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《0.その声は天使か悪魔か》

「ねえ、明日の約束覚えてる?」

 別れ際に香奈は念を押すように確認してきた。

 いつもと同じ五時四十七分発の快速電車。この駅で乗り換える俺にとっては、この電車が出発するブザーが鳴る直前が、一番憂鬱だ。

 『無くして初めてその存在の真価を知る』とはよく言ったもので、毎日この別れ際の彼女が最も愛おしく感じる。照れくさくてそんなこと言えるはずもないが、なんとなく彼女も気づいているようで、つくづく女性の勘の良さには驚かされてしまう。

「忘れるわけないだろ? あれだけお前が楽しみにしてたのを、何回も聞かされてたんだから」

 明日の午前中に彼女が好きな小説の実写版映画を見に行くことになっている。推理物が原作ということで、活字には縁遠い生活を送る俺も内容には多少ながら興味があったんだが、香奈に見事にネタバレされてしまい、そのせいで明日は映画館でシエスタを決め込むはめになってしまった。

 俺の言葉を聞いた彼女は安堵の表情を浮かべる。そしてほぼ同時に発車を告げるブザーが駅のホームに鳴り響いた。

「それじゃあな」

「うん、また明日ね。忘れないようにメールするから、覚悟しときなよ?」

 彼女なりの冗談に俺は頬を緩ませた。

 閉まった扉のガラス越しに、長袖の先からちょこっと出た小さな手を振ってくる。振り返そうと右手を挙げた途端、無残にも電車は動き始めてしまった。

 何事もなかったかのようにそっと手を下して徐々に小さくなる電車を見送ると、俺も乗り換えのために彼女の乗る電車を背にして歩き始める。そしていつものように同じホームにまた電車がやってくる。

 違うのは、毎日表情を変える空だけ。決まった時間に次の電車がやってくる。それそ嘲笑うかのように、今日も鱗雲が空に模様を描く。

 特に何も思うものはなかった。いつもの日常の切れ端で、真新しいことではなかったから。電車と同じように、俺もいつもと同じように別のホームへと向かう、ただそれだけだから。だけど――――『日常と非日常は紙一重だった』

 突然感じた誰かに突き飛ばされる感触。意図されたものかどうかはわからない。だが感触を感じる前には、俺の体は線路上に投げ出されていた。

 迫り来る電車がコマ送りのように映写される現実から、目を背ける時間すら残ってはいない。死を意識する時間がないというのは、ある意味では幸せな死に方なんだろう。だけど、俺には約束があった。今は気づかなくても死んだあとには絶対に後悔するに違いない香奈との約束……。

 そんな時だった。

「生きたいですか?」

 鈴の鳴るような女性の声。轢かれるまでもう時間はないというのに、なぜだか心が安らいだ。

 なんでこのタイミングに? なんでそんなことを聞いてくるんだ? そもそもあんたは誰なんだ?

 そんな風に戸惑うこともない。自分でも驚くほどすんなりと答えは導きだされた。

――――俺の答えは……。


 死んでたまるか――――

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