5th
「おい小僧、せっかくトークを長引かせてやったのに、終わっちまったじゃねえか」
トイレから戻ってきて、最初に掛けられた言葉がこれだった。
ウイスキーで顔を朱に染めている。オッサンは自分の楽しい独演会を無視されたのだ。多分、失礼という意味では俺に非があるのだろう。
しかしゲームに於いての不利益は、別にオッサン側に発生しない。それどころかむしろマイナス要素が発生するのは、聞きそびれた俺と舞さんの方だろう。しかし現にオッサンは怒っているのだから、イレギュラーとしか言いようがない。全く以て迷惑な話である。
しかしとりあえず穏便に済ませるべきなのだろう。あとがつかえているし、こんなことで俺の評価を下げられるのは避けておきたい。それなので一応の謝罪を述べた。まだ怒り足りないらしい木田のオッサンを舞さんはなだめる。
「まあまあ、木田さん。そんなに怒らないであげてくださいよ」
「うーん、まあ……舞ちゃんがそういうなら仕方がないな」
顔をとろけさせる木田のオッサンが情けなく見えた。だが冷静になってみると、こんなおっさんに頭を下げた俺が情けないと気付かされる。
落ち込む暇なんてないのだが、心にはわだかまりが残る。とりあえずオッサンからお許しが出たので、ソファーに腰を下ろすが、それでもなんとも言えないモヤモヤが残った。
だが客観には、美人に言われて渋々納得し、おずおずと席に座るオッサンの方が情けなく映っていることだろう。その後すぐに一気にウイスキーを流し込む姿も誤魔化しているようにしか見えない。その姿からは哀愁が漂い、物悲しさが倍増する。今の木田のオッサンには、この場にいる全員が威厳なんてものの欠片すら感じ取ってはいないだろう。
それでも俺が内心で、情けなさを噛みしめていることに変わりはなかった。
*
舞さんからの申し入れに、保留という中途半端な形で返答してしまった。もちろん俺より知識のある彼女と組むことで得られるアドバンテージが大きいことは重々わかっているし、断った後には彼女が敵になることもわかっている。
賢明な判断ではないことは、明白で、決定的。おそらく彼女のことだから、それも考慮して、この保留が承諾とほぼ同義だと理解しているに違いない。
実際のところ、なぜ保留したのか俺自身にもわからなかった。もしかすると頭の良すぎる舞さんに恐怖感を持っていたのかもしれないと感じたのか。それとも隙を見せれば、裏切られるとでも思ったのか。
いずれにしても言えることは、舞さんと一緒にいることで安らぎを得られるかどうかが、俺の中で大きな判断基準となっているということ。
たぶん同じ次元まで降りてきて、助言をくれる舞さんこそが生還への最善のパートナーなのだろう。
しかし的確な助言をくれるパートナーよりも、心の拠り所としてパートナーを欲している自分の弱さに、憤りすら感じてしまう。
最後の俺の自己紹介で、この会は滞りなく無事に終了した。最後まで関は来なかったが、ルールに適応できない人間は尽く弾き出されていくのが社会の真理ではないだろうか。イジメや引き籠りなんて、その典型例だと俺は思う。仮に現れたところで、何らかの形で隔たりが出来た可能性も否定できない。実際、他のプレイヤーたちも関が来なかったことに誰一人触れなかったというのは、その証拠になりえるということではないだろうか。
木田のおっさんの隣に座らされていた小柄な雀斑の女性が工藤優里。俺の見立てのとおり、年齢は十九歳。しかし驚いたのが、彼女が日本でも指折りの偏差値を誇る帝都大学の学生だと言うことだ。人見知りが激しく、なかなか自己紹介へ至るまでが長かった彼女だったが、いざ始まると裕福でない家庭の話や浪人させてくれた両親への感謝の思いを熱く語り、最終的に我に返って顔を紅潮させるというオチまでつけてくれた。
個人的に抱いた印象は、とても他人想いでこのゲームにはそぐわない人格であるということ。帝都大学の学生ということで頭は回るだろうし、停戦協定もしっかりと守ってくれそうだ。しかし行動力は皆無に等しいと予想される。もちろんゲームに参加している以上は生還への意欲もあるのだろうけど、今はそんな素振りは一切見えない。パートナーとするには頼りがいがなさそうな上に、昔から大人しい人間ほどキレるとなにをするかわからないともいう。言い方は悪いが複数人を抹消することへの罪悪感から逃れるために、複数の箱と相応しているパートナーを裏切らないとも断言はできない。以上の点を考慮すると、彼女と組むよりかは舞さんと組むほうが有利なことに変わりはないだろう。
次に工藤さんの向かいに座るのが藤吉悟さん。歳は三十三歳、仕事は建築関係らしい。彼の華奢な体で実際の建設作業ができるようには見えない。おそらくは設計関連に携わっているのだろうと思われる。そうなると建築士の資格を取得するほどの秀才か。学歴などには一切触れなかったが、能ある鷹は爪を隠すともいう。もちろん努力なくして、資格は取れないだろうが、やっぱり元々の頭の良さがあってこそ取れるものではないだろるか。
淡白な自己紹介の後の品定めをするような遠慮のない視線には嫌悪感を感じたが、やはりこの人はこのゲームの意図を理解して行動していると確信した。自己紹介前のあの会話の内容から、おそらく藤吉さんは俺に悪い感情は抱いていないだろうから、誰よりも先に誘えば悪い返事は来ないと思う。
その次が藤吉さんの隣に座る宇野薫さん。身長百六十以上はあろうかという長身の女性だ。すらっとした体型は他の女性と比べても引けを取らない。金か茶か判断に迷う髪色や鮮やかなピンク系のルージュ、眼元の違和感のないアイラインといい、彼女はモデルかホステスなんかをやっているんだろうか。
だが語尾を伸ばすようなギャルっぽい口調は、このゲームの中では意味を成さない。可愛さをアピールというよりも、馬鹿さをアピールしているに等しいこの口調は、即席にでも直すべきだと思う。年下の俺が言うのは間違っているような気もするが、彼女は間違いなくパートナーに裏切られるタイプだろう。それもこのゲームが他者と組むことによって、有利に事を運べると気付いて、誰かと組んでいればの話であるが。
もしもそれに気付いていなければ、真っ先に蹴落とされるタイプだろうし、仮に終盤まで生き残っていたとしても誰かに生かさせていると判断できる。彼女と組んだとしても、あまりメリットは発生しないだろう。
五番手がソファーの端に座る小宮山さん。ルール説明時に薄ら笑みを浮かべていたのは、この人である。木田のおっさん同様に乾いた唇も、この人ならば逆にワイルドでかっこよくさえ見える。声質も渋さを強調するように低く、この声で何かを言われるとその言葉は謎の説得力を帯びるに違いない。総括するとドラマの探偵やできる上司のイメージが付きまとうくらい、男から見てもかっこいい人だった。
年齢や職業については語らなかったが、それも恥ずかしいというよりも、むしろ話すとマイナスになると判断したからだろう。
話の合間に視線を動かしていたのも、この会の意図を理解してのはず。それでも嫌な印象を持たせないように、何気なく周りを見渡す技術なんかは、参加者中では際立つものがある。反面、平気で嘘をつかれそうな印象も直感的に感じ取った。
結局こんな人がゲームを動かし、クリアするんだろうなと、弱気にならざるを得なかった。
そして向かいの二人掛けのソファーに一人で座るサラリーマンが、都城大輔さん。今時見ない七三分けは生え際が水愛し、分け目がはっきりと分かれている。身長も百六十センチがなんとかあるくらいに小柄で、古臭い丸眼鏡が細身の外見を一層弱々しく見せる。俺みたいな高校生相手にも敬語を使ったり、質問の返事をするときの微妙な息遣い、どれもこれもが弱々しいという形容詞を重ね続ける。親父が「スーツは戦闘服だ」と言っていたが、この人のぐったりとした灰色のスーツも、その重ねられるアクセントの一つだろう。加えてこの人の目に何かイライラが沸き起こる。
奥さんも居ないらしいし、本人も「生きたいんじゃなくて死にたくないからこのゲームに参加した」と自ら語るほど、生に無頓着な人だ。ただこんな人が死に物狂いに、このゲームに挑んできたらと思うとぞっとする。こういう人が全てをかなぐり捨てて、生に真正面に突き進む姿勢を見せられていれば、小宮山さんや藤吉さん、木田のおっさんなんかよりもずっと警戒していたと思う。
最後が俺の隣に座っている片岡鳴海。目尻が少し吊りあがった大きな目は、和からかけ離れた紅茶色をしている。天使の輪を作るほど繊細そうなキューティクルを持つセミロングの髪も、筋の通った鼻も、笑顔を作るたびにできる笑窪も、どれをとってもアイドル並みである。舞さんにも引けを取らない驚異のビジュアルを持つ彼女は、俺と同じ高校三年生らしい。
誰にでも好感をもたれるようなハキハキした受け答えや時々見せる笑顔も、清純派のイメージそのままである。香奈という彼女の居る俺でも、かなり意識してしまいそうなくらいだった。いろんな思いが彼女に向けて、混沌と渦巻く。一言でいえば、敵にしたくない相手である。
日本史の時間だったか、教師が授業中に面白い話をしていた。『人間は生まれつきの資質で、神輿を担ぐ人間か、乗る人間かがはっきりと分かれている』というもので、このゲームは正にそれである。
神輿に乗るプレイヤーと担がされるプレイヤー。
切れ者、曲者揃いのこのメンツの中で、俺は乗るプレイヤーになれるだろうか……。