白いドレス
王国軍の数は二千人に増えていた。彼らは 古都ハートフィールドの群集整理に追われていた。
「ここからすぐに逃げろ」
「家財の持ち出しは禁ずる」
ある日いきなりそんな命令が出されて ハートフィールドの住民たちは仰天した。聞けば理由は「危険が迫っている」と言うだけで曖昧だった。住民たちを追い立てる側の兵士たちも詳しく理解してはいないのが混乱に拍車をかけていた。
「商売しなきゃならないんです!」
「私の親は年老いていて歩けません。いきなりそんなこと言われても無理です」
「留守の間に泥棒が入ったらどうしてくれる」
「明日は娘の結婚式なんです!勘弁してくださいよ」
「女房がもうすぐお産なんだ。遠くまで歩かせられない」
逆らう者も多く避難は遅々として進まない。
兵士たちがどんなに「手荷物ひとつだけに」と指示しても荷車に家財を山のように積んで逃げようとする者が後を断たない。古都の道は細く入り組んでいて、一台の荷車が石畳の溝に車輪を取られて立ち往生すればたちまち道は塞がり後ろに数百人の民衆が詰まってしまう。
若い兵士のダニエルは大汗をかきながら民衆の整理をしていたが、汗を拭いながら見上げた建物の三階の窓から幼児が顔を出しているのに気づいた。
「あっ!まだあんな所に子供が!」
ダニエルはすし詰めの民衆の隙間を縫ってその建物に向かい、階段を駆け上がった。幼児がいたと思しき部屋のドアを叩くが返事は無かった。
「おーい!坊や!ドアを開けてくれ!」
耳を澄ませていると中から子供の声で
「お留守番なの!開けちゃダメって」
という返事が聞こえた。
「逃げないと危ないんだ。ドアを開けてくれるかい?」
「ダメなの」
そうこうしているうちに、外で次々と叫び声がした。(なんだ?)と慌てて外階段に飛び出すと、群集全てが口を開けて空を見上げていた。つられてダニエルも見上げると、街の南東方向の空に眩しく輝く金色の円盤状の雲が浮かんでいた。
班長からは「魔力の塊の雲から魔力が落ちてきて地面が焼け焦げた」という話は聞いていた。だが、ダニエルも正直なところピンときてなかったのだ。雲は想像していたよりもずっと大きく、ゆったりと回転している。火花を集めたような雲は美しかったが、本能は(危険だ!逃げろ!)と警鐘を鳴らす。
「坊や!ドアから離れろ!今、お兄さんがドアを壊すから!」
「やだぁ!やだよぉ!」
「離れろ!」
三つ数えてからドアの真ん中を蹴破った。古いドアで助かった。真ん中に空いた穴に手を突っ込んで鍵を開け、怯える幼児を抱き上げると、ダニエルは階段を駆け降りた。
しかし駆け降りた先はパニックを起こしている群衆で埋め尽くされている。
「道を開けてくれ!子供がいるんだ!」
「こっちだって動けないんだよ!」
細い古都の道に怒号が飛び交った。昨日から始められた避難指示は、数十万人の民衆に徹底させるにはあまりに手遅れだった。
♦︎
「できた」
髪を乱し、疲労の色の濃いヴィクターが魔法陣の完成を告げると、同じように疲れた顔のエルドレッド王子がホッとした顔になった。
「さあ、行こう」
王子は側近を連れて 建物が密集している街へと足を向けた。
それから数時間後。古い街を見下ろす小さな丘の上で、エルドレッド王子は我が目を疑うような景色を見ていた。
「どういうことだ。避難が済んでいないではないか」
「申し訳ございません。民衆が話をなかなか信じなかった上に家財道具を持ち出す者が多く、混乱しておりまして」
「これではとんでもない被害が出るぞ」
唇を噛み、押し合いへし合いしている膨大な数の国民を見ながらエルドレッド王子は打つべき手を考えているようだった。ポーリーンさんの先見では今夜にも次の魔力が降ってくるのだ。
するとそこにヴィクターがやって来て頭を下げた。
「ヴィクター、どうにも今夜までに避難は終わりそうにない。大変なことになった」
「殿下。大丈夫です。俺とハルとポーリーンが ハートフィールドの民を守ります」
「だが、落ちてくる魔力を一箇所に絞ったところで、あの混み具合だ、それを落とす場所もないではないか」
「殿下。私が受け止めます。受け止めて魔力を大地に戻します」
一瞬、エルドレッド王子は(この者は何を言っているんだ?)という顔をした。地面を穿ち一瞬で音もなく大穴を開けるだけの魔力を受け止めたら、焼き尽くされてしまうと思ったのだろう。
私は笑顔で宣言した。
「殿下、お忘れですか?私は天才召喚師のヴィクターが召喚した女ですよ?私がお役に立ってご覧に入れましょう。どうぞここで見守ってくださいませ」
私に特殊な能力はあると王子は知っているが、(そんなことができるだろうか)という顔でエルドレッド王子がヴィクターを見た。するとヴィクターは澄んだ笑顔でうなずく。
「私とハルであの広場に参ります。あそこから降ってくる魔力を安全に大地に戻します。では、失礼いたします」
そうヴィクターが言って私たちは二人で丘を下った。
その私たちに駆け寄って来た人がいた。
「ちょっと待った!」
「あら、シリルさん。どうしたの?」
「これ、ポーリーンから絶対にハルに着させてくれって頼まれた」
差し出された箱を受け取って中身を取り出すと、真っ白な薄絹のストンとしたデザインのドレスだった。箱にはメッセージカードが入っている。カードには「聖女様にはやっぱりこれでしょ!」
とポーリーンさんの文字。
「仕方ない、着てやれよ、ポーリーンが喜ぶさ」とヴィクター。
「なんか、まあ、そういうことだから」と恐縮するシリルさん。
真っ白いドレスを腕にかけた私と寄り添うヴィクターは広場を目指して進んだ。






