4th
一度、思考が途切れる。まるで電源を失ったテレビのように、ふっと光を失った。
痛みも何もない。いや、正確にはずっと左肩に熱を感じていた。しかしそれもこの瞬間だけはどこかへと飛んでいった。そして意識が戻る。
不可解な時間の感覚に戸惑う暇もなかった。いつのまにか体をねじっていたらしくその視線の先では、並べかけのチェス諸共、テーブルを撒きこんでソファーの元に都城さんは倒れ込んでいる。
「都城さん!」
ルールブックよろしく一滴たりとも血は流れてはいない。しかし砕けたカップの破片や絨毯のワインレッドが、胸の奥に生温かいものを呼び起こす。
完全に気が動転していた。それを支配するのは漠然とした死の恐怖。ゆっくりと振りかえった先の関の顎の尖った顔が蒼白の死神の面のように見えた。そして死神はにやりと笑う。だが――
「うっ!」
その銃声は関の心臓を貫いただけでなく、俺を錯乱状態から解き放つ効果を併せ持っていた。
室内に立ち込める硝煙の香りが強く鼻腔をくすぐる。それは俺の肩を掠めた一発目、そして都城さんを抹消する二発目のものだけではない。三つ目の銃声は、俺越しに関を狙った鳴海の一撃だった。
一瞬痛みで、崩れかけた関だが、寸前で踏みとどまり、胸を抑える。
「へへっ、俺は死なねえよ!」
ギロリと光る関の眼光は弱弱しくも、俺に不安感を植え付けた。
確かにルールブックには、出血は伴わないと記載されていた。だが実際に倒れない関を見るとそれが真実でなければ、自分が殺されてしまう気がして、不安で仕方がなかった。
このゲームには抹消が存在し、殺しが存在しない。それを実感するのは、目の前で関か都城さんが消えたときである。皮肉にもそれが、パンドラの起こした非論理的な事象を肯定せざるを得ない結果になるとは、俺は気付いていなかった。
「ううっ……」
呻き声に他の物音が連続する。体を起こそうとした都城さんが、テーブルの上に残ったチェスの駒を撒き込み、倒した音だ。
腰を抑えながら、彼は立ちあがると濁った瞳で俺を見つめる。
「すみません、真人君。どうやら私はもうすぐ消える運命のようです」
これがゲームということが完全に吹き飛んでいた俺には、その意味がわからなかった。
「やっぱり抹消される自覚があるんですね」
驚くほど冷めた口調で鳴海は言った。
あの元気のいい鳴海の欠片はどこにもない。ただ墓前で死者に祷り捧げているような、潔白とした空気が彼女の周囲を取り囲んでいた。
沸騰しかけた意識は、それから平静を取り戻し始める。
「そうらしいですね。私としてもこんな実感はしたくなかったんですけど」
ばつの悪そうに都城さんは苦笑する。
「私からお願いしたのに、できませんでしたね、チェス――」
「…………」
返す言葉も見つからない。ただ子供みたいに、両手を縛って、抗うことのできない別れを見つめることしかできない。
「君たち二人は、頑張って生還してください。それでもし、私と同じ場所に来るのなら、そこでチェスをしましょう」
萎びたみすぼらしいスーツ姿で、へこへこと頭を下げる都城さんは、お世辞にもかっこいいとは言えない。しかし俺たちを自分の子供のように許容してくれる器の大きさがある。いつしか俺は、自分の父親と重ね合わせるように都城さんを見つめていた。
「それから鳴海ちゃん、結局相談には乗れませんでしたが、悔いが残らないように道を選んでください」
鳴海は目の周りを赤くしながら、黙って頷く。
「……そろそろ時間みたいです。もしも機会があるなら、息子ともチェスをしてあげてください。では――――」
ちょうどだった。都城さんの体が、一瞬にして透けると、光の粒として霧散した。
畏怖もしない。ただ名残惜しさでいっぱいだった。
「おいおい……」
それまで空気を読んでか、黙っていた関がその光景を目の当たりにして、怖気づいたような声を上げる。
そして何を思ったのか、俺と鳴海に銃口を向けた。しかし恐怖で震える手のせいで、照準は定まらない。もう関に怖がる余地など、皆無だった。
「俺は死なねえぞ……」
自分に言い聞かせるように言葉を呟いたのは、リミットが近いことを悟ったからか。
「いっ、嫌だーっ!」
ヒステリックな怒鳴り声が、関の最期の言葉だった。光として霧散する関に、美しさなんて微塵も感じなかった。