3rd
温くなった茶色の液体が宙に舞う。集中力が高まっているからか、その光景がスロー再生のようにゆっくりと流れていくように感じられた。
紅茶が関の黒のパーカーを濡らし、カップは床に当たると甲高い音とともに砕け散った。
遅れて身構える関の様子を見て、タックルを試みる。カップを投げた反動で自然と前に出る右足に体重を乗せ、右肩を突き出す。そして不安定に倒れ込む勢いのまま、前方に体重を掛け、不格好ながら走りだした。
とりあえず拳銃を取り上げれば、数的にも完全に優位になれる。こちら側が誰も拳銃を構えていないのだから、これが一番確実だろう。そんな目論見だった。
アウトか、セーフか。そんな際どいタイミングでホームへと突っ込む四年以上前の自分が、妙に重なった。ラフプレーで怪我をして監督に叱られたっけな。気色の悪いくらい鮮明に記憶が蘇り、走馬灯のように脳内を駆け巡る。
もしかして俺は死ぬのか? そんなことまで考えさせられるほどだった。
一時間よりも長く濃密な数秒の後に、俺は関を吹き飛ばした。しかし関は拳銃を手放さなかった。それどころか取られないよう強く握った弾みに、意図もなく銃弾は放たれる。
カランと響く薬莢の落下音。焼けるように疼く左肩の痛みをこらえ、馬乗りになって、なんとか関から拳銃を取り上げることに成功した。
「形勢逆転ですね」
関の眉間に取り上げた拳銃を向けると、それまでとは対照的に暴れるのをやめた。
妙な優越感に浸って、笑みまでこぼれるが、さすがに銃弾が掠めた左肩が気になって、それもぎこちないものになっていただろう。しかし優越感の次に湧きあがってきたのは、一歩間違えば抹消されていたという恐怖感だった。
「……マジで死ぬかと思った」
本心のまま、口から出た言葉。心臓は早鐘を打ち、呼吸は速いテンポで連続する。体の変化はそれを皮切りに拳銃を構える両手まで震えてくる。必要以上に俺の中で、危なかったという意識が膨れ上がった。
だけども左肩の焼けるような感覚が、生を実感させてくれる。今まで感じたことのない高揚感さえも、このタイミングで込み上げてくる。
さっさと抹消を終えて立ち去りたいのだが、ここで関を抹消してしまうと、鳴海や都城さんに俺がノーマルだと知られてしまう。かといって抹消しなければ、狼として銀の銃弾の対象にされる可能性も大いにある。どうするべきか……。
「おいおい、そんな呑気なことをしててもいいのか? 後ろを見てみなよ……形勢逆転だぜ?」
関の言葉にハッとした。誘われるまま、背後を向く。もしも鳴海か都城さんが関とグルなら、俺を抹消しに来る可能性があったからだ。ましてや鳴海について関は一言も発していない。木田のおっさんを抹消したのが鳴海だとすれば……。しかし振りかえったところで二人揃って、ポカンと立ち尽くしているのみ。それが策略だったと気付いた時には――。
いきなり関に手首をひねられる。俺の両手は意思とは関係なく、右手は拳銃を放して、床へと転がり落ちる。
「図体だけならお前の方が有利かもしれないけど、喧嘩なら俺の方が上だ」
関がパンドラに突っかかっていたときも、ナイフとか掛かってきたなんて言っていた。そんなことが遅れて思い出される。
竦んで動かない俺の体は思いのほかに軽かった。早いテンポで顎にワンツーパンチがヒットする。状態が仰け反った瞬間、俺の股の下から関は細い体を蛇のようにくねらせて脱出した。
「真人君!」
都城さんの声が聞こえたが、向き直す余裕なんてなかった。
脳裏は死の文字だけで黒く塗り潰される。そこに思考する余裕なんてありはしない。ただ関の動きを目で追うカラクリ人形とかしていた。
関は素早く俺のこぼした拳銃を拾い上げる。そして細身の体を俺の肩で隠しながら、銃口を都城さんへと向けた。
お前は最後に殺してやる――フラッシュバックする関の言葉。そして句点の代わりに関は炸裂音を添えた。