんの諦めの表情。消えたくないと最後まで足掻き、苦しんだまま消えていった関の表情。脳裏にこびり付いた一瞬が、恐怖の一因になっているのを、強く感じる。
でも今の俺は生きたいと、帰りたいと必死に意識することだけで精一杯で、恐怖を払いきれずにいた。
「皆様、満足されましたでしょうか?」
全員が箸――もといスプーンを置き、少し経ったころにパンドラが切り出した。
朝食時には誰が抹消されたかを探っていたから気付かなかったが、プレイヤーたちは酷く疲弊しているように見てとれる。まだ二十四時間も経過していないというのに、真綿で首を絞めるように徐々にプレイヤーを弱らせていく。これがパンドラの箱なのだろうか。
「皆様には二点、連絡がございます。一点目は関様、都城様のお二方がゲームから離脱されました」
特に驚くことではない。俺にとっては予想どおりの話題。木田のオッサンという前例があったからか、それとも心構えができていたからか、他のプレイヤー達も取り乱す様子はない。メンタルの弱そうな工藤さんだけが、涙をこらえて、目の周りを赤らめているだけ。宇野さんも驚いて、周囲に視線を巡らせるが、平然としている他のプレイヤーを見て、すぐに落ち着きを取り戻したようだ。
しかしその場に俺が居合わせたことを知れば、どんな態度をとられるのだろうか。自己申告するなんて馬鹿なことはしないが、もしもそうなれば俺へのマークが強まるのは必至。すぐさま抹消とはならないだろうけど、終盤に無差別抹消が行われれば、最優先で狙われるに違いない。口を封じようと保身する鳴海からも狙われかねない。
鳴海と口裏を合わせれば、偽の抹消の実行犯をでっち上げられるかもしれないが、あまりにもリスクが大きすぎる。つまり黙っておくのが得策だ。まあ、わかりきったことだが。
「二点目はイベントに関してです」
イベントと聞いただけで、意図的に緩まされていた空気が、刹那的に張り詰めた。凛とした空気からは殺意すら感じられる。
やがて訪れた一拍の間。水を打ったように静まり返ると、氷のように表情が固かったパンドラが緩んだ気がした。
「第二のイベントは『ライフ・トレード』です」
聞き慣れない名前だが、昨晩のオールド・メイドと同様にわかりやすいイベント内容なのだろうか?
「『ライフ・トレード』とは、直訳したとおり、命の取引です。これから皆様に二十枚ずつチップを御配りします。イベントは本日の夕食後の午後九時より、ここ天獄の間にて開始です。内容はそのチップを用いまして、各プレイヤーの“役職を知る権利”を入札形式していただき、最も高い額を入札された方のみがその権利を得るというものです。複数人が同一額で同一人物の役職を知る権利を落札された場合は、全員に権利が行きわたります。もちろん他のプレイヤーを妨害するために、御自身の役職を知る権利に入札されてもかまいません。尚、既に離脱されたプレイヤーの役職もその対象となります」
どのプレイヤーも自分の役職を知られると、抹消される危険に直結する。一番風当たりが弱そうなのはダミーウルフだが、それもゲームが進むにつれてプレイヤーの頭数が減れば、たちまち意味がなくなっていくだろう。なので自己保身を行うことを前提に、この『ライフ・トレード』というイベントは進行される。どれだけ巧く情報を買うことが出来るのかが、勝利の鍵になりそうだ。
「後からでも受け付けますが、何か疑問はないでしょうか?」
「入札の順番は既に決まっているのでしょうか?」
ピンと手を伸ばすのは、藤吉さんだった。相変わらず細部まで調べをつけ、対策を考えてくるのだろう。一度は木田のオッサンに言い負かされていたが、やはり要注意人物には変わらない。
「何方への入札を承るかは、その都度、クジ引きで決定させていただきます」
苦笑いを浮かべる藤吉さんであるが、それだけ余裕があるということなのか。
「それと一つ言い忘れておりましたが、イベントが開始されてからは、終了するまで発砲を禁止いたします」
イベント中は抹消されない。つまり前半であれば、自分の役職を知られても部屋へ逃げ帰ることが出来るというわけか。逆を言うなら、後半の入札ほど参加人数が少なかったり、当人が居合わせる可能性が高かったりしそうだと予想が出来る。前者ならば相場が安くなりそうだが、後者の場合は逆に高騰してもおかしくはない。
あらかじめ、誰に入札するのかを決めつつも、展開を見ながら動く方が利口そうだ。
「質問がございませんでしたら、これよりチップをお配りします」
閉口したプレイヤー達の前に、パンドラとメイドさんは二十枚一組のチップのタワーを並べ始めた。