腹を立てるのは終わり
「ハル、間違いなく女神像から魔力が出てるんだな?」
「間違いありません」
ヴィクターさんは整った顔で考え込んでいたが、モーダルさんから女神像を動かす許可をもらってきた。モーダルさんも見たいということで私を含めた三人で今、裏庭にいる。
「じゃあ、動かします」
ヴィクターさんが女神像を両手で抱えて持ち上げた。あれ?魔法で動かすんじゃないのか。私がそう思ったらまるで心の声が聞こえたかのようにヴィクターさんが振り返って弁解した。
「以前の俺ならなんていうことなく動かせたけどね。今は前ほどは魔力が出せないんだよ」
「私、何も言ってないじゃない」
「顔が雄弁なんだって」
「失礼ね」
私はいわゆるタメ口だ。宿泊するにあたりヴィクターさんから出された要望だから許されるものの、モーダルさんはハラハラしている。
ヴィクターさんが両手で像を動かした。台座の石には円形の穴が開いていて、金の粉の流れがふわりふわりと低い位置からこぼれ始めた。
「この女神像、足裏から後頭部まで穴が通っている。だから後頭部から大地の魔力が出るんだな」
「これを考えた人は金色の粉が見えてるとしか思えないわね。ねえヴィクターさん。この金の粉を身体に受けたら焼き切れた脈絡とやらが治りませんかね」
「ん?考えたこともないが、どうしてそう思うんだ?」
「私、ここから出る金の粉を浴びても、ヴィクターさんの魔法で出てくる粉を浴びても、身体がポカポカして調子がいいんですよね。だからヴィクターさんも浴びてみたらいい結果が出るかもって思うんです」
「それはハルが異世界の人間だからじゃないか?」
「んー。やって具合が悪くなったらやめればいいじゃないですか。健康になって召喚師の力を取り戻せたら儲けもの、くらいでどうです?」
ヴィクターさんが茶色の瞳で私をじっと見るので落ち着かなくなる。
「なあに?」
「ハルは俺を憎んでいるのではないのか」
「最初は恨んでたわ」
「じゃあなぜ心配してくれるんだ」
自分の性格はわかってる。
「お節介なのは昔からなの。困ってる人や弱ってる人に知らん顔しにくくて。単なる自己満足よね」
ヴィクターさんはそれでも私の顔を見ている。
「ここに椅子を持ってきて金の粉を浴びながら本でも読むのはどう?何日か試してみる価値はあると思う」
「お、おう」
あら。ヴィクターさんが素直に言うことを聞いてくれた。
「そういえばヴィクターさんて、何歳なの?」
「俺は二十三歳だけど、それがどうかしたのか」
「二十三……弟と同じ歳だわ。いつも偉そうだから年上かと思ってた」
「弟っ?」
「今後はハル姉さんと呼んでもいいわよ」
「だ、誰がそんなこと言うか!」
プイと顔を背けたヴィクターさんの顔が赤い。可愛いところもあるじゃない。
「コホン」
あっ、しまった。モーダルさんもいたんだっけ。
「じゃ私はそろそろ仕事に戻るよ。像は用事が済んだら元に戻しておくれ」
去り際にウインクしてた。
「ちょっと待ってて。今、椅子を持ってくるから」
納戸にしまってある椅子を使ってもいいかクレアさんに確認して、裏庭に運んだ。ヴィクターさんはしゃがみ込んでジッと台座に開いている穴を見つめていた。
「椅子、持ってきたわ。あのね、金の粉はその穴から膝くらいの高さまで吹き上がってから、ふんわりと辺りに落ちてるの。やっぱり女神像を置いた方が金の粉を浴びるには都合がいいと思う」
「そうなのか?」
「うん」
私が女神像を抱えて台座に戻そうとしたらヴィクターさんが慌てて自分で運ぼうとした。互いの指先が触れて、少し気まずい。
「俺がやるから」
「うん。ありがとうね」
女神像を置くと、金の粉は像の中をくぐり抜けて後頭部から噴き出す。ふわりと空中を舞い上がってゆっくり落ちる。その前に椅子を置いてヴィクターさんを座らせると、金の粉はヴィクターさんの肩、背中、腰辺りに舞い降りて消えて行く。
「うん。いい感じに体に舞い降りてる。騙されたと思って、試してみてね。本かお茶でも運ぼうか?」
「お茶を頼んでもいいだろうか。すまない、ハルは休みだったんだろう?」
「いいの。また次のお休みが来るもの」
料理人のマイルズさんに声をかけて空の木箱を貸してもらい、お茶も淹れた。テーブルクロスがわりに木箱にハンカチを敷いて、お茶のカップを置いた。
「さっきの話なんだけどね」
「うん?なんのことだ?」
「私、あなたのことは憎んでないから。あなたは自分の仕事をしただけだもの。しかも自分の力を出し切って頑張ったのに、全て無かったことにされたんでしょう?元気になってほしいと思ってる」
ヴィクターさんは「え?」と言う顔だ。
「過去に囚われてる限り一歩も前に進めないから。だから私、この世界に来てしまったことに関してはもう腹を立てるのはやめにする。ヴィクターさん、あなたも腹の立つことはたくさんあっただろうけど、できることなら忘れて、元気になってね」
私の考えは私のもの。それを受け入れても受け入れなくても、それはヴィクターさんの自由だ。
さあ、仕事仕事。客室を隅々まで綺麗にしなくちゃね。私は金粉を浴びているヴィクターさんから離れて仕事に戻った。