4話 ウサギ
教会の礼拝堂の中。信徒は神に祈り、神の教えを授かるためにここに集まる。
三つある扉口を開けて礼拝堂に入れば、繊細な壁面彫刻に囲まれた壮大な空間に誰もが圧倒される。思わず見上げてしまう程に高いアーチ状の天井、それを支える重厚な柱が奥の祭壇に向かって連なっている。銀色に輝く祭具をまつる祭壇には周囲に設けた大きな窓から光が差し込む。その威厳ある輝きに神性を感じずにいられない。
この空間にパイプオルガンの荘厳な旋律が響いている。集まった聴衆はみな目を閉じて祈りを捧げる。
オルガンの演奏が終わると、祭壇の前にある説教壇に、真っ白い祭服をまとう高齢の男が立った。彼が司祭である。司祭が集まった聴衆に向かって神の教えを説いて聞かせる。聴衆はその心地よい語りを一言一句逃さぬよう熱心に聞き入っている。
司祭が語り始めて間もなく、外から何やら騒がしい声が聞こえた。
「戦争反対!」「環境汚染反対!」「戦争賛成!」「教会サブレ増産!」・・・
外では、社会に不満の溜まった者どもが教会の前に集まって、好き好きに自分の主張を叫んでいた。武器を持たない平和的な連中であるが、教会の静謐を乱すやからだ。中には<マジョ激推し>と書かれた団扇を持っている者もいる。
教会の周囲を警戒している騎士や職員たちがその者どもの方へと集まってくる。教会側としては一般人に武力を使うのはためらわれるが、礼拝を妨害されては困る。騒ぐのをやめろ、いややめないという押し問答が繰り返されるばかりであった。
礼拝堂の中にいる者にしてみれば迷惑なことだ。騒いでいないで静かに神に祈ればよいのにと、外で騒ぐ者どもを哀れんだ。
◇
僕は見張りが薄くなったのを確認して静かに行動を開始する。教会の外縁部を通って、礼拝堂に隣接する施設棟にあるを目指す。教会の人間に見つからぬよう、音を立てず素早く移動した。司祭の専用室へとつながる外壁の下までやってくると、そこで外壁を登る準備をする。灰色の石材で出来た壁と同じ色の服を上から着込んで、それから魔女お手製のクモ手袋をつける。
壁に手を当てたり離したりして、クモ手袋の使い勝手を確認する。感覚をつかむと、クモ男よろしく一気に壁を駆け登って、司祭の専用室の窓の下まで登った。そこで一旦停止する。
僕は壁に張り付いた状態で深呼吸を一つする。この壁の向こうにある部屋にサクラがいる。裏切りの記憶が脳裏をよぎる。どうしてあんなことになったのか。それ以前の彼女は本当に可愛げのある女性だった。彼女のカバンから取ったウサギの刺繍の入った腹巻きを思い出す。実は下着にもウサギの柄があったんだよなあとちょっとニヤけてしまう僕がいる。そんな可愛げのある人なのになぜ?という疑問がまた浮かぶ。
もう一度深呼吸をして気を引き締める。今から相手にするのはトップクラスの魔導士だ。
覚悟を決め、クモ手袋をつけた両手に力を入れて飛び上がる。窓には鉄格子があった。素早く剣を抜いて、鉄格子を輪を描くように剣で切りながら、部屋の中へと突っ込んだ。ガチャンと鉄格子と一緒に僕は床に転がり、すぐさま膝をついて停止し、剣を構えて警戒する。
サクラは部屋の隅で、イスに腰かけて本を開いたまま驚いた顔でこちらを見ていた。僕は両手で剣の柄を握って、いつでも振れる構えを見せ、「動くな」とサクラを牽制する。サクラと視線がぶつかる。サクラはメイドの格好しており、以前よりも可愛らしく見えた。
サクラは目を見開いて威嚇するような顔をしたが、すぐに自分の不利を悟った様子で抵抗を諦めた。そしてイスに座ったまま口を開いた。
「なんで生きてるの?この変態」
「――ぐっ。……魔女の力だ。僕を殺せると思うな」
サクラは残念そうな表情で溜息をはいた。
「殺しにきたの?この変態」
「――ぐっ。……お、お前次第だ」
サクラの「変態」発言は着実に僕のHPを削っていく。気を取り直して核心に迫る。
「答えろ。なぜ裏切った?宝が欲しかったのか?」
「変態なんだから裏切られて当然でしょ。この変態」
「――ぐっ、ぐっ」
僕は戦闘不能になる寸前だった。その非難のこもった眼差しを見るのがつらくなって、彼女から目をそらした。そして言い訳を始める。
「本当にごめん、あれは違うんだ。そういう趣味は無いんだ、本当に。ああいうウサギの柄の入った下着とかも全然趣味じゃないんだ、本当に。それに…………!!」
言い訳に夢中だった。気づいたとき、サクラは立ち上がって、魔弾を創っていた。サクラは顔を真っ赤にして憤怒の形相になり、そして目には涙を溜めていた。
「ぶっ殺す!」
僕はダンジョンでの恐怖がよみがえり、慌てて窓の方へと逃げ出した。
それを見るなりサクラはためらいなくその魔弾を放った。魔弾は僕の背中に衝突し、そのまま僕と一緒に壁を突き破って、そして彼方に飛んで行った。
僕は宙に吹き飛ばされ、そのままヒューンズドーンと地面に叩き落とされた。
<つづく>