ありきたりなラブストーリー (5217)
「もぉっ! お母さーん! なんで起こしてくれなかったの!?」
着替えながら階段を駆け下りると、お母さんは一人でのんびりと朝ごはんを食べていた。
お父さんはあたしが五歳の時に離婚した。顔も覚えてない人だから、別にいなくて淋しいとも思わない。
あたしの名前は佐藤陽菜。とっても平凡な高校2年生女子だ。名前にルビ振る必要もないくらい。
「遅刻しちゃう! 食パンくわえて早く走らなきゃ!」
あたしが台詞通りにしながら学生鞄を握りしめて玄関のドアを開ける金属音をさせると、お母さんはテレビを見ながら呑気な声で言った。
「行ってらっしゃい、陽菜」
やっぱりぶつかるんだろうか。あの角を曲がったら、誰か、初めて会う男の子とぶつかるんだろうか。そう思いながら角を曲がるとぶつかった。
どっしーん!
「あ……。君、大丈夫?」
ぶつかった相手は長身でサラッサラヘアーで黒い学ラン姿のイケメン。あたしが全速力でぶつかったのにダメージを受けてる様子はまったくない。頑丈。頼れる! かっこいい!
たぶん食パンくわえたまま雌の顔してハートの目をしてるだろうあたしに、気づいてるのか、気づいてないふりしてくれてるのか、彼は爽やかな笑顔でスッと手を差し出した。
「立てる?」
うーん。恋が産まれる予感。愛に育つ予感。
「君を連れて行ってもいい?」
どこへだろう。この人ならへんな所じゃないことは確か。でもすぐに返事したら軽い女の子だって思われちゃうよね。
「やっぱり気づいてないかな?」
彼は優しく微笑むと、行く場所を教えてくれた。
「君、一週間前に死んでるんだ。車にはねられてね。申し遅れたけど僕はそんな君を迎えに来た死神でね……」
え?
でも……
お母さん、「行ってらっしゃい、陽菜」って……言ってくれたよ?
「お母さん、霊感があるからね。きっと、君の姿は見えないけど、君が出て行く気配は感じたんだろう」
「もう……会えないの?」
「8月にはまたこっちへ連れて来てあげるよ」
「あなたが?」
「その時にはまた別の人かな。僕は迷える死人の心をあの世に連れて行く専門だからね」
「……ありきたりなラブストーリーだと思ったのに」
「大丈夫、悲しまないで。これも霊界ではとってもありきたりなことだから。君はふつうだよ」
そう言うと彼はあたしの体を抱き締めた。
抱き締められたあたしの体は煙になると、彼の肩から下げられたベージュのバッグの中に優しくしまわれた。
これが霊界でのありきたりな日常茶飯事。ラブストーリーかどうかはまだわからない。