2話 魔女様は慈悲深い
魔女との通信を終えた僕は出口に向かって歩き始める。
トールとレナの死体が目に入った。
僕たちのパーティは3ヵ月前に結成した。魔女の禁薬で急激に実績を伸ばした僕が、高ランクダンジョンに挑むために経験のあるメンバーをスカウトしたのだ。苦楽を共にした仲間だったが、今日のあの出来事がある。彼らに対する感情は複雑だった。
僕は彼らの死体を一べつしてすぐに目をそらした。重く気が沈むが、今は出口を目指さねばと気を取り直す。目をそらした先にはふたが開いた宝箱がある。中は当然、空だ。
サクラは宝を独り占めしたかったのだろう。裏切り、罵り、自分の醜さが脳裏に映る。本当に全てが嫌になる。今日の出来事が全て現実なんだという実感が今になって湧いてきた。悔しいし情けない。僕は誰も見ていないからと大声で泣いた。
泣いて泣き終わる頃に、自然と素直になれる。禁薬で力を得たことで、自分は調子に乗っていたのだと思い至った。
魔女の隠れ家はちょくちょく変わるが、今は街の市場の近くにある酒場の、その奥にある。隠れ家には酒場から入るか、裏手の隠し通路から入る。地下通路もあるらしいが僕はまだ使う許可を与えられていない。
僕は街の入り口付近にある魔女の息がかかった服屋の店で変装をすませた。
すでに日が落ち辺りは暗い。僕は人目に付かぬように隠れ家の裏手から入る。裏手の一部の壁は魔法で偽装されいて、魔女と契約している者のみが通れる。壁を抜けて数歩進んだところに扉がある。この奥に魔女がいる。
扉をノックする。中から「合言葉ぁ」と声がする。いつも通りに僕は扉に向かって合言葉を告げる。
「魔女様は美しい。魔女様は慈悲深い。魔女様は魔法の達人」
「入れ」
この合言葉は本当に必要なのだろうかという疑問はすでに消化済みだ。問うても意味は無い。それよりも、なるべく気持ちを込めて言わないと忠誠が疑われるのだ。そしたら無茶を押し付けられる。ぞんざいにこの合言葉を発してはいけない。
「おじゃまします」
「よく来たなユージ。座れ」
魔女。年齢不詳、大人の色香を漂わせるが、肌の質感は少女のよう。その声と表情には全てを知っているような知性と遊びに飢えた無邪気さがにじんでいる。
「これ、お土産です。魔女様に似合うと思います」
僕は懐から袋を出す。中にはスカーフが入っている。先ほどの服屋で買ったものだ。無一文だったので、変装用の服もスカーフもつけ払いなのだが。
「ほうほう。うーん、まあまあね。一応つけてあげるわ」
大抵の物では魔女は喜ばない。しかし、手ぶらで来ると怒り出すので、これで正解なのだ。
魔女はいつも黒色のドレスを着ている。今日は袖のないドレスなので華奢な白い腕が露わだ。その白い腕で波がかった金色の長い髪を払いながら首元にスカーフを巻いた。ありがとうだとか嬉しいだとかも言わずに、魔女はそのまま本題の話を始める。
「サクラに私とユージの取引の事を知られていたのよね。心当たりは?」
「ありません。僕から他人に言うなんて事ありえません」
「んー、彼女が特別な魔法で知ったという可能性があるわね。もしそうだとしたら、なかなかピンチよ」
「はい、そうですね。彼女結構、勘が鋭いんだと思います。僕が、その……、服を盗んだの気付いてました」
「あー、私が服とってこいって言ったのに、あんたウサギの刺繍が入った腹巻き持ってきたやつね。キャハハ。そら魔弾ぶっ放されるわ」
「あなたが取って来いって言ったんでしょ。彼女隙が無いからカバンから取るの大変だったんですから。トールのお酒にレナの口紅だって、あなたが言わなかったらそんな悪い事僕はしませんよ」
僕は魔女に逆らえない。契約だから。僕は元々なんの才能もない無気力な青年だった。魔女が作った<美剣士の禁薬>を飲んで一流の美剣士になれる代わりに、一生魔女の命令に従うという取引をした。魔女の最も特別な能力が<契約>。もしも契約に反すれば、千通りの死に方を全て経験してから死ぬ。らしい。
「ユージ。お前まさか、私が忠誠心を試すための嫌がらせで、人から物を取って来いと言ったと思っておるまいな?」
「え、違ったんですか」
「あほう。今のような時に使うためじゃ。腹巻きにあるサクラの痕跡から配下のコウモリとネズミにサクラを探させておる。本当は口を付けたものが効果は高いんだがな」
「へええ。魔女様さすがっすね」
「さすがだろう。まずは私の情報網を総動員してサクラを探す。お前はしばらくここで回復に専念しなさい」
魔女は魔法の達人にしてテロリスト。王国は魔女を臣民の敵で極悪犯罪者と規定している。魔女自身も自分の最終目標は国家転覆だと言っている。魔女は契約した人間を使って、いろんな組織に内通者を持っている。それと公にはできないが、ファンクラブがあるらしい。魔女は自身を地下アイドルだと言っていた。魔女の情報網ならサクラが国内にいればそのうち見つかるだろう。
「あのう。魔女様。よろしいでしょうか」
僕はためらいがちに話題を変える。
「僕、もう禁薬の力を使うのはやめたいんです。自分に見合わない力だなって思ったんです」
僕は魔女の様子をうかがいながら話を続ける。
「今回の事で、本当の実力で命を張っている冒険者たちと自分を比べちゃって、情けなくなったんです」
魔女は僕の目をじっくり観察してから言う。
「ほう。真面目な事を言いよるようになったな。わかった。その気持ちを汲み入れて慈悲深い命令を出してやる」
「魔女様のご慈悲に感謝します。だめな僕を拾って禁薬を与えてくれた恩は、忘れません」
この魔女は結構いい人なのだ。僕の望みを尊重してくれる。だから魔女の言葉は信じられる。
「だがなユージ。禁薬だろうが努力だろうが、今持っている力が自分の実力ではないか?生まれとか環境とか偶然とか考えだしたら、本当の実力なんてものは決められないと思うぞ。自分に見合わないと言うなら、見合うようなればよい」
魔女は「じゃあ、寝るから」と言って、地下にあるの私室に去っていった。
僕は部屋のソファに寝ころんで、天井を眺める。
魔女に生かされたこの命を存分に使おうと心を新たにした。
<つづく>