穏やかな暮らし
「ハル、どうする?」
「手紙を書く。シェリーさんと宿屋アウラの皆さん、シリルさんと、ポーリーンさん、コンラッドさん、お世話になった人たちみんなに」
「やっぱり、これを使うんだね?」
ヴィクターの手にはコンラッドさんが手渡してくれた身分証明書が二枚、写真立てみたいな木の枠に入れられていた。身分証明書の他に結構な枚数の金貨も渡された。証明書は、二人とも別の名前になっていた。
簡単な手紙を何通も書き終わり、私たちは宿の人たちに「これから王都に向かう」とわざわざ言い残して出発した。
本当はこれからスローン領の北に向かい、そこから深い森を突っ切って国境を超え、北の隣国イーズデイル王国に向かうのだ。
「今逃げ出さないと、ハルは間違いなくこの国に縛り付けられる。国がいつまでも君を放置するわけがない。民衆の前で交渉したから、仕方なく王子が約束したけれど。今は国民の手前、そっとしてくれているだけだ。いずれ国に取り込まれる。嫌だろ?」
「うん。嫌だ」
ヴィクターとのこんな会話で私たちの隣国行きが決まった。
「ハル、二人で顔が知られていない隣国に行こう」
「行こう!どんな国かしらね」
「俺もたいして知らないが、凄腕の魔法使いが一緒なんだ。安心して俺に任せろ」
「あっはっは。凄腕さん、頼んだわよ」
早朝に二人で馬に乗り、北を目指した。
私たちが逃げ出したことに気づかれる前に隣国に入ってしまえばこっちのものだ。クスクス笑いながら私たちは馬を進めた。
「ハル、隣国に行ったら何がしたい?」
「市場を見て回りたい!」
「相変わらず好きだなぁ、市場」
「あら、市場は最高に楽しいわよ!」
私たちはそれぞれ手荷物ひとつしか持っていなかった。私物はこれからゆっくり増やせばいいのだ。
「お隣の国に着いたら、今度は腰を落ち着けて暮らしたいわ」
「そうだな。一緒に笑って暮らそう」
「うん!今度はシーツのカーテンは無しでいいよ」
「おう!」
そして今。私たちは北の隣国イーズデイルの宿にいた。
「本当にこれだけでいいのか?」
「うん、これだけでいいの」
私の前のテーブルの上には、手紙が一通と籠に山盛りの果物。手紙は元の世界の弟たちと両親に宛てて書いた。私が異世界で元気で暮らしていること、この世界の果物を異世界暮らしの証に送ることを書いた。果物は真っ赤なナスみたいな形で、シャリシャリしていて味は梨に近いペルルだ。ここイーズデイル王国の特産品。
「じゃあ、送るぞ」
「お願いします」
ヴィクターが描いた小さな魔法陣の中で、手紙と果物が青白く光って、消えた。ヴィクターは私を召喚した時に焼き切れた脈絡が治ったそうだ。
「どうだ、このくらいの量なら天才召喚師の手にかかれば、こんなもんさ」
自慢げなヴィクターの頬にチュッとキスをして、「ヴィクター、天才天才言い過ぎ〜。さあ、今日も市場を見に行こうよ!」とドアに向かった。
「おう、行こう行こう。何か商売の種が落ちてるかもな」
♦︎
私たちはそれからイーズデイルに腰を落ち着けて楽しく暮らしている。ホルダール王国では聖女が消えたことを大変に残念がって血眼で探していたようだったが、他の国に聖女失踪を知らせる気はなかったようだ。他国に聖女を取り込まれたら大変と思ったのかな。
だいぶ経ってからシリルさんの妻になったポーリーンさんから、手紙がこっそり送られてきた。それによると、国王は私とエルドレッド王子との結婚を期待していたらしい。うわ、あぶなっ!こちらに逃げて良かったぁ!
ポーリーンさんは引き継ぎが終わったら新しい先見魔法使いに席を譲って退職するそうな。
そして宰相はあれやこれやの責任を取る形で平民に落とされ、更に五年の懲役刑を下されたらしい。可哀想とは思わなかった。むしろ処刑されなくて良かったじゃない?と思う。
おかげで私たちは気楽に暮らしている。たまに出会う怪我や病気で苦しんでいる人、治療するお金もない人にこっそり治癒魔法を使ったりもするけれど、基本はトッピング付きのおかゆとジェラートを売りながら暮らしている。おかゆとジェラートはこの国でも良く売れている。
ホルダール王国から貰った報奨金で小さな庭付きの家を買って、野菜や花を育てている。庭の真ん中には小ぶりな花壇が造られていて、私以外は誰にも見えない金色の粉が大量に湧き出している。シリルさんを見習ってそう言う土地に建つ家を探したのだ。
近所の人で腰痛に苦しんでいる奥さんがいたから、お茶に誘う形でこの花壇の前に置いたベンチに座ってもらった。結果はもちろん……。
近所の人の間で、「あの家に行って庭の椅子に座っていると具合が良くなる」という噂が流れたらしく、藁にもすがりたい状態の人がぽつりぽつりとやってくる。
私はその噂を信じて通ってくる人に、こっそり少しずつ治癒魔法をかけた。そっと相手の体に手を近づけるだけだけど。大地の魔力とのダブルの癒し。もちろん効果は抜群だ!
私たちは商売が休みの日には大地の魔力が湧き出している場所を探して歩いた。金の粉が強く吹き出している場所にはベンチを置いた。ヴィクターが背もたれに「快癒の椅子」と飾り文字で小さく書いてくれた。
「いきなり他人の土地にベンチを置くのはどうかと思うんだけど」という私に「この世界では善行と思われるだけで文句言う奴なんていないよ」とヴィクターは言う。でも日本育ちの私は気になる。なので土地の所有者には少しだけどお金とベンチを置いた理由を書いて、無記名の手紙を送ることにしている。
ある日突然置かれたベンチに、所有者は誰も文句はなかったらしい。どのベンチもそのままだったし、丁寧に掃除や手入れをされているようだった。
快癒の椅子はここイーズデイル国で地味に話題になっている。ベンチに座った人は本当に少しずつ具合が良くなるからだ。






